馬鹿のつく恋人
きっかけは、ほんの些細な事だったらしい。
ただ昼休みに、運動場でバレーをするだけではつまらないからと、自分たちでバツゲームをしようと決めた結果が、これだった。
「…及川、それどうしたの?」
朝、学校に登校して早々、冬場だというのにカッターシャツにベスト姿の及川を見かけた。
見るからに寒そうな格好でガタガタ震えているものだから、状況の意味が分からない。
こんな寒い時期にブレザーを忘れたとも思えないので、誰か寒がっている女子の肩にかけてあげたりでもしているのかと考えたが、及川もそこまで献身的な男ではない。
それにそんな漫画で見かけるような展開が現実で展開されるはずもないか…と思い直し、静香は青い顔で振り向いた及川を見やった。
「あぁ…栗原ちゃんか、おはよう」
「おはよう、寒そうだね」
「寒いよ」
切実にそう言う及川は、力なく笑ってみせた。
早朝から儚げな空気を振りまくこの男を不思議に思いながらも、何故そんな格好をしているのか再度尋ねる。
「実はさ…昨日の昼休みに岩ちゃん達とバレーしてたんだよね」
「うん」
「それで、ただバレーやるだけじゃつまらないから、ミスしたら次の日罰ゲームしよう!って話になったんだけど…」
なんとなく先の言葉が読めて、静香は「あぁ…」と声を漏らした。
その罰ゲームとやらの内容が、今日一日ブレザーを着てはいけないというものではないのだろうか。
そうして静香の脳裏を過った予測は、案の定正解だった。
「このままじゃ風邪引くかも…」と及川はしみじみと嘆く。
「まっつんの一人勝ちだよ…。あとの全員、今日は罰ゲームやらなきゃいけないんだ」
「そうなの?…なんというか、大変だね」
自分たちで言いだしているのだから、自業自得と言えばそうなのだが。
「マッキーなんか、今日一日左目に眼帯つけてるからね」
「えぇ…」
「ものもらいでもなんでもないのに、あんなの付けてて痛い奴と思われるのかと思うと笑えるよね」
寒いくせに、他人のことを笑う余裕はあるらしい。
「昨日の帰りに一緒に薬局に寄って、眼帯買ったんだよ〜」という及川の発言を聞くと、今日一番可哀想なのは花巻のように思えた。
案外平然とした様子で眼帯をつけていそうではあるが、何故それをつけているのかと友達に聞かれた時、非常に応え辛そうだ。
素直に「罰ゲーム」と言ってしまえばいいが、からかわれるのは必死だろう。
しかもそれを授業中、先生などに指摘されたりした時はとても恥ずかしそうだ。
それを聞くと、及川の罰ゲームは比較的にマシと言えるかと思ったが、寒そうな目の前の男を再度眺めて、そうでもないかと思い直す。
「へぇ…、じゃあ岩泉は何の罰ゲームしてるの?」
静香としては、当然の疑問を投げかけたつもりだった。
松川以外全員罰ゲームをすることになったと聞けば、自動的に岩泉も何かしらの罰を受けているはずだ。
しかし、そう話を振られた及川は、突如愉快とばかりに笑い出す。
寒さと可笑しさに震えているらしい男を目の前に、静香は首を捻る。
「…何?」
「ぶっくく…それ、岩ちゃんに直接聞いた方がいいよ」
口元に手をあてて、ニヤニヤとした表情を浮かべる及川の様子に、静香はますます意味が分からない。
しかし、岩泉の罰ゲームの内容を静香が尋ねるという構図は、及川にとって愉快極まりないらしい。
一体どんな制裁を受けているのだろう……と心配しつつ、正直好奇心の抑えられない静香は、及川越しの廊下の先に岩泉の姿を見つけた。
及川と違い、ブレザーを羽織り首元にはしっかりとマフラーを巻いている。
どうやら衣類を取り上げられるような罰ではないらしいが、遠目に静香と及川の姿を見つけたらしい岩泉は、数秒こちらを見て立ち止まった後、視線をそらして教室へ入っていった。
きっと、静香と及川が何の話しをしているのか察したのだろう。
あからさまに避けていった岩泉の様子を見て、及川はプッと息を吐くように笑った。
「あー、もう…あからさまに避けちゃってさぁ…」
「うん…。そんなに嫌な罰ゲームなの?」
「あー…。嫌というか、苦手なんだと思うよ」
クスクスと笑いながら、及川は自身の教室の方へと体を向ける。
及川は相変わらず寒そうではあるのだが、それを吹き飛ばしてしまっているくらいには楽しそうである。
ここまで及川が面白がるということは、岩泉に課せられた罰ゲームというのは、きっとろくでもないものなのだろう。
そろそろ1時間目の授業が始まるとあって、始業ギリギリに登校してくる生徒の姿もチラチラと見えはじめる。
それを二人して確認し、静香と及川はここで各自の教室へと向かう。
チャイムの音と同時に席につきながら、静香は斜め前の方の席に座る岩泉に視線を向ける。
カバンからごそごそと筆箱を取り出している恋人の姿を眺めながら、後でどんな罰ゲームをすることになったのか聞こうと決めた。
なんとなく嫌がりそうな気もしたが、なんだかんだで教えてくれるのではないかと期待した。
しかし、それが甘い考えだったとすぐに思い知らされた。
1時間目の授業が終わり、岩泉に話しかけようと席を立つと、それを見計らったかのように岩泉はクラスメイトの男子の集団の中に入ってしまった。
休み時間に友達と談笑するのは何ら不思議ではないのだが、なんとなく静香に話しかけられるのを避けているような節がある。
その後もタイミングを見計らっていたのだが、岩泉はさり気なく静香から距離を取り続け、静香は避けられているのが勘違いではないのだと理解した。
それが少しショックではあったが、そうするくらいに触れて欲しくない事なのかもしれない。
それか、一日静香から話しかけられても話してはいけないという、罰ゲームなのだろうか。
及川は岩泉に直接聞けと面白がっていたが、静香が話しかけても岩泉が反応できないから、あんなに笑っていたのだろうか。
そう思うと何だか悪趣味だな…とは思いはしたが、静香と目が合うとぎこちなさそうにする岩泉を見ていると、なんだか申し訳なくなってきた。
「静香と話してはいけない罰ゲーム」という予想も、案外外れではないのかもしれない。
それならば岩泉の負担にならない方がいいかと、静香は岩泉から罰ゲームの内容を聞き出すのを止めた。
恐らく、今日が終わっれば教えてくれるだろう。
そんな風に考えを落ち着かせ、静香はこのまま一日が過ぎるのを待つことにした。
お昼休みに、左目に眼帯をした花巻に遭遇し、「今日授業毎に先生に声をかけられて大変だった」という淡々とした愚痴を聞きはしたが、岩泉の事には一切触れなかった。
しかし花巻の方は、なんとなく静香の様子を探っているようだった。
この花巻の様子から、岩泉の罰ゲームの内容が、静香絡みであることはもはや確定的だ。
渦中にいるはずなのに、何も知ることができないというのは非常に歯がゆいが、一日経てば笑い話で済むのだろうと、静香は察したつもりだった。
しかし、放課後に岩泉に声をかけられた事により、その予想は崩れ去る。
「栗原」
「…何?」
「帰り、どっか寄って帰らねーか」
「あれ?」と首を傾げた静香の様子に、岩泉も「ん?」と首を傾げる。
罰ゲームはもういいのだろうか?と思いながら、静香は机に置いた自身のカバンのチャックを閉じた。
「岩泉…私に話しかけていいの?」
「…は?」
「罰ゲームしてるんでしょ?」
「…あぁ、それか」
静香が罰ゲームの事を把握していると知っても、岩泉は大して驚きはしなかった。
今朝方及川と静香が話している姿も見ていたことだし、岩泉もやはり察していたのだろう。
「あー…」と唸りながら頭を掻いて、岩泉はなんと説明したものかと暫く悩む。
「……別に、お前に話しかけちゃいけないとか、そういう罰ゲームじゃねぇよ」
「そうなの?」
どうやら自分の気遣いは、見当違いのものだったらしい。
しかし、ならば岩泉の罰ゲームの内容な何なのだろう。
今度は迷わず、素直に岩泉に尋ねると「後で言う」と、この場では流されてしまった。
今ここでは言えないのだろうか、それとも言いたくなくて先延ばしにしているのか。
何だか意味が分からぬままに振り回されている気がして、静香は首を傾げる他ない。
「で、寄り道しても大丈夫か?」
「あー…ごめん。今日早く家に帰らなきゃいけなくて…」
「…そうか」
「あっ、でも…寄る場所によっては大丈夫かも」
やや気落ちした岩泉を見て、静香は慌てて提案をする。
家に近い所ならば少しくらい寄り道しても大丈夫だろう。
そう思い至り、「どこに寄る?」と尋ねた静香だったが、それに対しての岩泉の答えは予想外のものだった。
「…考えてねぇ」
「……え?」
「…いや、帰りどこ寄るかは考えてなかった」
まずったな…と呟いた岩泉の発言に、静香は更に疑問符を浮かべる。
どこかに行きたかったから、静香を寄り道に誘ってくれたのだと思ったのだが、そうではないらしい。
もしかして、私と一緒にいたかっただけ…?と花畑のような思考に陥ったが、岩泉の様子を見ると、そうではない気がするのだ。
「…じゃあ、お前を家まで送るわ」
「えっ…。岩泉の家から正反対の場所だよ?」
「構わねぇよ。どっか出かけるのと同じようなもんだろ」
岩泉が何を考えているのか、何がしたいのか全く分からない。
このタイプの振り回され方をしたのは初めてで、静香は困惑を隠せない。
恐らく、全ては岩泉の「罰ゲーム」というものに影響されているのだろう。
しかし、その実態がつかめない限り、目の前に広がる霧のようなモヤモヤは無くならない。
どうしたものか…と眉を下げた静香ではあったが、下校途中に会った花巻が両目に眼帯をしている姿を目撃し、笑い過ぎてそんなモヤモヤは吹き飛んでしまった。
「前が見えねぇ」という花巻の当たり前過ぎるセリフすらツボに入り、二人で思い出し笑いをしながら帰路につく。
「及川もブレザー無くて寒そうだったよね。風邪ひかなきゃいいけど」
「アイツ、あんま風邪ひかねぇから大丈夫だよ」
「へぇ…。まぁ、風邪とかには強そうだよね」
それは何となく、岩泉にも当てはまる気がする。
普段から鍛えているだろうし、免疫も強そうだから、岩泉もきっとウイルスには強いだろう。
それに、静香は岩泉が学校を欠席しているのを見た事がない。
「岩泉、風邪ひいたことある?」
「…失礼だな、そりゃあるよ」
馬鹿にされたと思ったらしく、少しだけ眉根を寄せた岩泉に慌てて訂正する。
そんなつもりで言ったわけではないのだと言うと、あっさりと「そうか」と納得した様子だった。
「お前は、文化祭前に風邪ひいてたよな」
「そうだね…その説はお世話になりました」
「おー。…まぁ、見舞いに行っただけだけど」
その時の事を思い出したのか、岩泉は口端を緩やかに上げて、楽しそうに隣の静香を見下ろす。
この顔は、何か意地悪を思いついた顔だ。
嫌な予感が過り、静香はぐっと身構える。
「お前、俺の写真見てたよな」
「………」
しっかり、ばっちりと覚えていたらしい。
静香としてはあまり触れて欲しくない話題ではあった。
文化祭前に風邪をひいた静香は、暇を持て余して、ベッドの中で携帯に保存している岩泉の写真を眺めていた。
そしてその途中で寝てしまい、静香が目を覚ました時には、岩泉は静香の家にまでお見舞いに来てくれていたのだ。
そんな岩泉が偶然、静香の携帯の電源を入れてしまい、静香が岩泉の写真を眺めていたという事実がばれてしまった。
たいして昔の話ではなかったが、こうして掘り返されるとは思わず、静香は口元を引き結んで黙り込む。
恥ずかしいから止めて欲しいというのが本音だが、静香がぎこちなさそうにしていると、岩泉は愉快そうにするのでたまったものではない。
「もの好きだよなぁ、お前も」
俺の写真見たって、たいして面白いわけでもないだろ。
そう言いながら歩く岩泉に、そんなことはないんだけどな…とは思いつつ、羞恥が勝って口には出せなかった。
もごもごとしている静香の様子を横目で見てから、岩泉は「悪い」と言って静香の頭をぽんぽんと叩いた。
虐め過ぎたという自覚があるのか、頭を撫でる手つきはどこか許しを請うようだった。
そうこうくだらないやり取りをしている内に、いつの間にか二人は静香の家の前に辿りついていた。
道中からかわれる事に追われた静香は、やっと自身の家についてほっとする。
これで恥ずかしい思いをしなくて済むと安心した彼女の心を読み取って、岩泉はフッと息を吐きだすように笑う。
自身の思っている事が筒抜けであると気付いた静香は、それを誤摩化すように、自宅の門の前に立ってくるりと振り返った。
「…ごめん岩泉、送って貰っちゃって」
「気にすんなよ、俺が言い出した事だしな」
岩泉のその言葉を耳にし、静香はふと、自分が何か重要な事を忘れている事に気がついた。
そうだ、そもそも岩泉は、何故今日に限って静香を家まで送り届けてくれたのだろう。
家は学校からは正反対であるし、日も落ちかけてはいるが、外は随分と明るい。
それに、岩泉の罰ゲームというものは結局何だったのだろう。
それを教えてくれるつもりではなかったのだろうか?と疑問に思った静香は、別れ際最後に口を開きかけた。
しかし、静香が言葉を発するよりも先に、岩泉は一歩前に踏み出してから、不意に身を屈めた。
そして近づいた距離をそのままに、岩泉は流れるように、静香の耳元に顔を寄せる。
一瞬何が起こったのか分からず、言葉を失った静香ではあったが、耳元を霞める吐息を感じ取り、嫌でも状況を理解させられた。
目の前に広がる岩泉の肩にひっかかったマフラーが、音も無く揺れた。
「また明日な、ハニー」
は、と静香が間抜けな声を上げる前に、岩泉は静香の耳元から顔を上げて、さっさと背中を向けて行ってしまった。
やや早足気味に立ち去って行く岩泉の後ろ姿を眺めながら、静香は先程自分が何を言われたのかじわじわと実感していく。
ハニー。
聞き間違いではなければ、岩泉は間違いなく、ハニーと言った。
このハニーの意味が蜂蜜ではないことは、流石の静香でも分かる。
じわじわと熱が顔に集まっていくのを感じながら、静香はここでやっと合点がいった。
冷静に考えなくても、あの岩泉が通常状態で「ハニー」なんて恥ずかしいセリフを言うはずがない。
所謂、これが岩泉に課せられた罰ゲームなのだ。
静香の脳裏で、「罰ゲームの内容は岩ちゃんに聞きなよ」とニヤリと笑う及川と、「あとで教えてやる」と言った岩泉の発言が過る。
きっと学校で言うのは恥ずかしいから、せめて二人きりになれる帰り道に言おうと、わざわざ送ってくれたのだ。
学校で妙に静香を避けていたのは、恥ずかしいからなのかタイミングを図っていたのか、そうでないのか。
それにしても、こんな罰ゲームならば、嘘でも「俺は言った」と及川達に言えばいいものを、律儀に約束を守る辺りが岩泉らしい。
あぁ、好きだなぁ…なんてじわりと再認識しながら、静香は遠くに見える岩泉に届くよう、声を張り上げた。
仕返しくらい、許して欲しい。
「また明日ね!ダーリン!」
「…おっまえ!」
声がでけぇよ!と言って振り返った岩泉は、夕日の日差しを浴びて、より赤くなっていた。
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