恋とはどんなものかしら

自身が差し出した握りこぶしを見つめながら、静香は呆然と立ち尽くした。
静香の周りには数人の女子生徒、彼女達の差し出した手は綺麗に開かれている。
所謂、じゃんけんというものを繰り返す事数回、結果は静香の一人負けである。

「はい、じゃあ体育委員は栗原さんね〜」

新学期。
進級し、クラスでの委員決め早々に、静香はガクリと肩を落とした。
体育委員は、委員会の中ではわりかし忙しい役職に分類される。
生徒会ほどではないが、体育の授業の事前の手伝いをさせられたり、準備をしたり、クラスのメンバーが揃っているかの確認をとったり、などと責務が多い。
しかし、何と言っても秋に開催される体育祭というイベントの運営が、この委員の仕事の中で格段にきつい。


「いいのあったか?」

6月後半。
部活に行きたいところではあるものの、数ヶ月後に開催される体育祭の下準備のため、静香は放課後教室に残っていた。
同じく体育委員である岩泉と一緒に、クラス全員に書いて貰った「今年の体育祭のスローガン」のまとめ作業中である。
クラスでスローガン案をまとめ、今度の委員会で発表しなければならないため、二人で一生懸命吟味をしている次第である。
岩泉も早く部活に行きたいようで、集めたプリントをパラパラとめくっていた。

「これなんかどうかな……『心を繋げ!』」
「あ〜……」

静香が差し出したプリントに目を落とし、岩泉は何故かフッと笑う。
何か面白いことがあっただろうか、と#なまえが首を傾げると、岩泉は笑ってしまった理由を教えてくれた。

「栗原が好みそうなスローガンだと思っただけ。栗原というか…バレー部だからか」
「……あぁ」

バレー部、という言葉で静香もピンとくる。
成る程、ボールを落とさずに繋ぐ、というのはバレーボールの基本である。
岩泉も静香と同様、バレー部に所属しているが故に「繋ぐ」という言葉からバレーを連想したらしい。
提案した静香の方はそんなつもりは無かったが、岩泉にそう指摘されてふと考える。
バレーをしているからこそ、無意識にこのスローガンを選んだのだろうか。
そう思いながらプリントに視線を落とすと、岩泉も「それでいいだろ」と投げやりな事を言う。

「…適当じゃない?」
「いやでも、悪くねーだろそれ」

適当、という言葉を否定しなかった岩泉は、体育委員に配られたスローガン案記入用紙にシャーペンを立てる。
サラサラとスローガンを書き込み、さっさとシャーペンをしまっていく様は、どこからどう見ても部活に行きたい衝動にかられている人のそれである。
静香も部活に早く行きたい所ではあるので文句は無いが、同時に意外だとも思った。
男女は違えど、岩泉と同じくバレー部に所属している静香ではあったが、こうしてまじまじと喋ったのは初めてかもしれない。
静香の知る岩泉と言えば、及川を叱り飛ばすお目付役で、粗暴な口調の割に真面目な男である。
岩泉って真面目だよね、なんて女子バレー部の間でもそこそこ評判であったからこそ、岩泉が手を抜くという事には少し驚いた。
しかし、直ぐに静香も「それもそうか」と納得する。
いくら真面目だと言っても、岩泉だって人間である。
面倒だとか思う事もそりゃああるよね…と思いながら、静香もテーブルに転がした筆記用具をしまう。

「よし、これで明日の委員会も大丈夫だな」
「うん…。でも本当、体育祭の準備って大変なんだね…」

この先の事を思うと、静香は少し気が重い。
まだ体育祭は数ヶ月先だというのに、既に下準備がはじまっている事に、行事の大規模さと大変さが伺える。
体育委員の最大の大仕事を目前に、ため息をついた静香を認めて、岩泉は励ますように笑う。

「慣れりゃ大した事ねーから、心配しなくても大丈夫だって」
「…本当?」
「本当本当」

体力のありそうな岩泉に言われても、あまり説得力のない言葉である。
そんな不安の抜けきらない静香の表情に気付いたのか、岩泉は何度か瞬きを繰り返し、呆れたような顔をした。

「…普段、部活で練習とか結構やってるだろ。あれに比べりゃ大した事ねーよ」
「…そうかなぁ」
「そうだっつの。栗原らしくねーな」

らしくない。
岩泉の口から出た言葉に、静香はふと思考を止める。
岩泉とこうしてまともに喋ったのは今日が初めてであったはずである。
それにも関わらず、岩泉の口から落とされた「らしくない」という言葉はまるで、以前から静香の事を知っているかのような発言だ。

「私って…岩泉の中でどんなイメージなの?」
「タフな奴…?」

タフな奴、などと言われたのは初めてで、静香は少し驚く。
一体どこからそんなイメージがついたのか、疑問に思った静香を察して、岩泉は先に口を開いた。

「よく体当たりでレシーブとかしてるだろ?」
「…それは…まぁ、そうかもしれないけど…」

確かに公式戦や練習中、静香はたいあたりするようにボールを拾う事が多い。
偶然そんな流れになってしまうのだが、それがあまりにも多いので部員達にもからかわれるネタの一つでもある。
しかし、それを岩泉が知っていてこうして覚えているという事が、静香にとっては何よりも衝撃的だった。
もしかしたら岩泉も、意識をしてもいない相手の事を、無意識の内に認識していたのかもしれない。

「あとこの前の試合、顔面でレシーブしてたしな」
「……」

あまり思い出したくない自身の珍プレーを指摘され、静香は無言になる。
見られていたのか、という羞恥に襲われながら視線を逸らすと、岩泉はカラリと笑った。
存外、岩泉という人は意地悪な人らしい。
この時の静香の岩泉に対する認識というものは、こんなものだった。



某日。
明日クラスで配布する予定の体育祭関係の資料を委員会で渡された静香と岩泉は、紙の束を抱えて体育館の事務室に足を運んでいた。
テスト期間中とあって、放課後の体育館は静まり返っており、静香は少し違和感を覚える。
部活動をしていないだけでこんなにも静かなものなのか…なんてぼんやりと考えている間に、岩泉はさっさと事務室のドアを開けた。
預かった資料を担任に渡し、明日のHRで配布して貰うために先生を捜して10分程。
すれ違った先生に「今体育館の事務室にいるよ」という情報を貰い、こうして体育館を訪れた次第である。
しかし、体育館の事務室には担任の姿は無い。
事務室にいた他の先生に尋ねると、なんでも急ぎの所用のために少し前から外出しているらしい。
遠くには行っていないから、あと数分でここに戻ってくるとの事。
それを聞いた二人は一瞬どうしようかと思ったものの、資料を渡すと共に伝えなければいけない伝言もあったことで、静香も岩泉も待機せざるを得ない状況となった。

「タイミング悪いね…」
「本当にな」

二人して体育館の壁際で、ぼんやりとしながら担任の帰りを待つ。
静けさの目立つ体育館の中で、静香はこっそりと隣に立つ岩泉の様子を伺う。
岩泉とは、基本的に委員会関係でしか喋ることがない。
だからこそ、二人だけになってしまったこの状況に、妙な緊張感を覚える。
そもそも男子とはそんなに話したりするような事もない静香にとって、異性と二人きりという状況は慣れぬものであり、更に言えば意識をせざるを得ないものでもあった。
この前、放課後の教室で二人でいた時はこんなこと無かったというのに、何故だろう。
静香がひっそりと背筋を伸ばした事に気付かない岩泉は、自分のペースのままにトンと体育館の壁にもたれ掛かる。
そして沈黙が流れる事数秒、気まずい空気を無意識に払拭するように、岩泉が「おっ」と声を上げた。

「何?」
「あそこ、ボール転がってる」

恐らく、放課後の体育の授業の片付け残しだろう。
体育館の隅、出入り口付近にかかったカーテンの隙間に、バレーボールが転がっていた。
まるで隠れるかのようにそこにあるボールを拾い、岩泉はそれをポンと上に投げて、キャッチする。
テスト期間中とあってバレーが出来ない事にストレスを感じているらしい岩泉は、ボールに触れただけでどこか嬉しそうである。

「やるか?」
「えっ」

静香がうんとも言わぬ間に、岩泉はボールを緩く静香の方にポーンと投げる。
それに慌てて反応した静香は、制服姿のまま部活動の時のように構えて、そのボールをレシーブし岩泉の方に返す。
すると岩泉はそれを軽く打ち下ろし、静香は慌ててそれをもう一度それをレシーブする。
そして今度は岩泉がレシーブを上げ、流れを読んだ静香はそれを軽く打ち下ろした。
バレー部では馴染みの対人レシーブ練習であるが、その相手が岩泉というのが何だか新鮮だ。
スパイクの威力も緩く、ほぼお遊びに近いものではあったが、バレーのできないテスト期間中とあって中々に楽しい。

「岩泉君、ちょっとボール強いかも」
「っと、わりー……これくらいか?」

スパイクの威力を弱めるように、岩泉は緩いスパイクが打てるように試行錯誤する。
普段の動きやすい格好ではなく、制服という服装で動きにくいということもあるが、それでもなんとか部活の時通りの動きができるように努める。
そうして、岩泉と他愛ない会話を対人レシーブの合間で繰り返しながら、静香はふと、岩泉がバレーをしている時の姿を思い出す。
2年生エースと言われるだけあり、岩泉の放つスパイクには凄まじい威力があり、はじめてそれを見た時は戦慄したものだ。
試合中にあんなボールが飛んできたらまともにレシーブできる気がしない。
男女の違いというものもあるだろうが、男でもあのスパイクを拾うのは辛いものがあるだろう。
それほどまでのスパイクを打ち下ろす男を前方に、静香は静かに息を飲む。
岩泉のスパイクは確かに凄まじい威力があるが、助走をつけて走り、床を蹴って飛び上がるあのフォームをじわりと思い出す。
空気が静まり返り、時が止まったのではないかと錯覚してしまうあの瞬間の岩泉を綺麗だと思った。
こんな事を言ったら、岩泉はどんな顔をするだろうか。

「岩泉君」
「あ?」

ほぼ無意識に近かった。
しかし、岩泉の名前を呼んでからは、自身の意思を持ってボールに意識を集中させる。
試合中、岩泉にトスを上げる及川になりきったつもりで構える静香に、岩泉は一瞬動きを止める。
私は男子バレー部セッター、及川徹。バレー部エースの岩泉一に最高のトスを上げる男……なんて自己暗示をかけながら、静香は飛んで来たボールをオーバーハンドで上げる。
高めの放物線を描き、岩泉のやや前方にボールを上げた後、静香は「しまった」と慌てる。
いきなりトスなんか上げたところで、岩泉が咄嗟に反応できるわけがない。
そう思った静香ではあったがしかし、岩泉は既に軽く助走をはじめており、ボールが落ちてくるタイミングで床を蹴った。
空中で止まったような、岩泉の綺麗なフォームを見る事はできなかった。
しかし、岩泉が飛び上がり、静香の上げたトスを打ち下ろしたという事実が、床についたボールと共に静香にも叩き付けられる。

「トスたけーな」
「ごっ、ごめん!」
「いや、別に謝らなくていいって」

久しぶりにスパイク打てたから、ちょっとスカッとした。
そう言ってニッと笑う岩泉に、静香は自身の中の何かが、コロリと転がった気がした。
それを思い知らせるように、壁に当たって未だ転がるボールが、静香の足にトンとぶつかる。

「仲良いなぁ、二人共」

急にかけられた声に二人して顔を上げれば、体育館の入り口付近で担任の先生が立っており、腕を組んでニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
どうやら、所用とやらを終えて戻って来たらしい。
そんな担任の発言に仄かに赤くなった静香を他所に、岩泉は「先生遅ぇっす」と文句をたれながら、腰に手をあてた。

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