ネットなんて無い
「近所の体育館借りて、久しぶりにバレーしない?」
2月某日。
家にいた静香の所に、女子バレー部元主将からそんな電話がかかってきた。
もうすぐ卒業ということもあり、「最後に皆でまたバレーがしたいねぇ〜」なんて最近学校で話をした記憶はあったが、どうやらそれを実行に移すことにしたらしい。
勿論、静香も元バレー部員としては、久しくやっていなかったバレーをしたいという気持ちは充分にあり、二つ返事で参加すると返事をした。
そう答えたのは静香だけでなく、『思い出振り返りバレー大会』には3年生元女子バレー部全員が参加することになった。
そしてその話をどこで聞きつけたのか、及川を始めとした元男子バレー部員達が「俺達も混ぜて〜」と声をかけてきた。
借りた近所の体育館はそれなりに広く、女子達だけで使うに勿体ないかもしれないということで、彼らの合流も受け入れた。
そうして、近所の体育館にも使用の予約も無事取れたことで、3年生限定バレー大会なるものが開催されることになった。
久しぶりに部活の練習着やシューズを引っ張りだし、静香はウキウキとしながら近所の体育施設へとやって来た。
久しぶりにバレーができるということもあるが、岩泉に会えるということも重なって有頂天である。
公共の体育施設の前で集まっているメンバーに気づき、手を振った静香であったが、浮かれていて足下の小石に気づかずにつまずく。
良い笑顔のままに転びそうになったものの、なんとか体勢を立て直した静香は安堵のため息をつく。
遠目で友人達が笑っている顔が確認できて、少し恥ずかしい。
「何やってんの、栗原ちゃん」
その場に立ち尽くしている静香を、後方にいたらしい及川が追い抜き、半笑いで声をかける。
何やってるの?などと聞かれて、素直に「楽しみで浮かれていて足下が見えていなかった」などとは恥ずかしくて答えられなかった。
「大丈夫か…?」
及川と一緒にやって来たらしい岩泉も、心配はしてくれるようではあるが、なんだか呆れたような表情である。
先程のまぬけな自身の姿を岩泉にも見られたのかと思うと、バレー大会も始まっていないのに、静香は既に帰りたくなった。
メンバーも揃い、ぞろぞろと体育館に入ってアップをし、部活をしていた時のような流れでバレーをし始める。
最初の方は男女別れて、各々好きなようにゲーム形式やら何やらをやっていたのだが、流石に少人数ともなるとゲームのネタが尽きて来る。
次はどうする?なんて全員で頭をひねっていると、男子コートの方にいた及川が男子メンバーを引き連れて女子の方にやって来た。
「男女混合でチーム組んで、試合しようよ」
やったことないし、ちょっと楽しそうじゃない?という及川の提案に、何人かが「おぉ〜」と声を上げる。
確かにそんな遊びのようなバレーはしたことがなく、わりと全員興味津々な上、乗り気である。
そうして、特に何の反論も無く、男女混合によるバレーをすることになった。
まずは男女別に適当に2つのチームに別れ、メンバーを確認する。
静香のチームには及川、松川などがいるものの、相手チームのメンツを見て「まずい」と直感する。
男子達は攻守バランス良くメンバーが分かれたようだが、女子はエースを含め、攻撃特化の主力アタッカー陣が相手チームに集中してしまっている。
どちらかと言うと、受け身がちなメンバーが多い静香のチームは、明らかに劣勢である。
そう思ったのは静香だけでなく、同じチームの女子達も「これ勝てるかな…」と不安げである。
「まぁ心配しないでよ、全部俺に任せてくれればオールオッケーだからさ」
静香達が何を心配しているのか察して、チームメイトを励ますように及川が声をかける。
こういう時、元主将であり、県内でも名の知れたセッターである及川と同じチームになると、非常に心強い。
及川は特に臆する様子もなく、ニヤリと笑って「絶対に勝つよ…」と意欲的である。
もしかしたら、相手チームに自身の彼女である有馬がいるから、気合いが入っているのかもしれない。
更に女子達の不安を取り除くように、「及川があの顔する時は、大体大丈夫だ」と松川も続けた。
試合は、こちら側のサーブから始まった。
慣れないメンバー、更には男女混合ということもあり、お互いのチームの動きはぎこちない。
所謂お遊びバレーというものになりつつあるこの状況では、ラリーは続くものの、中々1点が決まらない。
男子も本気でプレイすると女子が楽しく無いだろう、と配慮してか、スパイクも強打を打たないから尚更である。
…はずだった。
「岩泉!」
相手コート内にいる有馬が、岩泉の名前を呼びトスを上げる。
試合が始まって初めてあがったトスに、岩泉は「任せろ!」と声を上げて走り出し床を蹴った。
そうして飛び上がり、岩泉が背中をぐっと逸らした姿を目にし、及川はゲッと表情を歪めてから「構えて!」と声を上げる。
そうして岩泉の振り下ろした手に弾かれたボールは、凄まじい威力を持って体育館の床に叩き付けられた。
ダァン!という音の後、あいてチームは「よっしゃー!」と歓声を上げる。
静香のチームでは、温田の隣の方に叩き付けられたボールの威力に、女子達はゴクリと息を飲む。
あんなボールに触ったら腕がもげる、と戦慄している女子達の心の声を察し、及川はネットの向こう側にいる岩泉に声をかける。
「ちょっと岩ちゃん」
「あ?」
「少しは手加減しなよ」
呆れたようにそう言う及川に対し、岩泉は一瞬きょとんとした後、口端を上げてニッと笑う。
「何事も、全力でやらねーとな」
楽しくねぇだろ?という岩泉の発言に、相手チームは「そうだそうだ!」と岩泉に加勢する。
ようは、遊びの試合ではあるが、だからと言って手加減する気はないらしい。
そんな岩泉の様子に、説得が上手くいかなかった及川はむぅと口先を尖らせる。
その後もゲームは進むが、3年生主力アタッカー陣が揃っている相手チームの優勢は変わらない。
松川が岩泉をマークするものの、絶好調の岩泉を抑えるのは中々に骨が折れるらしい。
「あいつ今日すげー調子いいわ…」と松川が感心する程である。
そんな岩泉に触発されてか、「女子もいるし…」と手加減をしていた他の男子達もだんだんプレーが本気のそれになっていく。
かろうじて、女子にボールが渡る時には手加減はするようだが、それでもその威力は凄まじいものがある。
どうしたものか…とチームメイト達が半分降参しかけている中、ここまで大人しくしていた及川が目の色を変えた。
「栗原ちゃん」
すれ違い様、及川にこそっと耳打ちされ、静香は一端足を止める。
「何?」
「次からでいいから、岩ちゃんを徹底的にマークして、ブロック飛んで」
「……私が?」
「そう」
男子でも岩泉を止めるのは難しいというのに、岩泉をマークするなど、女の私にはかなり厳しいのではないか。
そう思い、及川に疑問を呈しかけた静香だったが、試合中に見せるような真剣さを帯びている及川の表情を見て口を閉じる。
どうやら本気なうえに、何か考えがあるらしい。
「…分かった、けど…止められる自信ないよ」
「大丈夫、その辺は心配ないから」
自身たっぷりにへらりと笑ってみせた及川ではあったが、その笑みには何か企みのようなものが伺える。
及川の考える策というものどんなものか分からないが、静香はとりあえず指示通りに動くことにした。
そしてゲームは再開し、こちら側のサーブが相手のコートに飛んでいく。
それを上手く拾われてしまい、相手チームのセッター有馬が、綺麗に岩泉にトスを上げる。
再び岩泉が助走をつけ、床を蹴ったタイミングに合わせ、静香はうんと腕を伸ばしてブロックに飛ぶ。
岩泉のあの凄まじい威力のボールが腕に当たるのかと思うと、正直気が引けたが、床から足を離してからはやけくそ気味である。
二人だけの空中戦。
緊張の面持ちを浮かべる静香と、驚きに目を見開いた岩泉とで、一瞬だけ目があった。
そうしてその一瞬の後、岩泉に打ち下ろされたボールは、大した威力も無く、静香の上をポーンと越えていく。
フェイントに近いその球を温田が拾い、それを及川が繋いで、松川が上手く打ち下ろしてこちらの得点となった。
イエーイ!と片腕を上げて手を打ち合わせた及川と松川は、にやりと笑って相手コートに視線を向ける。
その二人のニヤニヤとした笑みは、ネット越しに立っている岩泉に向かっていた。
「いやぁ、愛だねぇ」
楽しそうにニヤリと笑う松川に、岩泉は口元を引きつらせた。
何かを言いたいようだが、どう口に出したものかという様子の岩泉に、今度は及川が追い打ちをかける。
「岩ちゃんが本気で打ったボールに当たったら、栗原ちゃん痛いもんねぇ」
「…てめぇ」
ふつふつと苛立を見せる岩泉の様子を目にし、静香もそこでやっと及川の策に気づく。
『岩泉をマークしてブロック飛んで』と無茶な事を言ったのは、静香がブロックにつくことで、岩泉の動揺を誘うためだったらしい。
先程「本気でやらなきゃ楽しくない」と言った岩泉ではあったが、自身の強打が静香の腕にぶちあたるのは流石にためらわれたようだ。
そうして及川の目論み通り、静香が自身の目の前で腕を伸ばしてきたものだから、岩泉の打球は咄嗟に緩いものへと変更されたのだ。
してやられた様子の岩泉は、物言いたげにはしていたものの、そのまま切り替えるように次に構える。
静香もなんだか罪悪感が湧いてしまい、「どうしたものか」とは思ったものの、結局その後も岩泉をマークし続けた。
有馬のトスにより、静香がブロックを振り切られた時には、岩泉は容赦なく(男子の方に)ボールを叩き付けていた。
しかし、静香が少しでも岩泉の打球のコース内に入ると、無意識になのか咄嗟になのか、強打は軟打に変わってしまい、それを待っていた松川や温田にあっさり拾われてしまう始末である。
それが1度ならばまだしも、数回続くと流石に周りもニヤつきはじめる。
「やべぇよ…岩泉超いい彼氏じゃん。惚れるわ」
「やめときなよ花巻君…静香ちゃんに怒られるよ」
「岩泉にもな」
「うっせーよ」
味方のはずの花巻達からもからかわれ、岩泉は居心地が悪そうにチームのメンバー達の会話をかき消す。
からかわれている上、全力でバレーができない岩泉は、あまり楽しそうに見えない。
それをじっと眺めていた静香ではあったが、ついに罪悪感が抑えきれなくなった。
「岩泉」
「ん?」
ネット越しに岩泉に声をかけ、静香は意を決し、次の言葉を続ける。
「次から、本気で打って」
「…は?」
きょとんとしている岩泉に、静香は念を押すように「お願い」と頼む。
本気でやらなきゃ楽しくない、と言っていたのは岩泉だ。
岩泉は優しいから、静香の腕を痛めるかもしれないと遠慮していて、きっと今のゲームを楽しめていない。
背後で「何言ってるの!」と騒ぐ及川の声が聞こえたが、静香はそれを聞き流す。
そしてトドメに、岩泉が後に引かないであろう言葉を口に出した。
「勝負しようよ、岩泉」
岩泉は、真っ向から挑まれた勝負は必ず受けて立つ。
岩泉とのこれまでの付き合いで、その確信があった。
そんな静香の発言に始めは呆気にとられていたものの、岩泉はじわりと口端を上げる。
勝負の結果は目に見えている。
しかし、静香がそんな事を言いだした理由を察したのか、それが気に入ったのか、岩泉は好戦的な目を静香に向ける。
「言ったな?」
「…言った!」
「いい度胸だ」
フンと鼻を鳴らし、岩泉は腕を組んでから静香を見下ろす。
静香の後方では、「何で岩ちゃんにやる気出させちゃうの?折角作戦考えてたのに…!」と及川が松川に嘆いていた。
「打ち抜いてやるよ」
楽しそうに笑っている岩泉にギラリとした目を向けられ、そんなことを言われただけで心臓が打ち抜かれた心地がした。
ゲームが始まる前にある意味敗北してしまった静香に気づかぬまま、岩泉は配置につく。
自分から仕掛けておいて「ずるいなぁ…」なんて内心でぼやきながら静香も身構え、ゲームは再開する。
そうして何度かボールが互いのコートを行き来した後、ついに有馬のトスが岩泉に上がる。
助走をつける岩泉を視界に入れて、静香は少し怖じ気づいたが、なんとかそれを振り払って飛び上がる。
「打ち抜いてやるよ」なんて言った岩泉のことだ。
きっと狙い目があっても、静香の方に腕を振り下ろしてくるだろう。
逃げ腰になりそうになりそうになりながらも、静香は腕を伸ばして岩泉と対峙する。
先程までの、咄嗟に軟打を打っていた時とは違うほどに洗練された岩泉のフォームに、静香は一瞬意識を持っていかれた。
本気で打ってくる、と理解したこともあるが、研ぎすまされた岩泉の表情に、静香の心はきゅんと高鳴る。
ああ、かっこいいなぁ…なんてぼんやりと考えている間に、岩泉のスパイクは静香の頭上を通過していった。
ダン!と聞こえたボールの着弾音にハッと我に返ったが、全ては終わった後である。
床に着地した岩泉は、ネット越しでボケッとしている静香に呆れた様子だった。
「おい…ちゃんとブロック飛べよ…」
「ごめん…つい」
岩泉に見蕩れて、腕をしっかり伸ばすことを忘れてしまっていた。
岩泉に「本気でプレイして欲しい」と言った自分が浮かれてこの様とは、なんともかっこ悪い。
しかし、静香は目の前で繰り広げられた光景への、高揚感を岩泉に伝えずにはいられない。
「岩泉の本気のスパイク、こんな至近距離で見たの初めて」
「…まぁ、そうだろうな」
「打ち抜かれちゃった」
静香が腕をしっかり伸ばしていなかったから当然だろう、と岩泉は変な顔をしたが、少し照れくさそうにしている静香に気づき、動きを止める。
そうして数秒思案してから、静香が言っている「打ち抜かれた」という言葉が、物理的な意味ではないということに思い至ったらしい。
岩泉は一瞬目を見開いた後、静香の様子を伺うように口を開く。
「…なんだ、それも心理戦か?」
精神的にゆさぶりをかけられていると思ったのか、岩泉は訝しげである。
及川が岩泉のマークを静香に任せた時のことを警戒しているようだが、それだけで少なからず岩泉が動揺をしているということが分かった。
それが分かって少し嬉しくなった静香は、ちょっとした意地悪を思いつく。
岩泉には日々翻弄されているのだ。
その仕返しもかねて、静香はニヤッと笑う。
「…どっちだと思う?」
岩泉に打ち抜かれた、という発言は紛れも無い本心ではあったが、あえて明確な答えは口にしない。
そんな静香の思惑を察して、岩泉はやや目を見開いてから苦笑いを浮かべる。
「質悪ィな…その返し」
素直に浮かれさせては貰えなかった岩泉は、脱力しながらぼやく。
そうして二人の世界に浸っていたのだが、「ちょっとそこー。ネット挟んでいちゃつかないでー」と及川の声が耳に入ってから、岩泉と静香はここで我に返った。
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