Dear,愛を込めて


「今日、うちに来ない?」


──なんて、お決まりの台詞でごく自然に誘った。きっと、あの人はこの日を特別なモノだなんて思ってはいないだろうということは、長い付き合いの中で理解はしているつもりだ。その言葉は二つ返事で快諾され、なまえはほっと溜息をつく。別にばれて困ることはないが、多忙な彼のことだ、断られる可能性を考えないわけでもなかった。


ぶらぶらと街を歩きながら、夕飯で食べる食材を買い出しへ。自然と腰に回されたままの腕に、“仲間”として過ごしてきた時間が出会ってからの時間の中での8割を占めてきてただけあって、まだ気恥ずかしさを感じる。しかし、それは変化した関係性を感じる瞬間でもあり、自然と頬は緩んでいった。買い出しした店の先で、「まさかあんたがねェ」──なんて、以前の女遊びっぷりを知るであろう女店主がしみじみと呟き、「それ何度目だよ」という言葉と笑い声とともに悟浄が一蹴する様子を傍目に、なんとも言えない顔で笑いながらやり過ごした。


暇を持て余した悟浄に時折邪魔をされながら、夕食の支度を手早く済ませる。お洒落なディナーなんて自分たちに似合わないことは百も承知。ぐつぐつと湯気を立て続ける鍋の中身を二人でつつきながら、他愛もない話をして。悟浄は上機嫌に缶ビールをあおり、その様子を見てなまえは飲みすぎないでね、と唇を尖らせた。


夕食を終えた後は二人でシンクに並び、皿を片付けて、片手間にコーヒーメーカーをセットして珈琲を淹れた。二人分のマグにコーヒーを入れたところではたと気付き、「悟浄はお酒の方がいい?」と小首をかしげて尋ねると、いや貰うわ、と珍しい返事が返ってきた。


マグを持ちながら二人ソファに座り、テレビを見ながら他愛もない話を繰り返す。時折黙ってみたり、テレビ番組の内容にケチをつけたりしながら。ソファの背もたれをたどり、自然と肩に回された腕の感触になまえは顔をほころばせ、悟浄の首筋に頭をもたれかけるように身体を寄り添わせた。くるくると髪の毛をもてあそぶ指先が、時折くすぐるように耳たぶや首筋をついとなぞるが、気付かないフリをして。


あと少し、もう少し


カチリという微かな音にハッとして時計に目を向けると、短針と長針が重なり合い、0時を示していた。なまえは持っていたマグをテーブルに置き、首筋に寄せていた顔を持ち上げてすぐそばにある悟浄の顔を見上げる。


「悟浄」
「…あ?」
「お誕生日おめでと」


その言葉とともに、数センチ先にあったその頬に、ちゅ、と音を立てて口づけをひとつ落とした。唇を離し、気恥ずかしさを隠すようにぐりぐりと首筋に再度顔をうずめる。これまでにたくさんの女性経験があるであろうこの男を目の前に、なんと幼稚なキスだろうか。自分でやっておきながら、羞恥と少しの満足感とが身体を満たし、顔が熱く火照るのがイヤでも解る。


「…なまえ」
「…」
「なまえ、顔上げろって」


頬を掬われるかのように添えられた手に、反抗することもできずについと顔を上げた。


「…サンキュー、なまえチャン」


その先に見えた悟浄が、見たことのないような表情をしていたから。なまえはじわりと温かいような、それでいて寂しいような切ないような、そして愛おしいような気持ちで心が満たされていくのを感じた。そして、なまえのキスに負けずなんとも悟浄らしからぬ様子でぎこちなく唇に落とされた柔らかな口づけを、瞼をそっと閉じて受け止めた。


──どこか遠くで、ぷつりと、テレビの電源が落とされたのを感じながら。