俺という存在はちっぽけなものだ。
生まれも何かも覚えてない。気づいたら排水溝の下にいて、合間から刺す光をただ眺めている存在だった。

「きみはだあれ」

振動。音が聞こえる。上から。何か。

「……」

今なら何を話していたのか分かるが、当時は上から何か音がすることぐらいしか分からなかった。
暫くすると音は消えて、また時間が経つと音が聞こえてくる。

「こんにちは」

ある日、いつものように音が聞こえた。
その音に反応して、俺は同じ音を出した。

『ー−−ちは』

「えっ!!」

聞こえてくる音が変わる。その音が面白くて、同じように繰り返した。
反応するたびに音を出してくれるようになった。
そうして、少しずつ音を覚えていった。けれど、繰り返していると、だんだんと聞こえてくる音が少なくなっていった。何故か、それがいけないことのように感じて、どうにかしないといけないと思った。そういえば、上からくる音は繰り返さずに色んな音を返していた。
自分も今まで覚えた音を返せばいいのではないかと考えた。

「こんにちは」

今までの音から別の音を出す。

『ねちょ、どこからきたの』

「ねちょ!!すごい!!おはなしできるの?」

『ぼくは、ここのちかくのいえにすんでるの』

「そうなんだ!!いっしょだね!!」

それからというもの、排水溝で話すようになった。音が長く聞けるのが嬉しい。けれど、それも長く続かない。また、別のことをしないと。そうだ、そのカタチを真似をしてみよう。
こうして俺は上から聞こえる、音を出すモノのカタチを真似をした。むくむくと大きくなり、重い蓋のような物、所謂グレーチングを押し除けて目の前のカタチと同じになった。

「え?ねちょ、ぼくになれるの」

『こんにちは』

「すごい!」

ヨタカから良い音が出る。
それからはヨタカ、と呼ばれるモノの形をマネした。

ヨタカに音を出してもらうにはどうしたらいいか、ひたすら考えた。
ヨタカの形になると、思考が鮮明になる。 
音も聞こえるし、体を動かせる。そして、視覚が分かる。
外部からの刺激が伝わると、もっとたくさん考えるようになった。
外にはヨタカ以外の似たカタチがあることに気がつく。
他のカタチを真似してヨタカに見せてみよう。

「こんにちは……」

いつもとヨタカの反応が違う。音が弱々しい。ヨタカよりも大きいのはよくないのか。

『こんにちは』

「え、もしかして、ねちょ?」

俺の音を聞いたら、ヨタカはいつもの良い音になった。この音の方が好きだ。
その後もヨタカにいろんな形を見せ続けたら、ヨタカと同じようなカタチだと、ヨタカから良い音が出るってことがわかった。

そうして、色んなカタチを見て真似して歩いていると、突然大きなカタチがこちらを見て音を出した。

「ボク、どこの家の子?」

それからというもの、何も分からないまま時が過ぎて、大きなカタチのモノが2ついるところに連れて行かれた。

ーーーそれが俺の義理の両親であり、子育てが終わった60代の里親だ。真崎登呂(まさきとろ)という名前を与えられ、実の息子のように扱ってくれた。やってきた当時はどうしようかとあたふたして、今までの音を繰り返すと、知的障害だと認識されたのか、人間や言語というものを少しずつ教えてくれた。その後暫くしてから保育園に入り、集団生活の勉強をした。姿が保てず液体になり、女の子に泣かれ気絶されたり、会話が頓珍漢になったり、大変だったが幼稚園児の時には何なく会話が出来るようになった。

それから小学生になって、ヨタカと呼ばれる少年と同じクラスになった。あのヨタカだ。排水溝にいた、好きな声の子。ヨタカとは初めて会う子として振る舞った。排水溝にいたのが自分だと言ったら、拒絶されるような気がしたから。その分、真崎登呂として仲良くなろうと決意した。

四鷹は、思っていたよりも内気で、なかなか喋ってくれなかったが、毎日話してるうちに心を許してくれた。

そして、ある日外で一緒に遊んだ時、昔の自分の話をしてくれた。

「だれもしんじてくれないんだけどね、ここに、まっくろなこがいたの。ねちょねちょって音してたからネチョって名前つけてた。まいにちはなしてたらおはなししてくれるようになったんだけど、とつぜんいなくなっちゃった」

紛れもなく、これは自分の話だ。四鷹が覚えていてくれて嬉しいのと同時に、ネチョって名前を付けられていたのかと内心はにかむ。そして、この話をしてくれるほど、今の自分たちは仲良くなれたのだと気づいて心が躍った。

「そっか……。ネチョにまた会いたい?」

「ううん。怖いからあいたくない」

「え」

四鷹にそう言われ、どくりと心臓が
鳴った。これが何なのか分からない。体の異変には気づかないふりをして、真意を探る。

「怖いって?」

「ネチョはいたらいけないもの、タタリガミ?なんだって。そのまま、おはなしつづけてたらしんでたよっていわれたの」

そんなはずない。
四鷹の命を取ろうだなんて思ったことない。なぜ人間は見てもいないものを捏造する?他の人間が俺から四鷹を引きはがそうとしているのか?
イライラする。俺の全てが、四鷹を離さない。離しちゃダメだって叫んでいる。

「……そっか、なら俺から離れちゃだめだよ」

「う、うん」

その日は四鷹の手をぎゅっと強く掴んで帰った。

そして、年月が経ち中学生になった。
俺という存在は液体を人間に模しているだけだから、体は勝手に成長しない。必死に周りの成長を見つつ、自分の顔と照らし合わせて自分の体を調整していくしかない。中身も感覚も他の人間に合わせて少しずつ調整していく。どこか少しでも異変があれば、自分は四鷹の隣にはいられない。この社会では理解のできないものは排除されるだけだ。
ー−−本当は四鷹のように、成長痛を味わいたかった。

思春期。クラスにいる人間たちは色恋に染まった。それは、四鷹も変わらない。

「斎藤さん優しいよなー。カースト最底辺の俺にも優しいし」

そっと照れたように笑う四鷹に、初めて内臓が圧し潰されたような思いがした。

「……」

「登呂?」

「殺してもいい?」

「え?」

「その女」

そいつを殺したい。この時の俺はそのことで頭がいっぱいだった。殺しは良くないと、両親や本からなんとなく学んだが俺自身はそう思ってない。それは人間限定の話だ。動物には殺しをして、同族を殺してはいけないなんて、俺からしたら矛盾以外の何物でもない。不快なもの、分からないものは消し去る。これが人間だろう。

「お前……本気か?ダメだぞ、いくら嫌いだからって……」

「なら、四鷹は、嫌いな奴がいたらどうするの」

「そりゃあ……なるべく近寄らないようにするよ、わざと遠ざけたりとか」

「わざと遠ざける……」

近寄らないようにするには無理がある。四鷹は隣にいるから、いやでも女の話を聞かなくてはいけない。だが、わざと遠ざけるのであれば可能そうだ。その女に関心を寄せないように、四鷹の目に入らないようにすればいい。

ーーーそのためには俺自身にずっと目を向けさせないと。

同じ人間とずっと一緒にいると、飽きるというが、俺は四鷹といても全然飽きない。寧ろずっと一緒にいたいと思ってしまう。排水溝で聞いた時から四鷹の声が好きだ。変声期を迎えて、低くなった今でも魅力的で俺を飽きさせることは無い。

けれど、四鷹はどうだろうか。
四鷹は俺とずっと一緒にいてくれるし、幼馴染として認識してくれてはいるだろうが、永遠に一緒にいようとは考えていないだろう。だから、手を打つ。

「四鷹、これ好きだよね」

「これ、パリモン!?」

両親に頼んで四鷹が好きなパリモンを買ってもらった。頼んだ時は驚愕の表情を浮かべられたが、貴方も男の子なのねと笑っていた。

「2つ買ったんだ、四鷹と遊びたいから」

「え、本当に!!」

「2人で一緒にパリモンしよう」

「うん!やろやろ!」

そうして、昼休みはスオッチを学校に持ってきて、2人でひたすらパリモンをやった。

パリモンに飽きたら、次のゲームを用意する。四鷹は驚くくらい喜んで食い付いていた。喜んでる声が可愛い。流石に3作品目くらいで遠慮し始めたが、四鷹とやるの楽しいから買ってるんだ。と言うと「登呂がそういうなら仕方ないなー」と受け取ってくれた。

これで四鷹の口から、あの女の名前を聞くことは無くなった。その代わり俺と四鷹の会話はたくさん増えた。そのまま2年間俺たちはひたすらゲーム漬けの日々を送った。

「来年受験だなー俺たち」

「俺が教えようか?」

「一緒にゲームしてた人がなんで頭いいんですかねー」

「脳の作りが違うから?」

「嫌味かよ!!」

嫌味でなく本当のことだ。
俺には3大欲求がない。睡眠欲、食欲。性欲。人間にはあるはずのものが欠如している。寝なくてもいいし、食べなくてもいい(両親が心配するから朝食、夕飯、晩飯は食べているが)性欲もさほど湧かない。だから、勉強の時間は無限にあった。

四鷹を俺なしでは生きられないようにしなくては。そうじゃないと、四鷹はいつか俺から離れていってしまう。

それから1年間、お互いの家を行き来する毎日だった。四鷹の親が息子に興味がない人物だということが分かったので遠慮なく行くことができた。そうして、ゲームと勉強を交互に行なった。人間の集中力はこんなにも短いのかと驚いたが、四鷹の為にスケジュールを組むのはとても楽しかった。

いよいよ合格発表の日。四鷹は赤いマフラーを巻いて、口元を毛糸の手袋で包み込みながら、はぁーっと白い息を手に吐いて掲示板の前で待っていた。四鷹が掲示板に集中し、並ぶ番号に視線を走らせるなか、俺は四鷹の緊張して強張っている顔を見ていた。俺も確認しようかと思った瞬間、四鷹の顔がゆっくりと綻んだ。きっとそれは一瞬だったが、俺からしたら時間がゆっくり流れて見えた。そして、こちらの手に持った番号をちらりと目で確認して、掲示板にまた目を走らせる。俺の合格番号が記載されているのを目に留めた瞬間、四鷹に飛びつかれた。四鷹が転ばないように体勢を整える。低い位置にあった四鷹の視線が顔に向けられる。その顔は清々しいほどに喜びに満ち溢れていた。

「やった……俺達合格できた……!全部、全部登呂のおかげだ……!!」

「っ……ぁ」

笑っているのに、泣き腫らした顔が、涙がとても美しくて、声が音にしかならない。四鷹の肌の温度、いつもと違う声、真っ赤な顔。呆然と眺めていると、四鷹は恥ずかしく思ったのかマフラーに顔を埋めてしまった。全てを一瞬の間に頭の中に敷き詰められて、下半身に熱が集中するのを感じた。

ーーーこの時、俺は初めて四鷹に発情した。

その後のことはあまり記憶がない。四鷹と途中で別れた後、デパートのトイレの中に駆け込み、膨らんだ欲望に手を伸ばす。今まで、性欲処理なんてしたことなかった。俺はあくまで無機物のようなものだから、こんなものとは無縁だと思っていたのに。そっと手を動かして上下に擦ると、ピリリとした感覚が下半身をさらに重くさせる。擦るたびにどんどん息が荒くなって、四鷹の顔が頭に浮かびあがる。普通と評されるその顔が体が声が、俺を堪らなく興奮させる。

四鷹の声を聞きたい。

四鷹に認識して欲しい。

四鷹に触れて欲しい。

四鷹にずっと見ていて欲しい。

四鷹に触れたい。

四鷹に好かれたい。

四鷹の中に射精したい。

ーーー四鷹を、孕ませたい。

「はぁっ……四鷹っ……!」

ぶびゅるるるる♥
  
手の平に四鷹専用の子種をばら撒く。これを四鷹の体の中に入れて、お腹が膨れるほどに注ぎ込みたい。興奮は収まらず、走って家に帰り、スマートフォンの中にある合格祝いの笑顔の四鷹を見て射精した。
あぁ。四鷹……可愛い。孕ませたい。でも、四鷹を孕ませることはできない。四鷹は男で、俺も肉体は人間の男だ。女になって四鷹の子供を、とも考えたが気を張っていない可愛い四鷹の顔を見ることができるのは、同性で頼れる幼馴染というポジションにいるからだ。それに、四鷹を善がらせて、抱き潰せるなら男の方が好都合だ。

人間の男同士では、セックスの先に何もない。もちろん、それでも幸せだという人間がいることは知っている。一緒にいたり、愛を囁いたり、抱きしめあうだけでも充実感を得られるのならそれで良い。けれど、俺はそれだけじゃ足りない。俺の体は人間ではないから遺伝子はないけれど、模したものであっても残したい。今のまま死んでしまえば四鷹との愛はこの人生だけで終わってしまうが、子供を設ければそれは代々続いていってくれる。四鷹との愛を未来の遺伝子に残したい。

それからは、四鷹の中にどう子供を作ろうか四六時中考える毎日だった。
保健体育は学校の授業内で一番集中して聞いていたような気がする。

「真面目に聞きすぎだろ、むっつりかよ」

屈託なく笑う君に、俺との子を孕んでもらうためだよって耳元で囁いたらどんな顔をするんだろう。
そんな想像をして、心臓がドクドクドクと血流を早めた。もう待てない。四鷹が俺以外の誰かに遺伝子をばら蒔いてしまうかもしれない。早く、四鷹を、孕ませたい。俺の子供を産ませたい。

ありとあらゆる医学書を読みながら、自分の体を分裂させ、想像で四鷹の解剖図を作る。四鷹には言えないことをやり、2年経ってからようやく四鷹に孕ませられると確信が持てるようになった。

次に、四鷹と子作りするための方法を考える。四鷹は生粋の異性愛者だから、告白は意味をなさないし、だからと言って自ら肉体だけの関係になるのは……できれば避けたい。だから……あぁ。そうだ。既成事実を作ってしまおう。そうすれば四鷹は俺から逃げられない。

当初の計画では四鷹にスライムだとバラして反応を見て、考えたくはないが拒否反応なら……無理矢理孕ませて人格を変えない程度に洗脳し、好反応だったらそのまま正攻法でいこうと考えた。

けれど四鷹は本当に可愛い。自らご褒美の飴を与えてくれるなんて。

自分の正体をバラしたとき、なるべく拒否反応が出ないように、ネチョだと特定できないように透明なスライムにしたつもりだったが、思ったよりも否定的な反応でかなり心を抉られた。けれど、その後登呂だからと言われ、理解したいと歩み寄られてしまった。

ーーーもう、孕ませるしかない。

自ら賭けなんて飴を与えてきたんだ。
四鷹が全部悪い。

「四鷹……」

四鷹はぐっすりと寝入っている。
これから起こることも知らないまま。

四鷹の中に俺の体の一部を入れて擬似子宮を作った。
四鷹の薄い腹が膨らむ程、中に精子を注ぎ込んだから、確実に孕むだろう。本当はもっと気絶している四鷹の腹に思いっきり肉棒を突き刺して目を醒ましてやりたい。でも、我慢しなきゃ。
ー−−四鷹の子宮には俺の子がいるから。
これからは四鷹の体を作り変えていく。子供が産めるように骨格を少し変えたり、母乳が出るようにしたい。
四鷹なら全部分かってくれるはずだ。分かってくれないなら、分かるようにたくさん教えてあげればいい。四鷹の体の中にも、心にも、遺伝子にも全部入り込んであげる。

絶対に幸せにするから、安心してね四鷹。
book / home