意地っ張り同士


「こんなに聞き分けの悪い方だとは思いませんでしたよ、月島さん」

腕を組み仁王立ちでそう言い放った看護婦の眉間には、くっきりと皺が刻まれている。睨み殺さんばかりのその目付きを真正面から食らった月島は、気まずそうに視線を逸らした。

「どうしてこう、第七師団の方は勝手な方ばかりなんでしょう。尾形さんは病院を抜け出すし、二階堂さんは何度もモルヒネを盗むし、鶴見さんが見舞いに来た日なんかは扉が撃ち抜かれるし」
「…………」
「それを諫める立場にあったはずの貴方まで勝手に病院を抜け出そうとするなんて! 寝台に括りつけてもいいんですからね!」

はあぁ、とそれはそれは深いため息をついたその女に、月島は返す言葉を持ち合わせていなかった。尾形や二階堂のような問題児と一緒くたにされるのは甚だ心外だが、事実その通りになってしまっているのだから仕方ない。というのも、明朝ひとが居ないのを見計らってこっそり病院を抜け出そうとしたところをこの女に見つかってしまったのである。

「……もう傷は治った。退院させて欲しい」
「それを判断するのは貴方でなく先生です」

物の見事にぴしゃりとはねつけられてしまい、月島はむっと口を噤んだ。この女の言っていることは正論である。しかしこちらとしてもここで引くわけにはいかない。どうにか理解してもらう方法はないかと、月島は必死に頭を動かした。しかし実にありがたいことに、その機会は向こうの方からやってきた。

「何か理由があるんでしょう」

看護婦は怒りに燃えた表情をふっと緩めると、寝台傍に置かれた丸椅子に腰掛けた。

「話くらいは聞いてあげます」
「……探したいものがある」
「何ですか、それは」
「…………鶴見中尉殿に関する"なにか"を」

女はため息混じりに「その身体でどうやって探すつもりなんです」と言って眉間に指を押し当てた。あればとっくに引き揚げられている、きっともう海に沈んだか潮に流されている、見つかるはずがないでしょう。そう続けられた言葉に月島はじっと黙り込んだ。

そんなことは重々承知している。それでも何かに突き動かされるようにこの頭と身体があの海へ向かおうとする。だって、あの人には文字通り全てを捧げてきたのだ。それが全て水泡に帰したどころか、謀反人として扱われ、あの人の存在自体も煙のように消え失せて―――そんなもの、到底受け入れられるはずもない。せめてあの人のいた証くらい、手元に残しておきたかった。

「とにかく、入院中に勝手は許しません。退院したらお好きになさい」
「……あとどれくらいかかるんだ」
「少なくとも一ヶ月は」

今度は月島が深いため息をつく番だった。一ヶ月も探しに行けないとなると見つかる可能性は限りなくゼロに近付く。やはり隙を狙って病院を抜け出すしかないか、と思い至ったところでそれを察したようにきつく睨まれてしまった。

「大体、貴方は昔から無理をし過ぎです。いつも死にそうな顔をして、こんな時くらい休んだらどうです。戦争中でもあるまいし、もう少し自分の体を大事に―――

くどくどと始まった説教に、月島は思わず耳を塞ぎたくなった。もちろんそんなことをすれば火に油を注ぐことになる。ここは大人しくしておこう、と心を無にして女の言葉を聞き流す。

その時、ふと彼女の胸元に付けられた名札が視界に入った。そこに書かれた苗字には覚えがある。―――二階堂が「鬼看護婦」と呼んでいた女のものだった。



月島があの長ったらしい説教を食らってから一週間は経っただろうか。巡回にやってきたみょうじの目の下に、薄らと隈ができていた。よくよく見れば少しばかりやつれているようにも見える。看護婦の仕事は激務だと聞くが、どうやら随分とお疲れの様子である。

「休んだ方がいいのはあなたも同じでは?」
「これくらいどうってことありません。休めば患者様に迷惑がかかりますから」

人をあれだけ叱りつけておいてよくもまぁ。しかし仕事に熱心なのは感心なことだ。「鬼看護婦」と呼ばれる程に彼女が厳しいのは、それだけ仕事に責任をもっている証拠だろう。患者の立場からすれば目の上のたんこぶでしかないけれど。

そんな彼女に、月島は何となく親近感のようなものを覚えた。きっと自分も部下にとっては目の上のたんこぶだったのだろう、と。軍曹になってからは特に「真面目すぎる」と褒めているのか貶されているのかよく分からない評価を貰う機会は多かった。

「俺が言うのも何だが……あまり無理はするなよ」
「本当、貴方にだけは言われたくないですね」

つんとしたその返事に彼女の気の強さがこれでもかと滲み出ていた。まぁ、看護婦というのは元来気の強い女が多いものだ。それでも師団にいた問題児達に比べれば随分と可愛らしいものだが。

尾形に二階堂に宇佐美―――どれもアクの強い男ばかりだった。当時は酷く苦労したものだが、金塊を巡る戦いの中で皆死んだ。その癖、あの人の右腕だったはずの自分は生き残ってしまった。不意に得も言われぬ虚しさが込み上げて、月島は窓の外へと視線を移した。

「脈をとりますね」

今日はいくらか風が強いらしい。外の木の枝葉が揺れる様子を見ている間に、みょうじが慣れた手つきで脈を測った。そうしてふと、磯の香りが微かに月島の鼻腔をくすぐった。海へ行ったのだろうか。もしかすると家から海が近いのかもしれない。

最後に帰ったのはいつだったか、懐かしい故郷の香りである。どうしてもあの子を思い出してしまうから、この匂いが少しだけ苦手だった。かつて好きだと言ったあの髪が、あの子の横姿が、ふっと脳裏に浮かびかけて慌てて頭から追いやった。

自覚はないが精神的に弱っているのか、はたまた暇がそうさせているのか、ここに来てからいらない事ばかり考えてしまう。何かしら動いていないと駄目になってしまいそうだ。

早くあの人を探しに行かなければ。みょうじから僅かに漂う磯の香りを感じながら、月島は函館の海に思いを馳せた。



みょうじは日に日に疲れが増しているようだった。時々彼女が欠伸を噛み殺しているのを月島は目撃していた。しかしこれまでこの病院を慌ただしくさせていた第七師団も大人しくなったから(その当事者が言うのもなんだけれど)、今は比較的仕事は落ち着いているはずなのに。少々疑問はあったが、自分たちの知らない仕事などいくらでもあるだろう。きっと見えないところで仕事に追われているに違いないと思うことにした。

そうやってみょうじの目の下の隈を気にしているうちについに退院の日がやってきた。彼女の言っていた「一ヶ月」よりも少し短い三週間と少しの入院生活がようやく幕を閉じる。少々無理を言って退院にこじつけたせいか、みょうじは見るからに不満そうだったが。

「これ、退院のお祝いです。本当はこういうの駄目なので、内緒でお願いしますね」

そう言って彼女が渡してきたのは、師団で懇意にしていた店の団子だった。足繁く通った割に月島の腹に落ちることは殆どなかったそれは、鶴見の好物のひとつである。

「……なぜこれを俺に?」
「さぁ、なぜでしょう」

なぜでしょう、と言われても。月島は少々戸惑いながら、包みに書かれた店の屋号をゆるりと撫でた。

「これから探しに行くんですか?」
「そのつもりだ」
「過去に囚われてもいい事はないと思いますけど」
「……前に進むためだ」

みょうじは「そうですか」と言ったあと、何か言い淀むように視線をさ迷わせた。彼女の黒目が右へ左へと動いて最後に下へと落ちた時、「南」と酷く小さな声が月島の鼓膜を揺らした。

「……南?」
「函館駅から、少し南に行ったところを探すといいかもしれません。潮が……そっちに流れているので」

思いがけない言葉に月島は目を丸くした。「見つかるはずがない」と言っていた人間がこんな助言をくれるとは思いもしなかったのだ。一体どう言う風の吹き回しだ。まさかこれも退院祝い? なんてことを考えて、ハッとする。

「……もしかして、」

あの磯の香りは、と言いかけて、辞めた。この実に気の強い女は、きっと知られたくないだろうと思ったのだ。退院祝いと言って渡してきたものがこの団子ということは、きっと何の収穫もなかったということだろうから、余計に。

「なんですか?」
「……いえ。情報ありがとうございます。これも、ありがたく頂きます」
「貴方のことだから見つかるまで探し続ける気でしょう。あまり無理をしては駄目ですよ」

どこか覚えのあるその言葉に、月島はふっと笑いそうになったのを誤魔化すようにコホンとひとつ咳をした。軽く握った拳の下には、抑えきれなかった小さな笑みが浮かんでいる。

「あなただけには言われたくないですね」


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