そこに忍び込ませたもの
「また隈ができてる」
「⋯⋯気のせいでしょう」
じっと顔を覗き込んでくるなまえの視線から逃げるように、月島は軍帽を深く被った。今日もまた何か言われるだろうとは思っていたが、やはりその通りになった。
金塊合戦に終止符が打たれたのが数ヶ月前。それからというものの、月島は鯉登に付き従ってその後処理に勤しんでいた。仕事の疲労はこれまでの比ではない。というか、疲労の種類が違う。なにせ今までとは全く異なる方向性の仕事を捌いているのだ。本部に赴き中央に赴き上層部の顔色を伺い報告と交渉を重ねるのは実に骨が折れるし、精神的にくるものがある。鶴見を失って初めて、彼の後ろ盾がどれだけ強固なもので、どれだけ自分達が好き勝手にやれていたかを痛感した。
「たまには休んで下さいね。ま、事情が事情なだけにそうもいかないんでしょうけど」
「噂好きも大概にしないといつか痛い目を見ますよ。一体誰から聞いたんです」
「あはは、流石に詳しくは知りませんよ。ただ鶴見さんがいなくなったことと本部の人間が頻繁に出入りしていることを考えたら、ねぇ?」
そう言ってすっと差し出された納品書。月島は彼女をじとりと見つめたのち、ひとつため息をついてそれを受け取った。彼女は第七師団が主に利用している八百屋の看板娘である。兵舎に頻繁に出入りするおかげで師団の人間ともすっかり顔馴染みだ。その上、商人気質なその性格もあって人の懐に入るのが上手く、よく隊員達と談笑している姿を見かける。如何せん口の軽い下っ端連中から情報を得ている、なんてことは十分考えられる話だ。
「あまり首を突っ込まんで下さい」と納品書に判子をついて差し出せば、彼女は「そうします。鬼軍曹に怒られちゃかないませんから」とけたけた笑いながらそれを受け取った。
「ただ、心配なんですよ。あんまり無理しちゃ駄目ですよ」
そう言うとなまえは着物の袖をまさぐって飴玉をふたつ取り出すと、月島の手を取って半ば無理やりそれを握らせた。
「いらないといつも言っているでしょう」
「まぁまぁ、今後もどうぞご贔屓にってことで」
なまえは仕事でここを訪れる度に、こうして毎回小さな手土産を持ってくる。日によって饅頭だったり煎餅だったりと物は様々だが、本当に些細なものだ。それでも貰うばかりは気が引けて時々お返しをすることもあったが、きりがないと随分前に辞めてしまった。同時に今後手土産はいらないと伝えたのだけれど、未だ彼女に辞める気配は無い。
「ではまた!」
「⋯⋯えぇ」
軽く会釈をして彼女を見送ったあと、月島は自身の手に収まる二つの飴玉をじっと見つめた。それから近くにいた一等卒に「オイ」と声をかける。
「はい」
「飴だ、もらってくれ」
「え⋯⋯あ、ありがとうございます」
男がぴったり揃えて差し出した両手に飴玉を落とす。「甘いものは苦手でな」それだけ言って、月島はその場を後にした。
実の所、彼女が渡してきたものを口にしたことはこれまで一度だってなかった。
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「月島さん! 今日は良い物がありますよ!」
その日もなまえは納品を終えるといそいそと着物の袖をまさぐった。そのお決まりの流れにもうすっかり慣れてしまった月島は、「そうですか」と淡々と答えた。もう最近はいらないと伝えることもなくなった。どうせ辞めないであろうことは分かりきっているからだ。そうして今回もまた、彼女はいつもそうするみたいに月島の手を取って菓子を握らせた。
「虎屋の羊羹です! つい先日、兄が京都に出向く用事がありまして、お土産にもらったんです」
「⋯⋯ありがとうございます」
「随分疲れているようですから、これでゆっくりお茶でも飲んでください」
「はァ」
「これはちゃんと月島さんが食べてくださいね」
その言葉にぎくりとして、月島は思わず「エッ」と声を漏らした。なまえもそれに釣られるように「え?」と返して、しかし気まずそうな月島の表情を見てすぐに言葉を継ぎ足した。
「あぁ、別に誰に渡そうと構いませんよ。ただこれは本当にお勧めなので月島さんに食べて欲しくて」
どうやら本当に気にしていない様子の彼女にほっとしつつも、月島はばつが悪そうに視線を逸らし頬を掻いた。頂き物を人に渡していたことを、貰った本人に知られていただなんて。こんなに気まずいことはない。それがいくら些細なものだったとしても、だ。なにせ貰う度に全て人にやっていたのだから。
流石に軽率だったかとこれまでの行動を反省する。いつも彼女を見送ってすぐ、適当に近くにいた隊員に渡していたのが不味かったのだ。
「⋯⋯知っててどうして毎回くれるんです」
「月島さんに触れたいからですよ」
「
―――は?」
あっけらかんと言ってのけた彼女に、月島の思考が一瞬停止した。彼女の言葉を上手く飲み込むことができず、頭の中で何度も反芻する。そうして思い出されるのは、彼女が毎回わざわざ月島の手を取って菓子を握らせていたということだ。
「ふふふ、ではまた」
そう言って踵を返した彼女を月島は呆然と見送り、しばらくその場に佇んだ。丁度そこを一人の古兵が通りかかり、不意に目が合う。月島は軍帽の鍔を下げると、羊羹をポケットの中へと突っ込んだ。
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