純白はまたの機会に
新幹線で数時間程。
目的の温泉旅館のある街に到着してから早々、静香と岩泉は駅周辺の光景に目を奪われていた。
立ち並ぶ高層ビル群は地元のものとは比べ物にならず、ただ建っているそれを見るだけでもそわそわとしてしまう。
自分たちがつくづく田舎者であることを実感させられられながら、二人は気を取り直して街へと繰り出す。
昼一番、有名な超高層ビルに足を運び、展望台から周りの景色を眺めたり、ショッピングモールをうろうついたりと楽しんでから、次はどこへ行こうかと観光ガイドを広げる。
1日の間に見て回るところはいくつか決めてはいるが、その間の空き時間は適当に街を歩けばいいかと、わりと旅行のプランは大雑把である。
今夜の夕飯は温泉旅館で食べることになっているので、存分にお腹を空かせておこうと街中を練り歩き、進んで体力を消耗させる。
街中をぶらぶらと歩くだけでも楽しいのは、ここが初めて訪れる土地だからということもあるが、岩泉と一緒というのが何より大きい。
そうして散策している途中、何やら人が多く集まっている場所を見つけ、二人は足を止めた。
「何かやってんのか?」
「…風船配ってるね」
遠目に西洋の白い城のような建物が確認できるが、その周辺に妙に人が集中しているようだ。
イベントが行なわれているらしく、好奇心のまま二人してその建物に近づき、ここで何が開催されているのかさり気なく探る。
そうして周囲の人達の会話内容、看板の情報を見るに、どうやらこの建物でブライダルフェアのようなものが行なわれているのだと分かった。
試しに地図を広げて確認すると、しっかりとこの場所も観光ガイドの中に収まっていた。
この施設は結婚式場では無いらしいのだが、参加費を払えば建物の中を自由に出歩けるし、お菓子などの立食もでき、更にはドレスなんかも貸し出してくれるらしい。
立派な西洋のお城のような建物ができてから丁度5年目らしく、この1週間程はちょっとしたイベントを催しているようだ。
だからこんなにもカップルが多いのかと納得した静香は、ちらちらと見えるドレスを着た女の人に視線を向ける。
白いウェディングドレスを着ている人もいれば、カラフルなドレスを身に纏う人、童話の物語に出て来るお姫様の格好をしている人も見受けられる。
恋人と一緒に寄り添い笑い合っているそんな彼女達の姿をぼんやりと眺めながら「いいなぁ」と思ってしまうのは、静香にとってドレスというものは憧れの象徴だという証拠でもあった。
暫くの間目を奪われはしたが、すぐに視線を観光ガイドに落とし、静香は岩泉に「次、お煎餅屋さんに行こう」と提案する。
このイベントに興味が無い訳ではないが、今回の折角遠出では、観光を優先させた方がいいだろう。
夕飯に備えてお腹を空かせようとしている最中ではあるが、少しおやつを摘むくらい大丈夫なはずだ。
それにこの辺りでは有名なお煎餅屋さんらしいので、折角だから寄ってみたい。
「…行くか」
岩泉もゆっくりと頷いてくれたので、静香は地図を見ながら、お煎餅屋さんのある方へと足を踏み出した。
しかし、数歩進んだ所で岩泉に手首を掴まれるように引き止められ、静香は体をつんのめらせた。
「えっ、何?」
「……あっち行こう」
岩泉が何食わぬ顔で「あっち」と指差したのは、やたらに恋人達が集まっている西洋の城だった。
一瞬何を言っているのか理解できなかった静香ではあったが、提案の内容を理解出来ても、岩泉がそんなことを言ったという事実に二度驚かされた。
「……正気?」
「…気は確かだよ」
「酷ぇな…」と苦笑いを浮かべた岩泉であったが、やや強引に手を引いて、自身と向き合うように静香を正面に立たせた。
そうして「な?」と諭すように小首を傾げてみせるものだから、静香はぽかんとしたまま目の前の恋人を見上げる。
朝のような気恥ずかしさに襲われている様子もなく、至って通常通りの態度であることが、より静香を混乱させた。
「別に、俺達がああいうの行ったっておかしくねぇだろ」
岩泉の発言は最もではあるが、普段そんなことを言いださない人間がそんな事を言うものだから、驚いているのだ。
元来、岩泉一という男は、大々的な恋人達のイベントを苦手としている。
苦手としている一番の理由は「恥ずかしいから」というこれもまた最もなものである。
二人でいる時はその辺りはどうでも良くなるらしいが、自分たちがイチャイチャしているのを公の目に晒すのは少し抵抗があるようだった。
そんな岩泉が、自ら進んでブライダルフェアのようなイベントに行ってみようというのだから、静香の衝撃も仕方がない。
ただの気まぐれなのか、ここが地元を遠く離れた場所だからなのか、岩泉は何食わぬ顔でこちらを見ている。
例えば宮城に戻って「ブライダルフェアに行ってみたい」と言っても、岩泉は「知り合いがいるかもしれない」と渋るかもしれない。
それならば、あのイベントに行ってもいいと岩泉が思っている今を、逃す手は無いのではないか。
「…行ってもいいの?」
「だから、そう言ってるだろ」
おずおずとした様子の静香を眺めて、岩泉はフッと笑った。
そうしてお城のような建物に入って早々に、このイベントのスタッフが二人の元にやってきた。
5周年記念で、今ならドレスやタキシードの試着は通常の半値、写真撮影が無料でつき、希望者はダンスパーティに参加もできるらしい。
折角なので静香はドレスを着ることにしたが、岩泉は流石に羞恥が勝ったらしく、タキシードの試着を断った。
「それでは彼女さんのドレスを一緒に選んであげてください」というスタッフに言われるがまま、二人はずらりとドレスが並ぶ大きな部屋に案内された。
「すげぇな…」
「本当…いっぱいあるね」
こんなにあっては、どれを選べばいいか分からない。
どれがいいと思う?と岩泉に一応聞いてみたが、「良くわかんねぇ」と予想通りの解答が返って来た。
女の静香でさえ良くわからないので、岩泉の応えは最もといえば最もである。
とりあえず、静香は近場にあった黄色いドレスを手に取った。
黄色地に白いリボンがポイントのドレスで、中々可愛いのではないかと思いくるりと後ろを返すと、背中部分はごっそりと空き、露出が激しいものだった。
「…それはやめとけ」
「うん…」
こんな大胆なドレスを着る度胸も無いので、静香は素直にそれを元の場所に戻す。
しかし、一体どれが自分に似合うのか、ドレスなど着たことのない静香には見当も着かない。
うーん…と悩んでいる静香の隣の方で、岩泉はビラビラと過剰にレースや飾りのついたドレスに触れて、「重そうだな」などと見当違いな感想を零していた。
「どうしよう…」
「好きな色で決めりゃいいんじゃねーの?」
「それも迷っちゃって…」
「ふーん…じゃぁ、白とかは…?」
近場にあった白いドレスの裾を掴み、岩泉が勧めてきたのは、白を基調としたふわりとしたドレスだった。
胸元のレース部分には花の刺繍も施されており、非常に可愛らしい一品である。
それを手に取り、自分がこれを着るのは勿体ないなぁ…なんて眺めていた静香だったが、ここで思わぬ本音が漏れた。
「でも…白は本番に取っておこうかな…」
なにげなくそんなことを呟いて、静香は自身の失言にハッとする。
本番って何だ。
ごくりと音もなく息を飲み固まったまま、手に持った白いドレスを元の場所に戻す。
脳の片隅で、リンゴーンと教会のベルの鳴る音がした。
今の発言を、岩泉は完璧に耳にしたはずだ。
静香の零した言葉の意味が何を指すのか察しがつかないはずもなく、それを理解した岩泉がどんな表情をしているのか確認するのが恐ろしい。
そうして静香が数秒間固まっている間に、タイミングよくスタッフの女の人がやってきて「お困りですか?」と声をかけてくれた。
二重の意味でお困り状態だった静香は、岩泉の方に顔を向けぬままにコクコクと頷き、「ドレスを迷ってるんです」と素直に相談した。
流石にこういう相談に慣れているスタッフの女の人は、「そうですねぇ」と考えるような素振りをしながら、少し先にあった淡い水色のドレスを持って来てくれた。
肩は露出しているが、ふわりとした淡い水色と白いレースの重なりがとても綺麗なドレスである。
「人気のデザインのドレスなんですよ」というスタッフさんの後押しの元、大して深く考えずに「これにします」と静香は即答した。
先程の自身の発言により岩泉の顔を直視できず、静香はそそくさと更衣室に向かう。
後ろからついてくるスタッフさんが、岩泉に「きっと見蕩れちゃいますよ〜」なんて恥ずかしい事を言うものだから、静香はいよいよ困り果てる。
どうしよう…などとぐるぐると考えながら更衣室の入り口に辿り着き、 ドアを潜る前に勇気を出してちらりと背後に視線を向ける。
後方に立っている岩泉は、呆れた様子もなく、照れた様子もなく、振り返った静香と目を合わせて穏やかに笑った。
「ここで待ってるから、着替えて来い」
ひらり、と片手を上げて静香を送り出す岩泉の姿に、静香は一瞬呆気にとられた。
一人で恥ずかしがっていた自分はなんて余裕がないのだろうとも思ったが、岩泉が静香の失言を聞いても尚、優しげな態度のままであったことが、じわりと胸の内を温める。
まるで受け入れられたのではないのかと錯覚してしまいそうになりながらも、静香はにへらと口元を緩めてから「すぐ着替えてくるね」と応えて、そそくさと更衣室に入った。
自身の一喜一憂というものは、岩泉一というたった一人の男に、簡単に左右されてしまうのだとつくづく思い知る。
そうして更衣室に入った静香は、スタッフの女の人に着替えを手伝ってもらい、更には簡単なヘアセットもお化粧も施して貰った。
鏡の前に立つ自分は、間違いなく更衣室に入って来た時よりも綺麗に整っている。
それに身に纏っているのは、普段は着ることもないドレスである。
この格好で岩泉の前に立つというのは、なかなかに度胸が必要だった。
この格好を見てた岩泉は何て言うだろうか…などと怖じ気づいている間に、「さぁ、その格好を見せて驚かせちゃいましょう!」と静香の着替えを手伝ってくれたスタッフの女の人が、ガッツポーズをしてみせた。
スタッフの後押しもあり、静香は更衣室を出て、そわそわとしながら岩泉を探す。
この姿を見られるのは恥ずかしいやら、でも正直見てもらいたいとも思うやらで、なんだか複雑な心境である。
しかし、「待っている」と言っていたはずの岩泉の姿が見えず、 静香は首を傾げる。
静香が着替えに行く前には、この辺りに立っていたはずだ。
おかしいなぁと思いながら辺りをぐるりと見回すも、着替えている友達を待つ女の人達や、彼女を待っているのであろう私服やタキシード姿の彼氏しか見当たらない。
「あれ…?」と立ち尽くした静香ではあったが、しかし、視界の端で揺れた見覚えのある髪型の男に気づき、再度そちらに視線を向けた。
そこには、クリーム色のソファに腰掛け、明るいグレーのタキシードを着ている岩泉の姿があった。
一瞬見間違えたかと思い何度か瞬きを繰り返してみた静香だったが、自身の目に映る光景は変わらない。
あまりに衝撃的な出来事に静香はポカンとしたまま、膝に肘をついて頬杖をつく岩泉を凝視する。
何故岩泉が、タキシードを着ているのか。
「…気づけよ」
はぁ…とため息をついた岩泉の眉間には、深い皺が刻まれている。
タキシードを着ているのが恥ずかしいのか、少しだけ視線を彷徨わせてから、まじまじと静香の方を見た。
「ごめん…まさかそんな格好してるとは思わなくて…」
「だろうな」
俺もびっくりだわ、とぼそりと呟いて、岩泉はソファからゆっくりと立ち上がった。
岩泉の私服と言えば、どちらかと言えば機動性に優れているラフなものや、カジュアルなものが多い。
それを見慣れているせいか、カッチリとした衣装に身を包む岩泉は、とても新鮮だ。
「お前が着替えに部屋に入った瞬間、ここのスタッフに声かけられてよ。静香が着替えてる間に、サプライズで試着してみませんか?っつってしつこくてな…」
「………」
「で、押し負けて今、こんな格好してんだけど……。おい、聞いてるか?」
「えっ」
まじまじと岩泉の全身を眺めることに夢中になっていた静香は、岩泉に呆れたように声をかけられ、意識を現実に引き戻された。
自身の格好をじっくり見られていた事に居心地が悪かったのか、岩泉は腰に手を当てて自嘲気味に笑う。
「…自分でも思うんだけど、俺こういう格好似合わねーわ」
「そんなことない!」
凄くかっこいい!と興奮気味に静香が食い付くと、岩泉はたじたじとした様子で口元を引き締めた。
静香が目を輝かせ、ついでに少し頬を染めていることに気づいて、辛抱たまらなくなったのだろう。
「新鮮ですごく良い!」と褒め言葉を並べる静香の口を、もの凄く気恥ずかしそうに手で塞いだ。
「もう何も言うな…」
勘弁してくれ、とでも言いたげに、岩泉は片手で顔を覆ってしまった。
顔は隠してしまえても、耳が染まっている様は静香からばっちりと確認できる。
頭隠して尻隠さず、というわけではないが、羞恥に染まっているその姿を隠しきれていないところが、少し可愛らしい。
「あはは…本当にどうしたの?今日のはじめ、なんだか調子悪いね」
「…誰のせいだよ」
くそ…と半ば自棄になっている岩泉の腕に腕を絡めると、顔を覆っていた手を少し離してから、岩泉はじとりと静香を見下ろす。
普段は自身に翻弄されてばかりの彼女が優位に立ち、にこにこ調子に乗っている静香を見て何を思ったのだろう。
「写真撮って貰おうよ」という静香をぼんやりと眺めたまま、岩泉は無言で引かれるままである。
白い螺旋階段の前で写真撮影をお願いし、記念撮影をしてから、二人でこの格好のままに建物の中を散策する。
気分はお姫様気分で、花の咲き乱れる庭を鼻歌混じりで歩いている静香の後ろを、岩泉は言葉数が少ないながらも付いて行く。
そうして庭の奥にある池の真ん中に小さな建物を見つけて、「あそこに行こう!」と振り返った静香は、浮かれていたせいで岩泉の性質というものをすっかりと忘れてしまっていた。
「なぁ」
何の前触れさえも感じさせないまま、池の前に立つ静香に、岩泉はポイと爆弾を放り投げる。
「…お前も綺麗だよ」
翻弄されっぱなしは性にあわない、とばかりに意図的に殺し文句を吐いてみせた岩泉だったが、言った本人も言われた静香も二人して茹で上がってしまい、暫く無言状態が続く。
しかもタイミングの悪いことに、丁度近場を通りかかったカップルに会話を聞かれたらしい。
「ひゃ〜恥ずかしい!」と話している二人の会話が聞こえ、恥ずかしい上に居心地が悪すぎる。
この場から立ち去りたりたい一心で、二人して池の前からそそくさと退散する。
池の真ん中の建物に行ってみたかったが、岩泉に言われた言葉だけで胸がいっぱいで引き返す気も起きない。
そうしてお互いに熱を冷ますように再び建物の中を歩き周り、最終的にカップルが多く集まる大広間に辿り着いた。
どうやら、もう少ししたらダンスパーティーが行なわれるらしく、広間には演奏者達もぞろぞろと集まっている。
広間に赤い絨毯が広がっているこの様子は、まるで映画で見たような光景だった。
「ダンスパーティだって、行ってみる?」
「俺、踊れねぇぞ…」
「……そういえば、私もフォークダンスくらいしかできないや」
体育祭で踊ったフォークダンスのステップを思い出した静香の発言に、「そういやそれがあったな」と岩泉も頷く。
あの競技なのかよく分からない種目の気恥ずかしさを思い出しながら、二人は結局ダンスパーティには行かず、このまま引き上げることにした。
「結構楽しかったね」
「…まぁな」
建物から出て5分程。
タキシードから着替えてしまった岩泉の隣を歩きながら、静香は初めの目的地であったお煎餅屋さんの「営業中」という看板を見つけた。
ブライダルフェアのようなイベントへ行ったせいで、ここに来るのは閉店間際の時間になってしまったが、なんとかお煎餅は買えそうである。
「はじめって、ああいう催しもの苦手でしょ」
「…あー…」
「だから、あそこに行こうって誘ってくれた時驚いちゃった」
暗に、どうして行く気になったのかと尋ねると、岩泉は首裏をかいて唸る。
言おうか言わまいか悩んでいるようだったが、静香の方をちらりと見てから、岩泉は結局口を開いた。
「この前さ、久しぶりに及川が宮城に戻ってきただろ?」
「うん」
「そん時花巻の家で、何人かと泊まりで飲んだんだよ」
曰く、そこでデートでどこに行くか、などという話になったらしい。
そこで彼女持ちの男達が口にするのは、遊園地だったり、映画館だったり、水族館だったりと定番なものだった。
静香も岩泉とそれらには行った事もあるし、別段変わった事とは思わなかったが、問題は別のところにあったようだ。
「流れで、良く行くパスタの店とかスイーツ?とかの話になってよ…。俺達そういう店にはあんま行かねぇ…っつったら、すげーいろいろ言われたんだよ。それで静香がよく文句言わねーな、っつってな」
「…へぇ」
「俺達腹ごしらえするって言ったら、ラーメンとかカレーとかカツ丼屋とかだろ?」
「…そうだね」
岩泉はたくさん食べたいだろうし、静香もそれらの料理は嫌いではない。
付き合い始めてそういうところにご飯を食べに行って気づいたのだが、食べる量は違えど、岩泉と静香の好みはわりと似ている。
「それ聞いて確かに…俺、女が好きそうな店に連れて行ってやれてねぇな…って思ってよ」
「……それで今日はあのイベントに行こうって誘ってくれたんだね」
気にしなくてもいいのに。
そう思った静香だったが、きっと岩泉はそれでは納得しないだろう。
少しだけむすっとした表情の岩泉の様子を眺めているだけで、それがなんとなく分かる。
そういう事にまで気を配ろうとしてくれているだけで、静香にとっては充分だというのに。
きっと今日のイベントのことも、静香が行きたそうにしていた事に気づいてのことなのだ。
「不公平だろ、なんか俺の行きたいところばっか行っちまって」
「でも、デートなんかの行き先は、私のわがままにはじめが付き合ってくれてるじゃない」
「…そりゃぁ、お前……」
口をやや開いて数秒黙った後、少しだけ言い辛そうにしながら、岩泉は思いきったように先の言葉を紡ぐ。
「お前と一緒なら、どこでもいい」
「…それは私も一緒だよ」
どこからどこまで、私と一緒だ。
ああ、なんだろう、凄く嬉しい。
「両想いだね」
静香がとそう言うと、岩泉は不意をうたれたようでやや目を見開いた後、照れを隠すように、わざと呆れたような態度で立ち止まった。
「何を今更……」
「そうだね〜」
機嫌良さげに浮かれている静香の様子を横目で確認してから、彼女がこのまま地面から浮遊していかないように、岩泉はさり気なく静香の右手を攫った。
そうして目的の煎餅屋さんに向かって、二人で再び歩き出す。
「はじめ、白いタキシードでも良かったかもね」
「…そうか?」
グレーのタキシードを着ていた岩泉の姿を思い出しながら、静香は自身のカバンに視線を向ける。
カバンの中には、今日二人で撮った写真が丁寧にしまってある。
今日は宿についたら、これを二人して眺めて、恥ずかしがるであろう岩泉をからかってやろう。
そんなことを企んでいる静香を他所に、岩泉は頭をかきながら、店前に並ぶ煎餅に視線を落とす。
「じゃぁ、本番で着るわ」
ボソッとそんな発言を投下し、岩泉はお煎餅屋のおじいちゃんに「海苔巻き煎餅2枚」と声をかけた。
不意を打つような岩泉の発言に呆気に取られた静香は、おじいちゃんに煎餅を渡されてから、やっと我に返る。
静香の脳裏で、リンゴーン、と本日2度目の鐘の音が鳴った。
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