岩泉とそれなりに話すようになって、1ヶ月が経過した。
一日に話をする回数はそんなに無いものの、着実に縮まって来ている距離感に、八重はここのところご機嫌だった。
この前なんて、偶然帰り道で遭遇し、一緒に寄り道をしてしまった。
そんなこともあり、ちょっと岩泉といい感じなんじゃない?なんて浮かれながらお弁当をつついていると、なんとタイミングの良いことか、友人が岩泉の話題を口にした。
「八重さぁ、最近岩泉と仲良いよね」
「…そ、そんなことないと思うけど」
これが、前までの八重好みのイケメン男子相手ならば、八重だって素直に「そうだ」と言えるのだ。
しかし、岩泉一という男は八重の好みに擦りもしなければ、今まで付き合った事のある男ともタイプが違う。
自身の好みではない男に惹かれているなんて、まるで本気みたいで恥ずかしい。
そんな自身がいまいち受け入れられず、素直に認めることのできない八重の様子に、友人は口元をニヤつかせる。
「本当に〜?」
「…何が言いたいの」
「ぶっちゃけ、岩泉の事好きなんでしょ?」
認めちゃいなよ。
彼女にこう指摘されるのは、かれこれ数度目である。
「別に、岩泉は好みじゃないし…」
こうして八重がなんとか誤摩化そうとするのも、何度目かの話だ。
自分が岩泉に惹かれていると他人に指摘されるのは、何故こんなにも我慢できないのだろう。
八重がそう自問自答した時、不意に目の前に座っていた友人が「あ…」と言葉を漏らした。
明らかに顔色の悪い彼女に首を傾げた八重ではあったが、後方から「なぁ」とかけられた聞き覚えのある声を耳にし、友人がこんな表情をしている理由に気付いた。
そうして恐る恐る八重が振り返ると、そこに立っていたのは案の定、話題の人物岩泉一である。
薄い水色のノートを片手に、岩泉は相変わらずのぶっきらぼうそうな表情で八重に問いかける。
「夏目、これお前のだろ」
もしかして、さっきの会話を聞かれただろうか。
八重が青ざめると同時に、一緒に話をしていた友人は口元を引き結んだ。
お互いに思う事は同じ「まずい」ではあるが、八重の方には目に見えた動揺が伺える。
そんな明らかに顔色を悪くさせた様子の八重を眺めながらも、岩泉は普段と変わらぬ態度のままノートを差し出す。
どうやら先程の移動教室の時に、八重はノートを机の上に忘れてきていたらしい。
それをわざわざ持ってきてくれた岩泉にお礼を言いつつ、先程の会話の内容は違うのだと言い訳をしようと口を開いた。
「ありがとう…。あの…岩泉…さっきのは…」
「?」
焦りを見せている八重とは反対に、岩泉は「なんだ?」と言わんばかりに首を傾げる。
このタイミングで話しかけてきたのだ、先程の八重と友人の会話が聞こえていないはずがない。
しかし、こうも普段通りの対応をされると、八重もどこかショックだった。
傷つけたのは間違いなく八重のはずなのに、岩泉の変わらぬ対応がゆっくりと胸を刺す。
岩泉は動揺もしなければ、怒ったりも、悲しんだりもしない。
岩泉は私に好かれていようが嫌われていようが、どうでもいいのかもしれない。
「…ごめん…なんでもない…」
「…おぉ」
変なやつ、と言いたげな様子で眉を上げ、岩泉は用は済んだと自身の席に戻っていく。
その後ろ姿に「お前には大して興味もない」と言われたようで、八重はノートを持ったまま無言で椅子に座る。
そんな明らかに暗い表情の八重に、目の前の友人は恐る恐る話しかける。
「ごめん八重…私があんなこと言ったから…」
「…別に、聞かれたってどうってことないし」
なんとか明るく振る舞ってみせたが、目の前に座る友人の表情は同情を含んだままだった。
まるで可哀想なものを見るようなその目に、八重は心の内で「やめて」と呟く。
岩泉を傷つけてしまったかもしれない、なんて思ったことすら自惚れだったのだと思い知らされてしまう。
それに対して、自分が思った以上にダメージを受けていることも。
なんとか強気の態度で誤摩化そうとしている八重に気付いて、友人はこれ以上何も言わなかった。
そうして休み時間が終わり、次の授業がはじまっても尚、八重の気持ちは沈んだままだった。
そんな八重を見かねてか、友人が他の友人達に「八重が元気ない」と相談したらしい。
元気付けようと、何人かの友人達と一緒に「放課後カラオケに行こう」と誘ってくれた。
それが純粋に嬉しかったことも勿論ではあるが、気持ちをリフレッシュさせる上でカラオケというのは最適であるため、八重は二つ返事で誘いにのった。
そうして友人達何人かと一緒に近所のカラオケに入り、意気揚々と選曲する。
自分が岩泉の好みではないなんてずっと前から分かっていたじゃないか!と自棄になって失恋ソングを転送すると、それを見た友人がひっそりとこちらの様子を伺っていたが、気付かないふりをした。
「その曲超いいよね、泣ける」
「ほんとほんと〜」
このアーティスト好き〜などとお決まりの会話を交わしている友人達を尻目に、八重はマイクを持って画面に表示された曲目を眺める。
最近人気のアーティストのデビュー作であるこの失恋ソングは、八重のお気に入りの曲の一つである。
歌詞の切なさに「辛いよね〜」なんて共感しているつもりだったのに、現実はそんな甘いものではない。
『貴方が私を見ていないことなんて分かっていた』
画面に表示された歌詞が、別の色に染まっていくのを目で追って歌いながら、八重はこの曲を選んだのは失敗だったと思い知る。
自分が岩泉の好みでないことは分かっている。
でも、だからこそ、岩泉の好みそうな清楚な服を選んでいたし、小物だって可愛いものに変えていった。
真面目で清楚な人になりたい。
岩泉の視界に入る女の子になりたい。
ここ最近の八重の努力はまさにこのためだったというのに、現実というものは無情である。
悲しい。
この曲の歌詞を見たくない。
そんな気持ちを抱えながら熱唱し、八重がなんとか1曲歌いきったタイミングで、携帯をいじっていた一人の友人が顔を
上げた。
「ねぇ、男呼んでいい?」
「えっ、誰?」
「D高の友達。なんかこの辺に遊びに来てるらしくてさ」
「かっこいい?」
「あー…まぁ、かっこいい人もいるよ」
「マジで?」
呼ぼう呼ぼう、という流れを特に気に止めず、八重は黙々と次に何を歌おうかと思案する。
失恋ソングはやめて、ひらすらに明るい曲を歌おうとカラオケの履歴を眺めていると、ふとある曲に目が止まった。
そんなにメジャーでは無いが、名前くらいなら知っている、というくらいの知名度のアーティストの曲である。
海外に住む日本人の男に恋をした人魚が、魔女にお願いをして、自身を色鮮やかな鯉に変えてもらい、その後一生をその男の家の池須で過ごす…というストーリー仕立ての曲である。
いつだったか、岩泉がこの曲が好きなのだと言っていた。
最初はメロディが気に入っていただけだったそうだが、後になって歌詞を見てより好きになったのだと言っていた。
「曲調は底抜けに明るいのに、内容は切ないというか…でも、この鯉の一途なところが可愛いよな」
確か、岩泉はそんな事を言っていた気がする。
しかし八重と言えば、岩泉の口から、「コイ」という響きが飛び出すのにいちいちドキドキとするばかりで、これ以上の内容はあまり覚えていない。
そんなある意味で思い入れのある曲を視界の端に、八重は更にその下にある別の曲を選択した。
岩泉の事を考えたくなくてカラオケに来たのに、何故さっきからあの男の事ばかり考えてしまうのだろう。
駄目だ駄目だ、と頭を振ってから、八重は隣の友人に曲予約用の機械を手渡した。
そうして友人達と歌う事30分後、D高の男子が八重達のいる部屋にやって来た。
岩泉の影響か、ここのところ男子と遊びに行っていなかった八重には随分と久しぶりの事のように思えた。
「久しぶり〜」「おじゃましまーす」なんて男女で交わされる会話が、何だか懐かしい。
「八重ちゃん久しぶり、なんか雰囲気変わったね」
そう言いながら、八重の隣に腰掛けたのは、過去に何度か遊んだ事のある男友達である。
綺麗にセットし、染めあげた金髪が印象的な彼は、八重の好みにかなり近い所にいる男である。
見た目は非常に好みだ。
しかしその程度では、自分の中に根付いた『岩泉』という存在を取り除けないのが現実である。
「イメチェンしたんだ…変かな?」
「いやいや、可愛いよ」
可愛いと言われて、嬉しくないはずがない。
しかし、きっと岩泉にそんな事を言われてしまったら、嬉しくて死んでしまいそうだと思った。
池須の中、恋した男に「お前は可愛いなぁ」と言われ、舞い上がる心地で泳ぐあの鯉のように。
「…どうかした?」
「えっ…あ、ううん。何でもない」
駄目だ、また岩泉の事を考えている。
ぼんやりとしていた事を指摘され、八重は慌てて席を立つ。
お手洗いに行く、と理由をつけて気分転換がてら部屋から出て、頭をぶんぶんと振った。
考えたくないのに考えてしまう。
一体どうすればいいのだろう。
そんな事を悶々と考えていたせいか、通路の突き当たりを曲がった所で、見覚えのある人の姿が目に入った。
青葉城西の制服に、ずっと大きい体、黒いツンツンとした髪。
ついに幻覚まで見るようになったのかと八重が驚いたタイミングで、その幻覚であるはずの存在が八重に気付いた。
「あれ…夏目?」
「…えっ」
「偶然だな」と声をかけてくる存在が正真正銘、現実の岩泉一であると気付いて八重は固まる。
「何でここに…」と思わず零すと、「今日部活休みで、カラオケに来てんだ」と最もな事を言われてしまった。
それはそうだ、友達とカラオケに遊びに来るというのが一番多いパターンだろう。
そして「お前もそうだろ?」と当たり前のように岩泉が尋ねてきたタイミングで、最悪な事が起きた。
「八重ちゃん、何してるの?」
ふいに後方からかけられた声に振り向けば、先程八重の隣に座っていたD高の男子が立っていた。
なかなかに金髪が似合っている彼はポケットに手を突っ込み、八重越しに岩泉に視線を向ける。
「ナンパでもされた?」
「ち、違うよ…」
どうしよう。
岩泉にこの人と一緒にカラオケに来ていると思われてしまう。
確かにそうなのだが、私は友達とカラオケに来ていて、彼は後からやってきただけで、決して男遊びをしていたわけではない。
そう言い訳をしようとして岩泉の方に振り向けば、岩泉は無表情のまま八重を見下ろしていた。
何の感情も読み取れないその顔に、八重はそうして現実を突きつけられる。
八重がどこの男と遊んでいたって、岩泉はそんなことどうでもいいのだ。
だって岩泉は私の事を、私が思うように思っていない。
「なぁ、お前なんかしたの?」
いつの間にか八重の隣にまでやって来ていた金髪の彼は、八重が固まっている事に気付いて岩泉を睨む。
彼よりもずっと背が高い岩泉を睨むというのは迫力に欠けるように思えたが、彼の見た目の派手さが、岩泉の純朴さを圧倒していた。
「…何もしてねーよ」
「本当かよ」
じとりと岩泉を睨み上げた彼は、「八重ちゃん戻ろう」と言い、さり気なく八重の手首を掴んで引き戻す。
その勢いで転びそうになった八重は、掴まれた腕を思わず振りほどいた。
勘違いされたくない。
結局どう足掻こうが、その想いの方が勝ってしまった。
「い、岩泉。勘違いしないで欲しいんだけど、私今日友達とここに来てただけで…別に合コンとかに来てたわけじゃないの」
何を勝手に言い訳をしているのだろう、と自分でも思った。
それでも、岩泉に男遊びをしていたのではないのだと分かってもらいたい。
今日だってずっと岩泉の事を考えていたのだ。
だからお願いどうか軽蔑しないで…という縋るような思いで岩泉を見上げると、再び金髪の彼に右手を掴まれた。
「八重ちゃん、戻ろう」
声色に少し怒気が含まれていた。
きっと岩泉の目の前で無下にされたものだから、プライドを傷つけられて怒っているのだ。
自分の失敗にまた気付いて、八重は慌てて謝罪する。
「ごめん…また後で謝るから…先に部屋に戻ってて」
「無理、今戻ろう」
怒っている彼の様子に、八重は泣きたくなった。
岩泉も先程の無表情から一点、やや眉間に皺を寄せた不機嫌そうな表情になる。
何でこうも上手くいかないのだろう。
どうしよう、どうしよう、と八重が焦り始めたタイミングで、八重の手首を掴んでいた手がパシリとはたかれた。
それにギョッとした八重と金髪の彼は、咄嗟に岩泉の方に視線を向ける。
金髪の彼の手をはたき落とした張本人である岩泉は相変わらずの仏頂面で、不機嫌そうな態度を隠そうとせずに八重の手首を掴む。
岩泉の手はガサガサとしていて大きく、その感触に八重は思わずドキリとしてしまった。
「悪い、コイツは俺が借りて行く」
そう言うや否や、岩泉は問答無用で八重の腕を引いて歩き出す。
足の長さの違いが影響してか、八重が小走りにならなければ付いていけない程の速度で歩いて行く岩泉に、なんとか付いて行く。
金髪の彼は「おい!」と食い下がりはしたが、流石に岩泉に睨まれると威圧感が凄まじく、その場に言葉無く立ち尽くしていた。
そうして岩泉と一緒に一度カラオケ店から出て、歩く事1分程。
人通りが少なくなった路地辺りで、岩泉は掴んでいた八重の手を離した。
それが酷く名残惜しく、八重は思わず岩泉の離れていく手を追いかけそうになるが、伸ばした手は空を掴んだ。
「…悪かったな、無理に連れ出して」
「…ううん。ありがとう…岩泉」
「…何の事情か知らねーけど、断るならしっかり断わらねぇとつけ込まれるぞ」
どうやら見かねて、八重をわざわざ連れ出してくれたらしい。
この男のこういうさり気ないところがズルいと思うが、今八重の胸はかつてない程にときめいている。
しかし、ハァ…とため息をついた岩泉は、何故か八重に背中を向けたまま振り返らない。
それを不思議に思い八重が岩泉の肩を叩こうとした瞬間、岩泉は予想外の事を口にした。
「お前、ああいう奴が好きなのか」
「……えっ」
「前に言ってたじゃねーか、金髪のイケメンが好みなんだろ」
何を急に…と八重が戸惑っている様子を、どうやら図星を突かれて固まっていると岩泉は受け取ったらしい。
そうして振り返った岩泉は、不機嫌そうな表情のまま八重を見下ろす。
「見る目ねーな、お前」
「…は」
何故急にそんなことを言うのか、とポカンとした八重ではあったが、じわじわと湧き上がってくる怒りに似た感情に口元を震わせた。
見る目がないとはどういう事なのか。
岩泉の事が好きな自分を否定されたようで、八重は何と言い返そうと口をやや開いたものの、口に出す言葉は頭の中でまとまらない。
そんな八重のもの言いたげな態度に気付いて、岩泉は口火を切る。
「…じゃあ俺が金髪だったら、お前は俺の事好きになるのかよ」
投げやりな言葉ではあったが、岩泉のこの発言を聞いて八重はそれを思い浮かべる。
今目の前に立っている男が金髪になる。
それを想像して思う事は、ただ一つである。
「それはない……」
思っていたより、冷静な言葉が口から出た。
素直すぎる本音を口にしてしまい少し焦った八重ではあったが、それに動揺したのは岩泉の方だった。
大して変わらなかった無表情を初めて崩し、どこか傷ついたような表情を浮かべる岩泉は、ピシリと動きを止めて固まった。
そしてそんな岩泉の様子を眺めながら、八重はここでやっと岩泉に何と言い返すか脳内で固めた。
「私、今のままの岩泉が好きだよ」
「……は」
「金髪とかイケメンとか関係ないよ」
「……」
「さっきわざと連れ出してくれたのも、凄く嬉しかった」
「……夏目」
「だから私、見る目あるもん!」
半ば自棄になり、まるで子供の駄々のような口調で岩泉に食って掛かる。
その勢いと発言の内容に驚いたらしい岩泉は、今度はポカンとした様子で八重を見下ろす。
そうして熱くなったままフーフーと息を荒立てていた八重は、ここで少し冷静になった。
今私は、何を言っただろうか。
「夏目…俺の事好きなのか?」
「……あ…いや…その…!」
途端、カァーと赤くなった八重は何と誤摩化そうかと慌てるも、その態度全てが岩泉に『自身の好意』というものを伝えてしまっている。
どうしよう、どうしよう…と動揺している八重を見下ろしながら、岩泉は先程の辛そうな表情から一転、どこか気が抜けたかのように息を吐き出した。
「…そうか…」
「ちょ、ちょっと勘違いしないでよ!私は別に岩泉の事なんて…」
「…俺の事なんて?」
「……き、きらい…」
嫌い、なんて思ってもない事を言ってしまい、八重は自分で勝手にショックを受ける。
どうしよう、岩泉に嫌いなんて言ってしまった、傷つけたかもしれない、嘘なの違うのどうしよう。
八重がそうやって混乱しているのが目に見えて分かり、岩泉は軽く吹き出すように笑った。
「…なんつー顔してんだよ」
言われた本人より、言った本人の方が傷ついているという不思議な状況の中、岩泉は再び八重の手首を緩く握る。
大きなゴツゴツとした手で包み込まれているはずなのに、逃がさないと言いたげなその手はどこか優しく、酷い矛盾を孕んだものだった。
「…俺は好きだよ、夏目の事」
どこか吹っ切れたかのようにそう言う岩泉に、八重は目を見張る。
好きだよ、と岩泉の口から紡がれた言葉が、じわりと胸に染み込んでいく。
そんな馬鹿な、私は岩泉の好みの女でもないのにどうして…なんて自問自答しながら、八重はここでハッと気付く。
好きになってしまったら好みなんて関係ないのだと、先程自身が言い放った言葉を思い出した。
それは八重だけに当てはまる事ではないのだと、今更気付いた。
「…嘘じゃない?」
「嘘ついてどうするんだよ」
確かにそうだ。
ゴクリ、と息を飲んだ八重は、まるで鯉のようにハクハクと口を動かす。
「ごめん…岩泉…さっきの嘘…」
「……おぉ」
「私も…岩泉の事……」
そうして続いた先の八重の言葉を聞き、岩泉は嬉しそうに笑った。
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