いつかの夢の話
デートの帰り。車を運転していた岩泉が、ふと口にした事がきっかけだった。
「そういや、この前フライパン壊れたんだよなぁ」
「え?」
助手席に座っていた静香は、岩泉の言葉を聞いて顔を上げた。二人の乗る車の正面、大きな看板に書かれたお店の名前が印象的な家具屋が、まるでタイミングを見計らっていたかのようにそこにあった。
恐らく、岩泉がフライパンが壊れた事を思い出したのは、このお店を視界に入れた事がきっかけだろう。家具屋と言っても、最近はキッチン用品やインテリア用品など幅広く取り扱っており、フライパンも当然このお店にはずである。
「ついでに寄って行こう」という話になり、二人はデートを少し延長する事にした。雑貨屋などには二人で寄った事もあるが、こういうお店に二人で寄るのははじめてである。
◇
「どっちにすっかな……」
うーん……と腕を組んだ岩泉は、二つのフライパンを前にどちらにするか悩んでいるようだった。一つは手頃な値段のありふれたフライパン、もう一つは少しお値段高めの高機能なフライパンである。物としては高価なフライパンの方が欲しいらしい岩泉は、脳内で値段同士を戦わせている最中である。
「欲しいんだったら、少し割高でもこっちにしたら?」
「いや……俺もそう思うんだけどよ……今月ちょっと厳しくてな」
もう少しお金に余裕があれば確実に高機能な方を購入するのだが、何分値段が普通のフライパンのほぼ倍である。普通のものでも事足りると言えば事足りるので、岩泉は余計に迷っているようだった。ついにはフライパンをそれぞれ持ち、重さを比べる始末である。それを見かねた静香は、岩泉の隣に立ち、高機能なフライパンを手に取った。
「はじめ、正直に言うとこっちの方が欲しいんでしょ」
「おぉ」
「じゃあ、こっちにしなよ。こっちで料理作った方が美味しそうだよ」
普段、自身の食事を作らなければいけない岩泉は「面倒だ」と良く零しているが、料理をするのはそんなに嫌いではない。静香が泊まりに来た時などは、凝った漢料理を作ってくれたりするし、冷蔵庫の中にもいろんな食材が入っている事が多い。火力に物を言わせる岩泉の最近の得意料理はチャーハンなのだが、それを作るのに高機能のフライパンの方が適している。
「それに、はじめにはこういうフライパンの方が似合うと思うよ」
「……フライパンに似合うもくそもあるかよ」
そんな事を言いつつも、岩泉はフライパン二つを棚に戻し、高機能なフライパンの入っている箱を手に取った。どうやら決心がついたらしく、静香は口元を緩めて「ふふ」と笑った。
目的のものを選び終え、二人は会計に向かうために、食器コーナーを歩く。そこで足を止めた静香は、購入予定はないものの、興味を引かれて食器を手に取る。
「このお皿可愛いなぁ……」
静香が手に取ったのは、子供用のお皿である。小さめの平らな丸の中心には、可愛いウサギのイラストが描かれている。しかし、それを手にとってすぐに、どこか既視感のあるイラストのタッチであると気付いた。どこかで見た気がする……一体どこだったか……なんて静香が首を傾げると、その答えを岩泉が口にした。
「そのデザインの皿、まだあるんだな」
言いながら、岩泉も感慨深げにお皿を手に取った。岩泉の手の中にある恐竜のイラストを見て、静香もやっと思い至る。確か岩泉が小学生時代から使っているというお皿のイラストが、こんな風合いのデザインではなかっただろうか。
「はじめの持ってるお皿と同じだよね」
「あぁ、確か絵本のキャラクターのやつだよ」
タイトルは何だったっけな、なんて言いながら岩泉は小さな皿を棚に戻し、次はスプーンを手に取った。柄の部分にイラストが施されたそれは、岩泉の手に対してあまりにも小さい。子供用のスプーンなのだからそれも当然なのだが、それを「昔使ってた」なんて岩泉が言うものだから感慨深い。
岩泉が子供の頃にはそれが相応の大きさだったのだ。岩泉の幼少期など知らない静香は、岩泉の小さい頃を想像する。子供用の小さな椅子に座って、口元をべたべたにしながらご飯をモリモリ食べている子供を想像して、静香は勝手に吹き出す。それに気付いた岩泉は、当然ながら首を傾げる。
「何だよ」
「ふふ……ごめん、はじめにも小さい頃があったんだなぁと思って」
「当たり前だろ」
何をそんなに楽しそうに笑っているのか、と疑問符を浮かべる岩泉は、未だに小さなスプーンを手に持っている。岩泉は、こんなスプーンを使っていたのだと思わせない程に成長してしまった。この人がこんな小さなスプーンを使う事はもう二度と無いのだろう。しかし、いつか子供ができた時は、これを使って食べ物を食べさせてあげるのかもしれない。口をぐちゃぐちゃにしている小さな子供の口元を拭い、悪戦苦闘しながらもそのスプーンを向けるのかもしれない。
「はじめは小さい頃、どんな子だった?」
「どんなって……そんなん覚えてねーよ」
記憶すらない、と言い切った岩泉ではあるが、数秒後にピタリと動きを止めた。岩泉の視線の先には小さなスプーン、そしてその向こう側にある子供用のお茶碗に注がれている。
「まぁでも、良く飯は食ってたって母さんが言ってたな……」
母親の発言を思い出したらしい岩泉は、付け加えるようにそう呟いた。あまりに自身の予想通りの解答だったものだから、静香は可笑しくて仕方がない。ご飯をモリモリ食べるのは今でも変わらないという事実が、岩泉への愛しさを助長させる。
「きっとはじめの子供も、ご飯いっぱい食べる子なんだろうなぁ」
「……何だよ急に」
「なんとなく、そうなのかなぁと思って」
ご飯をいっぱい食べる、活発でそれはそれは元気な子供が生まれてくるのではないか。そんな想像をして一人勝手に楽しんでいる静香をよそに、岩泉は何かに思い至って静止する。そしてゆっくりとスプーンを元あった場所に戻し、静香の手首を緩く握り、自身の方に振り向かせた。
「静香、もしかして……」
「何?」
「……妊娠したのか?」
岩泉があまりに真面目な顔で聞いてくるものだから、静香は呆気に取られてしまった。妊娠したのか、と尋ねてくる岩泉には当然身に覚えがある。しかし、そうは言っても妊娠しないようにしている事など岩泉だって分かっているはずである。それでも、もしや……と思ったのだろう。あまりに真剣な顔で問われたものだから、静香はぶわりと赤くなり、ブンブンと首を横に振った。
「違うよ、なんというか、本当にただ想像しただけというか!」
「……そうか」
静香の慌てぶりから、妊娠はしていないと分かったらしい岩泉は、今度は自身の発言に恥ずかしくなる。そろりと視線をそらした目の前の男の顔は少し赤く、脇に挟んでいたフライパンの箱を抱え直した。気恥ずかしく居心地の悪い空気が二人の間を流れるも、それが可笑しくて二人して吹き出す。
「想像の話なんだけど、はじめの子供ってきっと男の子だと思うんだよね」
「へぇ、何でだよ」
「なんとなく。特に理由は無いんだけど、きっとはじめにそっくりの男の子だよ。元気一杯でご飯もたくさん食べて、大きくなったらお父さんみたいにカッコイイ男の人になるんじゃないかなぁ」
「……ふーん」
遠回しに自身が褒められた事が恥ずかしかったのか、岩泉はただ頷くだけである。なんと返せばいいのか困っているのだろう。それを察した静香は、隣からの視線を受けながらゆるりと腕を伸ばし、恐竜のイラストがプリントされた小さなお茶碗を手に取る。静香にすら小さなお茶碗を前に、ご飯はまだかとふんぞり返る小さな子供を想像し、口元が緩む。
いつかその子に会えたらいいな。そんな静香のひっそりとした夢は、ここで口にはしなかった。しかし、静香がどういう事を考えているのか大方察したのか、岩泉も食器の並べられた棚に腕を伸ばす。そして花の形をした小さいプレートを手にとり、ゆるりと口を開く。
「俺は、可愛い女の子がいいな」
意外だと思った。岩泉ならば元気な男の子の方が好きそうなのに。そう思いつつも、静香はある種頭を殴られたかのように錯覚する。
岩泉の口から「可愛い女の子」という言葉が出た事が衝撃だった。そうして、呆気に取られ固まる静香の様子をあえて確認しないままに、岩泉は先程の発言に付け加える。
「……静香に似た」
時が止まった気がした。しかし、その時を動かすかのように、さっさとこの場を離れて行こうとする岩泉の行動は、どこからどう見ても照れ隠しである。照れ隠しをしたいのはこちらの方だと、静香は内心で嘆く。
「はじめ、」
「会計済ませてくる」
「待ってよ!」
もう一回言って!という静香のリクエストは、呆気ない程に却下されてしまった。
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