啓、図書館にて。



──図書館が好き。


紙の匂いが好き。新しい刷りたての本の香りも好きだけど、どこか懐かしいような気持ちになる、少しばかり古びた紙の香りも好きだ。


凛とした雰囲気が好き。そこにいる一人ひとりの世界が確立されているような、交わっているようで交わっていないような、そんな雰囲気が好きだ。


ゆるやかに流れる時間が好き。其処に確かに存在しているのに、外界とどこか遮断されたような、そこだけで時間が流れているような空間が好きだ。


本が好き。空想文学は読むだけで私を異世界へと連れて行ってくれる。歴史文学は過去に起こった史実を。ミステリーもおとぎ話も、なんなら絵本だって好きだ。


──そしてなにより、私の大好きな人が、好きな場所だから。


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目が黙々と活字を追う。日の光が少しだけ届かないような、図書館の少し奥まった場所。書架に収められている数々の本の背表紙を眺め、めぼしいものを見つけると取り出し、読みたいモノと値するのかを見極めていく。読みたい、と感じた数冊を片手に抱え、今しがた目を通していた本を書架へと戻し、ため息をひとつついて、気になっていたもう一冊へと手を伸ばして取り出す。


「…なまえ?」


ぱら、と表紙を捲ったところで、小さな声で名前を呼ばれた。視線を持ち上げると、書架への入り口に八戒が立ちなまえに向かって微笑みかけている。その手には、なまえと同じく何冊かの本が抱えられていた。


「八戒、もう終わったの?」
「ええ、今日は初めから決めていたもので」
「そっか」


手に抱えた本へと一度視線を落とした八戒は、もう一度なまえへと目を向け、ゆっくりと歩みを進めて傍へと寄り添ってきた。


「何にしたんですか?」
「んと。ちょっと悩んでて」
「おや、珍しい」
「んー…面白そうなのがいっぱいあって」


ごめんね、ちょっと待って。
そう一言八戒へと断りを入れ、なまえは再び本へと視線を落とした。始まりの数行へと目を通していく。ちょっと面白そうかも、と思ったところで、トントン、と肩へ指先が触れる感覚がした。


「? 八戒どしたの──ンぐ」


自分を呼ぶかのように触れられた八戒の指に反応して目線を上げる。すると、いたずらっ子のようににっこりとした微笑みを浮かべた八戒の顔が近づいてきて、あ、と思う間もなく唇がふさがれた。


「んぅ」
「…こら、シー」


驚きに思わず声を漏らすと、人差し指をなまえの唇へと押し付けて八戒が笑う。


「…どしたの、八戒」
「……いえ、ちょっと楽しくなっちゃって」
「…楽しくって…ん、」


言い終る前にもう一度唇を塞がれて、抗議の声を出すことはかなわなかった。ちょっとイケナイ事してるみたいじゃないですか?唇が触れ合いそうな距離でそう囁く八戒の言葉。言い終ると同時に、形の良い唇がもう一度降ってきて。啄むような口づけが飽きることなく続いた。


絶対楽しそうな顔してやってるな、と降ってくる唇を受け止めながらなまえは心の中でそう考えた。願わくば、今この場所に、誰も来ないでほしい、と願いながら。ともするとずり落ちてしまいそうになる、腕の中にある本をぎゅっと握りしめたのだった。