しいほどに





チチ、と小鳥が声高く鳴いている。朝日がキラキラと朝露に付着した木々を照らしている。朝特有のひんやりとした冷たさが未だ残っているようで、肌に触れる空気は爽やかで気持ちがいい。なまえはその空気の中、真っ赤な林檎が山と積まれたかごを両手に持ち、悟浄の家の扉の前に立っていた。


(…まだ寝てるかなぁ…)


たまたま、食べきれないだけの林檎を貰い、ダメにしてしまうなら、とおすそ分けに持ってきたのだが、時間帯を間違ったかもしれない。


昼夜逆転した生活を送っている、この家の家主のことをぼんやりと考え、なまえはほんの一瞬、その扉を開けることをためらった。コン、と控えめに一度叩いてみるが、やはり返答はない。今日この時間、悟浄の同居人である八戒はすでに出かけているはずであるので、いるとすれば悟浄その人しか考えられないのである。この時間家にいるはずのある家主からの返答がないということは、やはり今なお夢の中だろうか。


林檎の入ったかごを地面に置き、ドアノブに手をかける。もしや、と思いノブをひねってみると──なまえの予想は的中し、カチャリ、と軽い音を立てて数センチドアが開いた。相変わらず不用心だなあ、と小さなため息をつく。


「…おじゃましまぁす…」


控えめに声をかけ、そっと室内を覗いてみる。すると、室内に備え付けられたソファに、だらりとした足が引っかかっているのが見えた。
珍しいこともあるものだ、となまえは思う。いつもであれば、悟浄がソファに眠っていると、八戒が有無を言わさず転がり落とすなどして起こし、部屋へと移動させるというのに。


なまえは、そーっとソファに近づき、その上に転がって眠っているであろう家主の顔を覗き込んだ。なまえが予想した通り、そこには口を半開きにし、気持ちよさそうに眠っている悟浄の姿。今日も朝まで飲んでいたのだろう、かすかに酒の匂いが漂っている。


「……もう」


小さくため息をつき、持ってきた林檎をテーブルの上に置く。そうして、もう一度ちらりと視線を悟浄の方へと向けた。相変わらずの姿勢で眠っているその姿。心地よく夢でもみているのだろう、起きる気配は全くと言っていいほど感じられない。


音を立てないように、注意しながら、なまえは眠っている悟浄の傍に近づいた。好奇心から、しゃがみ込み、ぐうぐうと眠っている、その顔を覗き込む。


改めて、綺麗な顔だな、と感嘆した。


半開きになった唇は、お世辞にも引き締まった表情とは言い難いけれども。一つ一つのパーツが洗練されたように整っているその顔をまじまじと見つめてみた。
まつげ長いな、不健康な生活をしてるはずなのに肌が綺麗だな、鼻が高いなあ…憎らしいほど整った顔つきに、なまえは思わず眠っている悟浄の鼻を、親指と人差し指でつまんだ。ふが、と少し苦しそうに顔をゆがめた表情を見て、ふふっと微笑んだ。


──ああ、好きだなぁ。


だらしなくて、女癖が悪くて、酒癖が悪くて。でも、どこか憎めなくて、いい人で、優しくて、仲間想いで。そんな悟浄のことが、心から。


その想いに駆られるかのように、引き寄せられるかのように自然に。
…ちゅ、と小さな音を立てて、眠っている悟浄のその唇に、自分の唇をくっ付けた。──すると。


「──それで終わり?」
「へ?…っわ!」


ぐい、と腕を引かれて思わず間抜けな声を上げた。まさか、と顔を上げると、ニヤニヤと意地悪く笑みを浮かべる悟浄の姿。いつから起きていたのか?どこから聞いていたのか?ぐるぐると思考を巡らせ、そして──自分のしでかしてしまったことを思い出し、なまえは隠れるように広い胸板に顔をうずめた。


「まー可愛いことしてくれて」
「……いつから起きてたの?」
「ン?…初めから」
「…もう、馬鹿」


起きてるなら、起きてるって、言ってくれればいいのに。この男は、こういうところがある。意地悪くて、計算高くて、──でも。


「…で?なまえチャン?」
「……」
「俺としては、もう一回してくれたら嬉しいななんて、思ってるンだけど」


ああ、いたずらに笑う悟浄の顔が、見えないはずなのに容易に想像できる。そろり、と視線を上げると、ほら、やはり思ったとおりの表情をした男がそこにいた。──してやったり、と言いたそうな表情が、憎たらしくて。


ん、とわざとらしく瞳をつむって、唇を尖らせる悟浄の薄い唇をふさぐように、なまえはもう一度口づけを落とした。