翻弄上手な王様
「どうしたの、はじめ…」
「ん〜…?」
眠そうな表情とは違い、岩泉の口からは気分の良さそうな間延びした声が漏れる。
どこからどう見ても、酔っている。
普段はそれなりにお酒を飲んでも平気そうにしているというのに、珍しくフラフラとしている岩泉の様子に、静香は暫く呆気にとられた。
久しぶりにみんなで会わないか、という元クラスメイトの提案で、元高校3年5組のクラスメイト達での飲み会が開催された。
地元に残っているメンバーのみということではあったが、それなりに人数も集まり、当時仲良くしていた友人達との昔話に花を咲かせた。
静香も高校時代の懐かしい思い出に浸りながら友人達と会話を弾ませていたが、そんな楽しい飲み会も終わりの時間を迎えた。
この後二次会に行く人と、このまま解散する人とで別れることとなっている。
静香はそこで、一次会のみ参加予定の岩泉の姿を探したのだが、見つけ出したらこんなことになっていた、というわけである。
「そんなにたくさんお酒飲んだの?」
「…そうでもねぇよ」
嘘だ、とばかりに静香は岩泉の隣に立つクラスメイトに視線を向ける。
高校時代、クラス内では岩泉とよく一緒にいた彼は、今日の飲み会でも岩泉と一緒に話で盛り上がっていた。
酔ってフラフラとしている岩泉を心配し、付き添っていてくれていたらしい彼は、苦笑いを浮かべて首を振った。
やはり、相当の量のお酒を飲んでいるらしい。
「岩泉ちょっと危なっかしいからさ…。栗原さん、悪いけど送って行ってあげてくれない?」
「うん…」
実はこの後、岩泉の家に泊まるつもりであったとは、流石にこの場では言えない。
そうして岩泉を心配してくれているクラスメイトから岩泉送迎の任を受け、二次会へ向かうメンバーに手を振りながら、二人で帰路につく。
岩泉はフラフラとはしているが、普通に歩くし、障害物を見つけると回避もするし、赤信号になるとちゃんと立ち止まるくらいには、正常な状態であるらしい。
しかし、気分は非常に高揚しているようだった。
「…フフフン、フフフン…」
岩泉が鼻歌を歌っている。
静香が動揺を隠せない程に浮かれた様子の岩泉は、気持ち早足で自宅へと向かう。
たまにふらつくので、静香は冷や冷やとしながら岩泉の支えに回ったり、立て直させたりと忙しい。
本人といえば、長い足でさっさと歩いていくものだから、静香は若干小走りになりながら付いて行く。
そうして暫く歩いた所で、静香が必死について来ている事に気付いたらしい酔っぱらいは、ぐるりと振り返って静香の手をぎゅっと掴んだ。
静香が思わず瞬きを繰り返しても、そんなものは知った事かと、再び歩き出した岩泉の歩調はゆったりとしている。
静香のペースに合わせて歩いてくれているらしいが、こうして公の人の目があるところで手を繋いでくれるのは珍しい。
ここは地元でも人通りの多い通りでもあるし、知り合いに出くわす可能性も低くは無い。
人前でイチャイチャしているところを見られるのは静香とて恥ずかしいが、岩泉は静香以上に気恥ずかしく思っているきらいがある。
たまに良く分からないところで思わぬ大胆さを見せることもあり、今こうして手を引いてくれていることは正にそれに当たる。
酔ってしまって、今はそういう周りからの視線がどうでも良くなっているのかもしれない。
フンフン、という鼻歌を耳で拾いながら、その口ずさむ曲が有名な大型怪獣のテーマだと気付いて、静香の口元は思わず緩む。
「そんなに飲み会楽しかった?」
「ん?おー…」
「どんな話したの?」
岩泉がこんなに酔っぱらってしまうくらいに、お酒が進んでしまう程の話題とは何だろう。
気になって尋ねたというのに、岩泉は元気良くキッパリと「忘れた!」と言い放った。
さっぱり思い出せねぇ!と力強く頷きながら、岩泉は空いた手をポケットに突っ込み、自宅の鍵を取り出す。
先程鼻歌で歌っていた大型怪獣のキーホルダーのぶら下がったそれをブンブン振り回している様を横目に、静香は既に見え始めている岩泉の家に視線を向ける。
「ふふ、何それ…」
「分かんねー」
ブンブン、と手を繋いだ手すらも機嫌良く振りながら、二人はそのうち岩泉の家に到着した。
かなり眠いのか、岩泉は家に帰って一番にベッドに倒れ込む。
「うーん…」と唸り、ベッドから梃子でも動かないといった様子に呆れながら、静香はトントンと岩泉の肩を叩く。
「はじめ、せめて着替えてから寝なよ」
「んー…」
ベッドに突っ伏したまま、岩泉は顔を上げず、ちょいちょいと手招きをする。
なんだか今日は、岩泉の所作に一々可愛らしさが伺える。
こんな姿の恋人を見られるのはレアなので、静香も興味津々である。
手招きを擦る岩泉に素直に従い、膝をついて岩泉のそばに寄る。
静香が傍に寄ってきたことに気付いて、布団に顔を埋めたまま、岩泉は続けてごしょごしょと呟く。
「…あのさ…」
「うん…?」
「ねみぃ…」
「…分かってるよ。だからほら、着替えなよ」
もう…と息をつきながら、静香は一旦立ち上がって岩泉の着替えを準備をはじめる。
クローゼットから岩泉のパジャマ一式をひっぱり出し、なんとかベッドから起き上がった岩泉にそれを手渡す。
このパジャマは、「一人暮らしをはじめるから」と岩泉のお母さんがいろいろと買ってくれたものの内の一つである。
黒地に赤の指し色が入っており、カラーリングが岩泉の好きな某怪獣を思わせる。
流石岩泉のお母さん、好みを良く分かっているなぁと微笑ましく思ったのは、ここだけの話である。
睡魔のせいか、酔いのせいか、ぼんやりとしたままパジャマを受け取った岩泉は、そのまま遠慮なく上着を脱ぎ捨てた。
今更、静香を前に恥ずかしがるはずも無い岩泉は、そのまま中に着込んでいたTシャツももそもそと脱いでいく。
岩泉の裸体はそれなりに見慣れているはずなのに、未だに直視できない静香はそそくさと部屋を抜け出し、一旦お風呂場へと向かう。
見慣れないというよりは、岩泉が服を脱いでいる時の事を思い出してしまうが故に、動揺してしまう自分が恥ずかしい。
岩泉が着替えたであろうタイミングで部屋に戻ろうと、静香はとりあえず風呂場のドアを開けた。
静香の方は、今日は大してお酒も飲んでいないし、シャワーくらいは浴びておきたい。
パジャマは岩泉の寝間着を一部借りればいいかと特に持ってきてはいないが、とりあえず下着と明日の着替えだけは持参している。
風呂場はいつもと特に変わりはないが、とりあえずシャンプーやリンスがちゃんと残っているか確認する。
岩泉はたまに補充を忘れていることがあるのだが、チェックしてみると今日はそんなことは無さそうである。
ついでに石鹸やタオルの数も確認し、2分程時間が経過したところで、静香はそろそろいいかと一旦風呂場を出ることにする。
岩泉も流石に着替えただろうし、岩泉がちゃんと布団に入って寝た事を確認してから、シャワーを浴びよう。
そう思って風呂場から一歩踏み出したというのに、出た先に丁度岩泉が立っていたものだから、静香は驚いて立ち止まった。
「びっくりした…どうしたの…」
「…んー…」
トイレか何かだろうか。
ぼんやりとしている岩泉は、未だ上半身裸のまま仁王立ちしている。
何故まだ着替えていないのか、という当然の疑問を浮かべつつ、静香は岩泉の上半身からさり気なく視線を逸らす。
「…風呂入んのか?」
「えっ…うん…」
動揺を隠しきれない静香とは反対に、岩泉は相変わらず平然としている。
腰に手をあて、「ふーん」と興味なさげな相槌をうった後、岩泉はゆるりと一歩を踏み出した。
急な事に静香は間抜けな声を上げたが、その音は岩泉が壁に手をついた大きな音にかき消される。
間合いを詰められ、思わず半歩後ずさった静香を逃がさず、そのまま壁と岩泉の間に閉じ込められた。
不意の事に流石の静香も驚いたが、岩泉が未だに酔っている事に気付いてハッとする。
きっと今の岩泉は冷静ではない。
そのせいで、何か妙な事をしでかすのではないかという静香の予感は、そのまま岩泉の言葉となって返ってくる。
「一緒に入るか」
「…え?」
「風呂」
静香を閉じ込めたまま、まるで伺うように顔を覗き込み、ハァと熱い息を吐く岩泉に、静香はガチリと硬直する。
半裸の岩泉に壁に追いつめられ、酔っているせいで熱っぽい視線を受け、静香は腰が抜けそうになった。
ポカンとすること数秒、静香が返事をしないものだから、焦れたらしい岩泉は静香の頬に唇を寄せる。
キスなのか、ただ唇を触れさせているだけなのか、静香の頬にちょっかいをかけて返事を催促する様は、まるで子犬のようである。
しかし目の前のこの男が、可愛らしい子犬であるはずがないということを、静香は身を以てよく知っている。
「だ、駄目だって…」
「なんで」
「何でって…はじめ、たくさんお酒飲んでるでしょ…?」
「…大丈夫」
何が大丈夫だというのだろう。
岩泉の妙に据わった目を見て、静香はたらりと冷や汗を流す。
この流れは、岩泉に頂かれてしまうコースではないだろうか。
チラリとお風呂場を伺ってから、静香はどうにかならないだろうかと必死に思考を巡らせる。
以前、お風呂で岩泉と肌を合わせた際、思いの外風呂場に声が響いて非常に困ったのだ。
周辺の部屋の住人に声を聞かれたらどうしよう、なんて不安にかられながらも容赦なく揺さぶられ、静香は息も絶え絶えになっていた。
静香が声を抑えようと必死になればなる程、岩泉がヒートアップしていくものだから、いろんな意味で死にそうになったのは記憶に新しい。
できれば、もうあんなことはご免被りたい。
しかし、この調子の岩泉があっさり身を引くとも思えない。
そう思考を巡らせながら、静香は一応念を推すように、恐る恐る確認する。
「何もしないなら、いいけど…」
「する」
しかし、岩泉はそんな静香の心境等おかまい無しである。
酔っていようが酔っていなかろうが、こういう時は容赦なく切り込んで来るのが、この男の恐ろしいところだ。
そして今現在、酔っぱらっているせいなのか、普段よりも思ったことはなんでも口にするらしい。
「セックスしよう」
ド直球ドストレートにぶち込まれ、静香は被弾し負傷する。
頭に被弾したのか、まともに思考が回らぬままに口をパクパクとさせながら、静香は一瞬岩泉との情事を思い出す。
カァと赤くなった静香を見下ろし、岩泉はニヤリと口端を上げる。
「なに赤くなってんだよ…」
「む…無理だって…」
萎縮し、あまりに挙動不審な静香が面白かったのか、岩泉はカラカラと笑う。
静香の首筋に手を添えてから、岩泉はするすると手を上昇させ、顎を掌で包むように持ち上げて静香を上向かせる。
そうして静香の剥き出しの首筋に顔を埋めてから、耳に息を吹きかけるように、意地悪く囁く。
「俺に抱かれんの、好きだろ」
耳元で熱い息が吐き出され、静香は思わず「ひっ」と声にならない悲鳴を上げる。
上向かされた顎に岩泉の指が這い、じわじわと追いつめる様は正に、獲物を目の前にした狡猾な獣のようだ。
素直になれと、充分に素直で分かりやすいはずの静香を促し、どんどんと深みへ引きずり込むのが、岩泉一という男の手口である。
「もっとして、きもちい…って、」
いっつも、いっつも、言ってるじゃねーか。
岩泉の言葉を聞いた瞬間、静香の頭がパン!とはじける音がした。
もはや何を言われているのか理解をしたくない領域のことを口走る岩泉に、静香は泣きそうになる。
辱められている。
そう気付いて、静香はもはや言葉も出ない。
「やだ、とか言って…たくさんしたら喜ぶし…」
「好き、好きっつって……抱きついてきてよ…」
「なんつーか、本当…」
その先の岩泉の言葉は、音にはならず、長い吐息だけが吐き出される。
その熱い息の中に、岩泉の思いが全て乗せられているような気がして、静香は背筋をゾクリとさせた。
たまらない。
岩泉と静香の脳裏を過ったものは、間違いなくそれだった。
「…静香」
「は…はい…」
「俺の事好きか?」
女の私よりも色気を漂わせているのではないかという空気を纏いながら、静香に尋ねてくる事がこんな内容である。
何を今更、なんて言ってしまいたい衝動にかられながら、静香は涙目になって口をゆっくりと開く。
トクリトクリ、と触れ合わせた肌越しに伝わって来る岩泉の鼓動が酷く心地よく、静香の背をトンと後押しする。
「好き…」
「…そっか」
クスクスと控えめに笑ってから、岩泉は静香の額に、自身の額を擦り合わせる。
「俺も好き」
随分な色気を漂わせながら、岩泉はにへら、と子供っぽく笑った。
状況と表情のギャップに静香がきゅんとときめいている間に、岩泉は静香の腰に腕を回し、ぎゅうと締め上げるように抱擁する。
そのせいで静香の腰辺りの服が上に持ち上げられてしまい、下着が晒されているだろうことを察しながら、静香はついに目を閉じた。
毎度ながら、降参である。
「…今日さ、」
「…?」
「飲み会で、静香と今も付き合ってんのか、って聞かれたんだ」
「うん」
「それで、そうだっつったら、いろいろ聞かれてよ。まぁ、そこそこ喋っちまったんだけど…」
「…うん」
「そしたら、お前らが羨ましい、って言われてさ…」
「……うん」
始終嬉しそうにしている岩泉の声色に、妙に熱いものがこみ上げてくる。
母性だとか加護力に近い何か、狂おしい程に胸を締め付けるこの感情の名前は、なんと言うのだろう。
「どうだ羨ましいだろうって…なんか…嬉しくなって…」
睡魔に襲われているのか、うつらうつら、と言葉を紡ぐ岩泉の口調は、段々と緩慢になっていく。
「…幸せだな…って」
「…うん」
「思って…」
「うん…」
「静香に好かれてる俺が…羨ましい」
「…何言ってるの…もう…」
きっと、自分が何を言っているのか分かっていないのだ。
まるで遊び疲れた子供のように、ずるずると静香にもたれ掛かってくる岩泉に思わず笑ってしまう。
岩泉は果たして、今日の自身の発言を明日になってもちゃんと覚えているのだろうか。
もし覚えていなかったら、懇切丁寧に説明して、羞恥に襲われる岩泉の姿を見て辱めてやろう…なんて。
そんな悪巧みを考えながら、静香はそっと岩泉の耳元で「もう寝る?」と尋ねた。
先程のぎらついた雰囲気は形を潜め、完全に睡魔に追いやられている岩泉は、こくりと素直に頷いた。
そして、上半身裸のままベッドにのろのろと移動し、転がってついには寝入ってしまった。
まるで気まぐれな大きな猫のようだと笑いながら、静香は岩泉が風邪を引かないように布団をしっかりとかける。
流石にこの状態の岩泉を着替えさせるのは、静香一人では難しいので、どうかこれで許して欲しい。
そうして恋人の穏やかな寝顔を存分に堪能しながら、静香は先程の岩泉の言葉を思い出す。
今日の飲み会で「惚気話」をしたせいで、こんなに浮かれて酔っぱらってしまったのだろうか。
そう思うと少し恥ずかしくもあるが、緩む口元が隠せないのも事実である。
ああ、今度は私が酔っぱらってしまいそうだ。
「…おやすみ、はじめ」
ぽつりと零した夢への挨拶は、岩泉の寝息の中に溶けていく。
そうして静香は一度ベッドを離れて、さっさとシャワーを浴び、岩泉が転がっているベッドに潜り込む。
明日の朝、この状況を見た岩泉がどんな反応を示すか楽しみにしながら、静香はそのまま眠りについた。
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