事実は小説よりも奇なり
陸軍監獄にて月島死刑囚との面会を果たした鶴見は、その数日後に月島の故郷である佐渡を訪れていた。本土から船で半日、辿り着いたそこは実にのどかな島だった。月島が生まれ育ったという宿根木は港からほど近いところにある。迷路のように入り組んだその街並みを、鶴見はじっくり見渡しながら歩いた。
島外の人間、それも軍人が珍しいのか、島の者たちはすれ違う度にちらちらと鶴見に視線を寄越した。それを特段気にすることもなく歩みを進めていれば、「もし、そこの兵隊さん」後ろから女性の呼び声がした。
「はい、何か?」
振り返れば、若い女がすぐ後ろに立っていた。年齢は二十歳そこそこだろうか。長い髪を下の方でまとめ、苔色の地味な着物を着ている。女は帯の前でもじもじと両手を擦り合わせながら「あの、」「えっと」と口篭るばかりで、中々話を切り出そうとしない。鶴見は女の視線が右へ左へと忙しなく動いている事に気が付いて、ちらりと周囲を盗み見た。なるほど島民たちがじっとこちらを見つめている。
「この町の方ですか?」
「あ……は、ハイ」
「尖閣湾に行きたいのですが、良ければ案内して頂けませんか」
女は破顔して、それからこくこくと何度も頷いたのだった。
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「こんな辺鄙な町に何用で?」
「少し調査を。軍の機密で仔細は言えませんが」
「……あぁ、そうですか」
馬車に揺られながら、女はじっと窓の外を眺めていた。先程いた宿根木から尖閣湾までは結構な距離があるらしく、徒歩で行こうものなら着く頃には夜になってしまうとのことだった。
「兵隊さんは、月島基という男をご存知ですか」
ふと落とされた彼女の言葉に、これは予定していたよりも早く情報を得られそうだと鶴見は内心ほくそ笑む。
「名前は何度か。有能な人間だと聞いていましたが、確か尊属殺人で死刑囚になったとか……」
女はぎゅっと着物の裾を握った。それからゆっくり鶴見の方を向いて、縋るように彼の顔をのぞきこんだ。
「
――――彼を、月島くんを助けてはくれませんか」
小刻みに震える彼女の拳を見下ろして、鶴見は「どういうことかな」とできるだけ感情を押し殺した声でそう返した。そうでもしないと思わぬ大収穫に声が上擦ってしまいそうだった。
「私の、……私のせいなんです」
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女には春見ちよという幼馴染がいた。くせっ毛頭の目立つ、器量の良い美人な娘。歳が近いこともあって、2人はいつも一緒にいた。
「ちよちゃんが、『基ちゃんが戦争から帰ってきたら駆け落ちするんだ』っそり教えてくれて。……でも私、反対したんです」
なにせ月島は町一番の荒くれ者である。そのうえ父親は殺人の罪を犯した罪人であった。月島親子と言えばこの島で知らない者はいない。きっと一緒になったところで苦労するに違いない、と。しかしちよはそんな彼女の心配に全く聞く耳を持たなかった。
ある時、女の元に春見ちよの両親がやってきた。そして彼女に金を握らせてこう言った。
――――月島基は戦死したと噂を広めて欲しい
曰く、ちよは島にやってきた三菱の幹部に大層気に入られたそうで、ぜひ息子の嫁にと申し出があったそうだ。しかし、ちよは頑なに首を縦には振らなかった。戦争に行った月島の帰りを健気に待っていたのである。そこで両親は娘に月島を諦めてもらうために、彼は戦死したことにしようと考えついた。
「でも、月島くんの父親の言うことなんて誰も信じないからって」
女は、ちよのためその話に乗ることを決めた。あの荒くれ者と一緒になるよりずっと良いと思ったのだ。それでなくとも、この島にいて金持ちに見初められるなんて奇跡に近い。女はちよに幸せになって欲しかった。月島の家の近くで彼の訃報を知らせる手紙が雑に破られていた、どうやらあの父親が言っていることは本当らしいと町の者に触れ回った。わざわざ破れた手紙を準備したのは、ちよの両親だった。
月島がちよを探さないようにと、両親は彼女の自殺を偽装した。そんな事を知りもしないちよが間違っても帰省しないよう、両親は彼女を追うように東京に移り住んだ。
「月島くんもそれで諦めるだろうと思ったんです。それが、まさかあんなことになるなんて……」
鶴見はその話を聞きながら、こっそり東京に行く算段をつけていた。この女の言うことを信じるには、些か話が出来すぎているのだ。その話が本当なら「三菱」と「春見ちよ」の情報さえあれば、ちよ本人もその両親もすぐに見つかることだろう。動くのは、事実を確かめてからでも遅くはない。
「お願いです。月島くんを助けてやってください。あの人は確かにゴロツキだったけど、人を殺すような男じゃなかったんです」
「……しかし、その話だけでは死刑を覆すのは難しいぞ」
「どうすれば……、お願いします、出来る事ならなんでもしますから」
「ウーン……もう少し『殺されても仕方なかった』という理由がいる」
「……それは、例えば?」
鶴見は顎を摩り考え込んだ。それから少しして「ちよは自殺じゃなくその父親に殺されていた、とか。よくある復讐劇だよ」と、女の目をじっと見つめて答えた。それこそ出来すぎた筋書きではあるが。まるでお涙頂戴の大衆演劇のようだ。
「でも、ちよちゃんは自殺だと皆信じ込んでいます」
「骨でも見せてやればいい。殺人を隠すために自殺を偽装されたのだと。……そうだな、父親の住んできた家から出てくれば、皆勝手にそう噂する」
我ながらいい案だと、鶴見は口元に薄ら微笑をたたえた。黒岩涙香の翻案小説ほどではないにせよ、この話も中々面白いではないか。
あぁいかんいかん、と鶴見は無意識に上がってしまった口角をきゅっと真一文字に結んだ。これでは女を怖がらせてしまう。咄嗟に「なんて、流石に」と続けようとして
――――はっとする。女が嬉しそうに顔を綻ばせていたのである。
「あぁ、それならお役に立てそうです。尖閣湾に行ったあと、ぜひ海府大橋にも足を運んで下さい。この道をずうっと行った先、島の端の方にあります」
そう言って彼女がすっと伸ばした人差し指に促されるように、鶴見は窓の外へと視線を移した。すぐ真横には広大な海が広がっていて、一瞬それに目を奪われる。それからすぐに「君が案内してくれないのか」と女の方に向き直った。
「…………?」
今の今まで会話していたはずの女は、忽然と姿を消していた。
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尖閣湾に着いてすぐ、馬車を引いていた御者が鶴見にこんな話をした。
兵隊さん、あなたずっと一人でお話されていたんですよ。いやね、ここ最近島外から来た人間がよく憑かれるんです。私もそんな客を乗せるのにもうすっかり慣れてしまいまして。髪をこう、下の方で括った、苔色の縞縮緬の着物を着ていませんでしたか。ええ、皆さん同じ娘を見たと言われるんです。
「月島基という男を知りませんか」とそう尋ねてくるそうで。ああやっぱり、兵隊さんも? その娘はね、宿根木に住んでいた子です。親友が自殺して、その親友の想い人が尊属殺人で死刑囚になっちまって───まぁ、こう小さい島ですから、島の人間は皆知ってる話です。それが堪えたんですかねぇ、突然島から姿を消したんですよ。でも、島には居ないはずなのに、島外の人間は娘を見たという。どっかで仏さんになっちまったんだろうって、皆そう言ってるんです。
噂ではね、娘は月島を好いていたんじゃないかって。
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