丁度人恋しいところだったんだ
「禍福は糾える縄の如し」とはよく言ったもので、良いことがあった後には必ず悪いことも起こる。そうは言ってもこれはないぜ、と白石は今置かれたこの状況に苦笑う他なかった。
順を追って説明すると、白石の身に起こった良いこととはまず博打で大勝ちしたことだ。その金を持って意気揚々と花街へ向かっていれば、その途中で若く美人な街娼に声を掛けられた。しかも女の提示した額が相場よりいくらか低いものだったから、これ幸いと直ぐに飛びついた。そしたらなんとその女が初物だった。
振り返って考えてみればみるほど、なるほど出来すぎである。今日の俺はツイてるなぁ、なんて調子に乗ったのが不味かった。いい話には裏がある、ということを何故いつもいつも失念してしまうのか。
と言うのも白石が抱いたこの女、単なる街娼ではなく家出したどこぞの女学生だったのである。
「いや〜〜、それはちょっと……まじかぁ〜〜」
つまり白石はご立派な家の生まれの、女学生の、それも初物を頂戴してしまったというわけだ。なんとも興奮
―――否、けしからんことである。
「別に誰でも良かったの。おにーさん優しそうだったしさ、ごめんね騙すようなことして」
「いやいやいや……えーと、その……痛くない?」
「痛い」
「わーーーー、本当にごめん」
「あはは、何で謝るの」
「だって婚前交渉とかそういうの、さ、厳しいんじゃないの? いやそれじゃなくても初めてとかそんな簡単に……」
いくら先程まで猿のように興奮しきっていたとはいえ、出すもの出すとなんとやら。一気に後悔が押し寄せた。
その少女曰く「全部捨ててやりたかった」らしい。親が大事にしていたものを、みんな。どうやら絶賛反抗期らしいその娘の抗いに、白石はものの見事に巻き込まれてしまったというわけだ。
「おっさんにくれてやるくらいなら適当に捨ててやろうと思って」
「君からしたら俺もおっさんだけど……」
「あのおっさんより格好良いし、優しかったし、全然いい」
「あーーーちょっと嬉しいのが悔しい」
そう言って頭を抱える白石を見て、少女はけたけたと屈託のない笑みを浮かべた。どうやら処女を失ったことに微塵の未練もないらしい。
その少女の言う「おっさん」というのは、親の決めた結婚相手らしい。元々はその人とは別に歳の近い許嫁がいたものの、先の戦争で戦死して骨ひとつ帰ってこなかったそうだ。本人なりに許嫁との将来を思い描いて、覚悟もして、それなりに好意も芽生えていたのに、蓋を開けてみれば脂ぎった禿げたおっさん(少女談)と結婚する羽目になった。このままでは娘が行き遅れてしまうと焦った両親によって、悲しみに暮れる暇さえ与えられずに。
だから、逃げ出したのだという。
「……家に戻った方がいいと思うけど」
「おっさんと暮らす未来に私の幸せがあると思う?」
そりゃあ、世間知らずってやつだぜ。出かけた言葉は飲み込んだ。幸か不幸かと問われれば、不幸なのかもしれない。しかし世の中にはもっと酷い不幸があるのだと、この少女は理解っているのだろうか。住居を持たず、布団を買う金もなく、貸業者を頼ってその日暮らしをする人間がいることを知っているのだろうか。そこに堕ちたが最後、這い上がることなど到底無理だと分かっているのだろうか。
おっさんに嫁ぐだけで安定した生活が手に入るのだから、それで十分だろう。親に恵まれ家に恵まれ学校にまで通える
―――そこにどんな苦労があろうとも、底辺から見れば全て贅沢だ。それを自ら捨てるなんて馬鹿のすることだ。
「気が済んだらさっさと家に帰んな。それと身体を売るのは辞めとけ、病気貰ったら悲惨だぜぇ?」
むっと眉を寄せた彼女の顔には、やっぱりどこか幼さが残っていた。
▼
「え〜〜、まだ帰ってなかったの」
暫く経って再びあの少女と出会った街へと足を踏み入れれば、そこにはまだ彼女の姿があった。しかし聞けば身売りはあの一度きりとのことで、家を出る際にくすねてきた金でやり過ごしているらしかった。結構大胆な額をちょろまかしたらしく、その金が底をつくのは暫く先になると思う、と彼女は言った。
最初の出会いが出会いなこともあって、後ろめたさと心配から白石は時々彼女の様子を見に行った。「あそこは危ないから近付くな」「こういう人には関わっちゃ駄目」等々、浮浪者の先輩として彼女に幾らか助言もした。この世間知らずのお嬢さんが世間知らず故に不幸にあった、なんて結末を聞くのは流石に後味が悪いから。どうせすぐに嫌気が差してそのうち家に帰るだろうから。せめてその間生き延びてくれればとの思いからあれこれ教えてやったのだが、中々どうしてこの少女は逞しく、一向に音を上げる気配はなかった。
「おにーさん、結構有名人なんだってね。脱獄王のシライシって、花街のお姉さんに教えてもらった」
「ねぇ〜、もぉ〜〜、いつの間に娼婦とまで仲良くなっちゃってんの?」
「妓夫のお兄さんとも友達になったよ」
「ならなくていいんだって……」
ハアァと大きなため息をついた白石に、少女がさらに爆弾を放り込む。
「ね、おにーさん全国を旅してるんでしょ? 私のことも一緒に連れて行ってよ」
「いやいや勘弁してよ、俺は一人が性に合ってんの。大体、頼る先を間違ってるだろ。脱獄犯だぜ、俺」
「だって、おにーさんほど逞しい人初めて見たんだもん」
「ね?」と半纏の裾を摘んで首を傾げるその少女に、正直悪い気はしない。でも、重い。重すぎるのだ。自分が抱えるには。
「反抗期もいい加減にしな。お前みたいな青臭いガキの面倒見るなんざ御免だね」
「でもそのガキ相手にヘコヘコ腰振ってたじゃん」
「ぐっ……とにかく! もうちょっと考えろ! 一時の感情で動くもんじゃねーよ」
そう言って彼女の手を払って立ち上がる。「ちょっと!」「まァ様子くらいは見に来てやらァ」背中越しにひらひら手を振って、その場を後にした。
その後、街には二度と近寄らなかった。逃げ切るのは昔から得意なのだ。自分の犯した罪からも、責任からも、期待からも。
▼
長かった金塊探しの旅も終わり、長らく旅を共にした友とも別れた白石は、二人に悪いと思いつつもいくらかの分け前を頂戴して、以前と同じその日暮らしの浮浪者に戻っていた。
これだけの金があれば一生遊んで暮らせるなぁと、ほくほくしながら街を歩く。さて、これからこの金でどうするか。ボウタロウの言っていた夢も悪くねぇな、なんてことを考えながら角を曲がったところで、これまで耳にたこが出来るほど聞いてきた台詞が飛んできた。
「アッ、白石だ」
ドキッと心臓が跳ねて咄嗟に声のした方を見れば、そこにいたのは警察でも軍人でもなく、ひとりの女性だった。腰に手を当ててニッと笑みを浮かべているその人は───
「エッ……誰?」
「……ほんっと酷い。人の処女を奪っておいて」
「しょ……アーーーッ!! って、奪ったってなんだよ! お前が騙したんだろーが!」
そんな会話を交わしながらも、白石の胸にじわじわと罪悪感が込み上げる。もう二度と会わないと思っていたのに。やはり良いことがあると悪いことが起こるのだ。流石に金塊を貰いすぎたかと、慌ててお天道様に心の中で謝罪する。それともちろん、アシリパにも。
「で、あれからどーしたの。家には帰った?」
「んーん、何だかんだあのままだよ」
「……マジか」
「なんていうか、おにーさんのおかげみたいなところもあって」
「エッ、俺?」
「ここで家に帰ったら負けだと思ってさ」
女はがしりと白石の腕を掴んでにっこり笑った。
「もう逃がさないから。連れて行ってね」
「勘弁してぇ〜〜〜?」
クーン、と白石の情けない鳴き声が空に響いた。
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