罪悪感


「これは何かな、お嬢さん」

そう言って鶴見中尉が掲げたのは、今日の朝一に郵便局に出したはずの手紙だった。その宛名には陸軍省に務める父の名が記されている。それが単に娘から父に宛てた近況を知らせる手紙でないことは、きっと彼も気付いている。その証拠に、手紙の封は既に切られているのだから。

「はて、それが何か……? 宛名は確かに私の父ですが、差出人の名に見覚えはありませんよ」

なんて、そんなとぼけに一縷の望みを掛けてみる。無論、彼はそれを偽名と知っているからわざわざ私に確認してきたのだろうが。月夜に照らされた鶴見中尉の浮かべる笑みが、やけに恐ろしく思えた。

「おや、これは失敬。お嬢さんによく似た人がこれを出したと聞いたものでね」
「この世には自分とよく似た人間が三人はいると言いますから」

にこにこと互いに貼り付けた笑みを交わしたのちに、鶴見中尉は半歩後ろにいた部下に視線を移した。

「⋯⋯月島、お嬢さんを送って差し上げなさい。女性の夜の一人歩きは危ない」

月島軍曹が短い返事ののちに彼の一歩前に出ると、鶴見中尉は「では私はこれで」と軽い会釈をして踵を返した。そして何かを思い出したようにぴたりと歩みを止める。

「あぁ、最近ヒグマが人里に下りてくることがあるそうだから、お気をつけて」
「お気遣い痛み入ります」

今度こそ彼はその場を後にして、ガチャリ。耳元で金属音が響く。

「由緒ある家柄に生まれるというのも難儀なものだな」
「あら、同情してくださるのですか? 安心してください、私は軍人の娘に産まれたことを誇りに思っていますよ」

「それに、」と彼の方を見る。こめかみに宛てがわれていた銃口を掴んで、今度は自身の額へと押し当てた。

「宇佐美上等兵殿や尾形上等兵殿ではなく、貴方に殺して頂けるなんて幸せです」
「⋯⋯世迷い言を」
「だって貴方なら、その胸で私を飼ってくださるでしょう?」

───罪悪感として。

パァン。強烈な破裂音と共に真っ暗闇が訪れた。



「お迎えに上がりましたよ」

瞼を持ち上げる前から、月島はその声の主が誰なのか理解していた。また来たか、と諦めのような思いを抱きながらその姿を捉えれば、そこにいたのはやはり予想通りの人物で。

「……まだそちらに行く気はない」

枕元に佇むその女は、口元に手を当ててにんまり目を細めた。

「なんともしぶとい御方ですこと。頸をやられて生きているなんて」
「期待に添えず悪かったな」

女から視線を逸らし、壁の方へと顔を向ける。キロランケの罠によって抉られた皮膚が刺すような痛みを訴えたが、それよりも彼女を視界に入れておく方が苦しかった。

中央の間者だったその女。だった、というのは、彼女は数年前に死んでその役目を終えているのだ。つまり、ここにいるのはその女の亡霊である。鶴見の命令を受け、月島がその手で殺したのだ。これまで何人もの人間が彼の手によって葬られて来たが、そこに名を連ねる女は今のところ彼女だけである。その印象の強さがこうして幻影を見せているのか、それともよくある怪談話のように取り憑かれてしまったのか。月島には未だその判断がつかなかった。

女はしょっちゅう月島の前に現れた。それは決まって人の生死が関わる時で、その殆どが月島が銃を構えた時だった。引き金に指をかけたところでふっと背後に現れて「あらぁ、今度はあの殿方ですか」と軽い口調で耳打ちしてくるのだ。最初こそ驚いて撃ち損ねたこともあったが、何度かやられるうちにすっかり慣れてしまった。毎度毎度さも愉快そうに言ってくるところを見るに、どうやら悪戯のつもりらしい。随分と趣味の悪い女である。

「いつになったら消えてくれるんだ」
「死がふたりを分かつまで、とでも申しましょうか」
「……お前はもう死んでるだろう」
「貴方の死ですよ、ご承知でしょう? 貴方の中で生き続けるとお伝えしたじゃありませんか」

ふふふ、と女は頬に冷笑を漂わせる。それは彼女が死ぬ間際に見せた表情と殆ど同じものだった。罪悪感としてその胸に巣食うのだと笑ったあの顔は、ずっと月島の脳裏にこびり付いて離れない。まんまと彼女の言った通りになったのだ。

「彼岸でお待ちしております。江渡貝さんも会いたがっていましたよ」

思いがけない言葉に、月島は咄嗟に彼女の方を振り返った。が、そこにはもう亡霊の姿はない。してやられた、と月島は深いため息を落とした。



ヴーッ ヴーッ

テーブルの上で震えるスマホの音で、月島ははっと目を覚ました。昨日レンタルした映画を見ていたつもりがいつの間にか眠ってしまったらしい。映画は既に終わったようで、テレビには最初のメニュー画面が表示されている。

何だか酷く懐かしい夢を見ていた気がする。が、あと少しの所で思い出せない。スマホが未だ激しくその存在を主張して、思考の邪魔をしてくるせいもある。月島はようやくそれに手を伸ばして着信画面を確認した。

「あ、」

「鯉登さん」の文字列を確認したと同時に、着信画面は不在着信の通知に切り替わってしまった。慌ててそれをタップして、スマホを耳に宛てがう。呼出音が1回鳴ってすぐに電話は繋がって、「すみません」と言うよりも「月島ァ!」と名を呼ばれる方が早かった。その大きな声は寝起きの頭にかなり響いた。

「……なんですか」
「杉元から聞いたんだが、今日は祭りがあるらしいぞ!」
「祭り、」
「花火も上がるそうだ!」

少しばかり回りの遅い頭で彼の言葉を反芻している内に、ピンポーンと軽快なチャイム音が鳴った。月島は思わず顔を顰めて、眉間に指を押し当てた。この人はどうしてこう、いつも急なんだ。内心そんな文句を垂れつつ、のそりとソファから立ち上がる。

「……俺に予定があったらどうするつもりだったんですか」

玄関ドアを開けた先、袋に入ったままの新品の浴衣を掲げ満面の笑みを浮かべる男を見て、月島はため息混じりにぼやいた。



祭り会場は浴衣姿の男女や家族連れでごった返していた。群衆の熱気と昼間の激しい陽光の名残でいやに蒸し暑い。たくしあげた浴衣の袖は、新品ということもあって糊が効きすぎているのかごわごわしている。どこかで団扇でも配っていないかと辺りを見回したが、この人混みで見つけるのは難しそうだ。

「月島ァ!見ろ、お面だ!」
「はぁ、そうですね」

月島があまりの暑さに辟易しているのを他所に、鯉登は存分に祭りを楽しんでいた。たこ焼きにイカ焼きにフライドポテト、そしてりんご飴を食べた上に今は唐揚げをその手に持っている。この暑さの中よくそんなに食べられるものだといっそ感心してしまう。夏バテと無縁そうなのは若さ故かと、月島は唯一買った缶ビールに口をつけた。

「この狐など可愛らしいではないか」
「……本当に買う気ですか? どうせ今日しか使わないでしょう」
「こういうのは雰囲気が大事なんだ。全く、面白味のない男だ」

鯉登はふんと鼻で笑うと、露店の店員に声を掛けその狐のお面を購入した。「それで千円か」なんて率直な感想を口にしてしまえば、きっとまた「面白味がない」と言われてしまうのだろう。月島は鯉登の頭に被さったお面を一瞥するだけに留めた。

「お、射的があるぞ。月島、やってみろ」
「いえ私は……」
「銃はお前の方が得意だっただろう」
「……いつの話をしているんですか」

呆れたような月島の言葉を無視して、鯉登が足早に射的の露店へと向かう。ひとつため息をついたのちに不承不承その背中を追えば、「ほら」と射的用のピストルと3つのコルクを手渡された。「銃はお前の方が得意だっただろう」だなんて、この身体では手にしたことさえないと言うのに。それに、あの頃持っていた本物とは大きさも重さもまるで違う。まぁそれを言い訳にしたところで、失敗した日にはこの先数ヶ月は笑いのネタにされるのだろう。

「……どれを狙えば?」
「一番大きいやつにしよう。あの一番上の」

そう言って鯉登が指さしたのは、特大サイズのお菓子の詰め合わせだった。よく分からない玩具やキャラクターグッズよりはましかと思いながら、月島はコルクをピストルの先に詰めた。やけに軽いピストルを構え、じっと目標に狙いを定める。丁度その時、花火が打ち上がったらしくパァンと大きな破裂音がひとつ空に響いた。

――――あらぁ、今度はあの殿方ですか

突然脳裏を掠めたあの声にはっとする。ひどく蒸し暑かったはずなのに、ぞっと冷たいものが背中を走り抜けた。いや、まさか。そんなはずはないと思いながらも、すぐ隣に感じる人の気配に嫌な予感がにじり寄る。

「…………お前は、」

おそるおそる移した視線の先には、あの女の姿があった。酷く疎ましかったあの微笑を頬に携えて。

「あら、覚えていて下さったんですね!」

ぱちん、と女がひとつ手を叩く。それから彼女の唇が、音を乗せずに言葉を紡いだ。

「罪悪感」


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