旦那の珍しく取れた休日と、娘の小学校の参観日の日にちが重なる事に気づいたのは、1ヶ月程前の事だった。
「ナミ、明日パパ参観日行くからね!」
そう言って嬉しそうに娘に再度報告をした旦那だったが、娘のナミは信じられないと言いたげな表情を浮かべ「本当に…?」と自身を膝に乗せる父親を見上げる。
「パパ、前も参観日来るって言って、来なかったよ?」
「うぐ…。いや、今回は絶対大丈夫。死んでも行く」
死んでも行く、という表現で娘に絶対に参観日に行くという意思を伝えたいらしい。
それでも娘は信用出来ないのか、納得いかない表情で「ふーん」とそっけない反応を示しただけだった。
それがショックだったのか、その日3人で川の字になって布団に入った際「俺信用ないのかなぁ…」と眠った娘の寝顔を見ながらぼやいた。
「前回の参観日もだけど、その前の参観日も急に行けなくなった前科があるんだから、仕方がないでしょ」
ナマエがそう言うと、「ぬぅ…」と唸った旦那は、返す言葉も思いつかない様子だった。
しょぼん、とあからさまに落ち込んでみせるので、どうやら慰めて欲しいらしい。
「しっかりしろクソ及川」
「…ちょっと、ここで岩ちゃん思い出させないでくれる?」
喝を入れようと思ったのだが、ナマエの発言により、旦那様は余計に拗ねてしまった。
日頃岩泉さんに説教されているせいなのか、聞き慣れた文言を耳にして嫌そうな表情を浮かべるのが、少し可笑しい。
「奥さんなら、ここは優しく旦那様の心を癒してよ」
「はいはい、元気出して徹さん」
布団から片腕を抜いて、娘の向こう側に寝転ぶ旦那の柔らかい髪を撫でる。
娘を寝かしつけるような丁寧な動作でゆったりと手を動かすと、心地良いのか旦那はゆっくりと目を閉じてされるがままになっている。
「…徹さん、って響きいいなぁ。今度からそう呼んでよ」
「気が向いたらね」
えぇー…と不満そうな言葉を口にする割に、目を閉じたままクスクスと笑う旦那は、なんだか嬉しそうだ。
現役のプロバレー選手であるために、ここの所家を空けていた旦那と、3人揃ってこうして横になるのも久しぶりだと、ナマエはしみじみと思う。
不意に頭を撫でていた手を掴まれて、徹がゆっくりと上半身を起こす。
そのまま間にいる娘を越え、ミシリと音を立てて寝転がっているナマエの頭の隣に手をついた。
そして覆い被さるようにナマエに口づけを落とし、目を細めて笑う表情は、憎らしくも様になるのが我が夫だ。
ずい、と重力に逆らわずに再び唇を寄せる旦那を、ナマエは柔く制す。
「…ナミが起きちゃうから、今度にして」
「あ、言ったな。じゃあ今度たっぷりつき合ってよ」
楽しそうに笑ってもう一度ナマエにキスをし、旦那は満足したのか自身の定位置に戻る。
おやすみーと間延びした声で挨拶した後、旦那はあっさりと夢の中に旅立っていった。
なんて切り替えの早い男だ、とナマエはある意味感心しながらも、ずり落ちた布団をかけ直す。
娘のお腹の上に置かれた旦那の大きな手に、そろりと自身の手を重ねて、ナマエもゆっくりと目を閉じた。
娘の参観日に旦那と学校へ訪れたはいいものの、案の定、隣の男は人の目を集めてしまう。
バレー選手として活躍している旦那は、そのルックスも相まってわりと有名人である。
仕方が無いと割り切れていることと慣れもあってか、夫に集まる奥樣方を見たくらいでは動じなくなった。
そういえば娘が幼稚園に通っていた頃、初めて旦那が娘を迎えに行って、「及川選手がいる!」と騒ぎになり、お迎えにやってきた保護者から近所の人までが幼稚園に集まってきて、かなり大事にになった事がある。
あの後、幼稚園の先生からじきじきに「旦那さんのお迎えはちょっと…」とやんわりとお迎えお断りをされて、旦那は随分と落ち込んでいた。
娘が夕方のアニメをじっと見ている後ろで、ナマエの胸に顔を埋めてグスグスと嘆いていた夫を思い出し、ナマエは苦笑いを浮かべる。
小学校へ旦那が訪れるのは、これが初めてである。
今回は、幼稚園のときの二の舞にならなければいいのだが。
まだ授業が始まる前だというのに、教室の後ろに入った瞬間「及川選手ですよね?サインください!」と保護者だけでなく子供達も群がる始末である。
どこから情報が漏れたのか、娘のクラスを中心に保護者から子供までこのクラスに集まって来ている。
授業が始まるか始まらないか、ギリギリのタイミングで来れば良かったなぁ…と遠い目をするナマエに対し、旦那はたくさんの人に囲まれて悪い気はしないようで、ニコニコとサインや握手に大忙しである。
今日は何の目的でやって来たのか忘れていないだろうか、と不安になる光景だ。
そうして約10分後、授業開始のチャイムの音と共に、やっと教室内は落ちつきを取り戻す。
ごほん、と担任の先生が咳払いをして、授業開始の号令をとった。
今日の参観日の授業は「国語」で、内容は作文の発表らしい。
出席番号順に作文を読み上げるらしく、娘の発表は1番目だったため、
すぐに娘は席を立ち、手元の原稿を開いて口を開いた。
ナミがどんな作文を書いたのか、うっすらと内容を知っているナマエは、隣に立つ旦那の脇腹を肘で小突く。
視線だけこちらに向けて首を傾げる夫が、娘の発表を聞いた後どんな反応をするか楽しみだ。
「1年3組、及川ナミ。題『わたしのパパ』
わたしのパパは、バレーのせんしゅです。
忙しくて家にいないことが多いけど、テレビをつけると会えるし、いつも電話をしてくれます。
パパはバレーが大好きで、いつも一生懸命練習をしています。試合の時のパパはいつもかっこいいです」
ちらりと隣を見上げると、目を見開いた後、照れくさそうに微笑んでいる夫の表情が伺えた。
良かったねパパ、と小声で囁くと、夫は無言でうんと頷いた。
その後も続く、娘視点のパパの話は、どれも聞いていて微笑ましいものだ。
爽やかでかっこいいなどと言われる夫が、見る影も無く締まりのない顔でデレデレとしているのを横目に、ナマエも嬉しくなる。
参観日など滅多に来られないパパがくると知った時から、娘はずっと発表する作文の内容を考えていた。
ナマエにも度々相談しにやって来たり、家に遊びに来た岩泉さんにも話してみたり、パパの居ない所でしっかりと準備を進めていたのだ。
昨日の夜だって「明日パパ参観日行くから」という言葉を疑うような態度を示していたが、あれは照れ隠しだったのだとナマエは分かっている。
そしてきっと、隣に立つ夫も、今察したことだろう。
ここまでの流れを把握し、余裕のあるナマエだったが、しかし。娘の発表の流れは思わぬ方向へ向かう。
「パパは、いろんな人にカッコイイと言われたりするけど、ママの前だとちょっとかっこ悪いです。
ママの誕生日の時に、テレビで「あいしてるよ」と言って、家に帰って来た時に「恥ずかしいからやめて!」とママに叱られていました。
ママに叱られて、めそめそしているパパをなぐさめるのはわたしの役です。そんなパパは、少しなさけないと思います。
…でも…パパは知らないけど、本当は、お家でテレビを見てたママは、まっかになっていました。
ママは「ないしょにしてね?」って言ってたけど、この前わたしのプリンをこっそり食べていたので、ないしょはやめます」
思わぬ事を暴露され、ナマエはガチリと硬直する。
周りからクスクスと笑う声が耳に入って、じわじわと顔が赤に染まっていくのが自分でも分かった。
担任の先生の清々しいくらいの笑顔に、ナマエは羞恥でどうにかなってしまいそうだ。
隣に立つ徹も、娘の発表の中盤辺りで恥ずかしそうにしていたのに、振り切れてしまったのか、今は楽しそうに笑っている。
和やかな笑いに包まれる教室で、発表を終えた娘は少し恥ずかしそうに二人の方に振り返り、ニッと無邪気な笑みを浮かべる。
母親と同じ雰囲気を身に纏い、父親によく似た顔の私たちの娘に、両親揃ってしてやられたという訳だ。
「来て良かったよ、本当に」
あぁ、俺って幸せ者だ。
ひっそりと呟かれた言葉を耳で拾い、ナマエも穏やかに笑う。
「それはこちらのセリフだよ」
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