とある蚕の茶番劇


彼女と初めて出会ったのは、篤四郎さんと共に三十三人殺しの津山について探っていた頃のことだった。情報収集のため札幌の新聞社へと向かっている途中、駅で彼女とその父親にばったり出くわしたのだ。

「これはこれはお久しぶりですな」から始まった篤四郎さんとその男の会話を聞いていれば、すぐにその親子が者かは分かった。北海道にいて名を知らぬ者はまずないであろう、とある財閥の人間である。全く、篤四郎さんの人脈には驚かされるばかりだ。

「そちらのお嬢さんは?」
「あぁ、ご紹介がまだでしたな。私の娘です。ほら、挨拶しなさい」

促されるまま半歩前に出た彼女が、挨拶とともに自身の名前を告げる。たったそれだけで品の良さが伺い知れるのだから、余程良い教育を受けているのだろう。

「噂に違わず美しいお嬢さんですな」
「いやはや、これがまた不器用な娘でして。花嫁修行にと女学校にやったのに、本に齧り付いてばかりで困ったものです」
「ほう、勉強熱心とは素晴らしいではありませんか」
「女が学問なんて、可愛げがないだけですよ」

ちらりと娘の方を見てみれば、視線を落とし気まずそうにしながらもヘラヘラとした笑みを浮かべている。その間も父親の謙遜(というより最早ただの愚痴)は止まらない。やれ裁縫が下手くそだのやれ料理がイマイチだのとへりくだる。

しかしまぁ、娘の外見には自信があるようで「見た目だけでも取り柄があって良かった」と笑った。

そうやっていくらか世間話したのちにその親子とは別れたのだが、どういう訳かその日をきっかけに娘がしばしば兵舎に訪れるようになった。しかも、どうやら篤四郎さんと手紙のやり取りもしているらしい。

そう気付いたのは兵舎に届く郵便物の中に、たびたび彼女の名前を見かけたからだ。彼女が兵舎を訪れる度に本を抱えているところを見るに、本の貸し借りをしているようだった。

文通をしていることも読書仲間のような振舞いをしていることも気に入らなくて、どんな女だろうと探りを入れるため彼女に近付いた。そしたらまぁ、その女のなんとポンコツなことか。篤四郎さんが彼女の相手をしている
のは、単にあの家との繋がりのためだろうとすぐに分かった。

「なにこれ、君が作ったの?」
「あっ、いつの間に! 家庭科の課題です⋯⋯まだ途
中で⋯⋯もう、勝手に見ないでくださいよ」
「僕の方が上手いんじゃない? ホラ、ここほつれてるし」
「裁縫は苦手なんです⋯⋯」
「裁縫"は"?」
「……"も"です」
「うん、知ってる」

なんて、こんな具合に軽口を叩ける関係になるまでそう時間は掛からなかった。兵舎の男共には羨ましがられたし、その恨めし気な視線を浴びるのは存外気持ちのいいものだが、そもそも自分がこの女とどうこうなるなど有り得ない話だ。

ただまぁ、身分の割に偉そうにしないところは気に入っている。少なくとも自分の知っている華族の連中とはまるで違うのだ。彼らによく見られる傲慢さは決してなく、むしろ惨めさすら漂っている。それがどうにも歪で、不自然で、ひどく情けなく、見ていて加虐心をくすぐられる。

「こんなんで卒業できるの?」
「⋯⋯卒業前に退学するでしょうから」
「あぁ、縁談かぁ。そういうのって成績も見られるんじゃないの」
「どうせ裁縫も料理も女中に任せることになりますから。父が『お前はただ笑っていればいい」と」
「⋯⋯フーン」

つまり、ただのお人形というわけだ。まさしく「お人形さん」のような容姿をした彼女にはぴったりなのかもしれない。そして実際それに成り下がった時、彼女は今のように本の虫ではいられなくなるのだろう。

まるで蚕だ。羽根を持ち得ようと羽ばたくこともできず、人の手がなければ生きることすら叶わない。求められるのは幼虫の吐き出す糸と、成虫となって子孫を残すことだけ。彼女の場合は家柄とその美しい外見といったところか。

「女子にも教育を」と言われるようになって久しいが、結局女の役割は内助の功であり、世間が求めるのは良妻賢母なのだ。知識人の真似事をする女は疎まれる。

だから彼女は自身を卑しめる父親の隣でただじっと押し黙り、ヘラヘラ笑う人形に徹していたのだ。

「⋯⋯可哀想な奴だね」
「勉強させてもらえるだけでも恵まれていますから。これ以上を望んではばちが当たります」

ほら、こんな具合に。

「あのさぁ⋯⋯怒るとこでしょ、普通。もー、面白くない奴」

たまには苦笑って誤魔化す以外の顔も見てみたいものだ。周りには悪趣味と言われるが、人が怒ってむきになる様は見ていて面白いから。

しかし彼女はこちらがどんな失礼な言葉を吐こうが、怒るどころか受け入れてしまう。全くもってからかい甲斐のない奴だ。

「⋯⋯えっと、?」
「可哀想とか言われて悔しくないわけ? 大体、金持ちってもっと偉ぶってるもんじゃないの」
「偉いのは父であって私ではありませんもの。それに、『天は人の上に人を造らず」ですよ」
「フン、偽善だね」

彼女は少し考える素振りを見せて「そうかもしれませんね」とどこか寂しそうな顔で笑った。



その日は朝から陽が陰っていて、湿った空気が街に充満していた。小雨だか霧雨だかが今にも降り出しそうな天気は意外にも持ちこたえて、昼食後も変わらず薄墨色の雲がどんより空を覆っているだけだった。

そんな折、急な来客が決まったらしく篤四郎さんにお使いを頼まれた。故意にしている団子屋に走れば、気のいい店主が羊羹をふたつオマケしてくれた。どうやらこの天気のせいで客足が鈍っているらしい。

世間話もそこそこに、雨が降り出す前にと急ぎ足で兵舎に戻る。建物が見えたところで、その近くをうろうろと彷徨う女学生の姿に気づいた。よく見知ったその顔にひとつ溜息をついたのち、そっと後ろから声をかける。

「なにしてるの」
「アッ、う、宇佐美さん!」
「鶴見中尉殿に用事?」
「は、ハイ。でもあの、警備の方が初めて見る顔で⋯…」
「あぁ、最近来た奴だね」

知らない顔だろうが用件と名前を伝えればいいだけだろうに。一目でどこぞのご令嬢と分かるその装いに加え、自身の苗字を名乗れば余程の世間知らずでない限りは相応の対応をするはずだ。

本当、なんというか、鈍臭いんだよなぁ。そんなことを思いつつ「丁度良かった、僕もこれから行くところだから一緒に行く?」と手元の袋を見せてやれば、彼女は納得したような声を漏らしてすぐにぺこぺこと頭を下げた。

「助かります。出直そうかと思っていたところだったんです」

彼女の顔には安堵の笑みが浮かんでいる。これくらいのことで、とは思うけれども、この無邪気な笑顔にやられる男は多いのだろう。否、この顔ならば笑わずとも視線だけで男を落とせそうである。

「先週来たばっかでしょ。もう読み終わったの、その量」
「アッ、いえ⋯⋯その、」

彼女は腕に収まる風呂敷をぎゅっと抱きしめて、気まずそうに視線を落とした。それから「縁談が決まりまして」と、蚊の鳴くような声で言った。

「へぇ⋯⋯おめでとう」

なんて、分かりやすく暗い顔をする彼女に向かってこの言葉は相応しくないのだろうが。それでも、結婚の報告を聞いた時の返事などこれしか持ち合わせていないのだから仕方がない。

「来週には発ちますので、今日お会いできて良かったです」
「随分急な話だね。行先は?」
「東京です。お義母さまの体調がすぐれないそうで⋯⋯出来るだけ早く、と」
「⋯⋯フーン」

そこで会話が途切れて、不自然な沈黙が流れた。そんな気まずい雰囲気を取り払うように、彼女が顔を上げてにっこりと笑みを作る。

「東京に来られる際はご連絡くださいね。美味しい料理を用意しますから」
「⋯⋯下手くそなくせに」
「ふふふ、作るのは女中ですから」

彼女はそう言って実に可笑しそうに笑った。まさに「お人形さん」のような振る舞いに、すっと胸の奥が冷めていくのを自覚する。

「⋯⋯逃げようとは思わないわけ?」

ぴしり。彼女の美しい笑みが固まって、再びそこに暗い影が差す。だけどそれも一瞬のことで、すぐにあのヘラヘラとした笑みが現れた。何かを諦めるとき、彼女はいつもこんな風に笑うのだ。蚕として飼い殺される運命を受け入れているのだろう。よたよたと地面を這いつくばるあの羽虫を頭に思い浮かべると、なんだか無性に踏み潰したくなってしまう。

いや、やっぱり踏み潰すよりも──そこまで考えて、ふと以前交わした会話を思い出す。

「『天は人の上に人を造らず」、だっけ」
「? はい、学問のすゝめの一節です、が⋯⋯それが
何か?」
「偽善って言ったけどさ、ひとつ訂正するよ。死ぬことだけは皆平等だよね」
「⋯⋯えっ、と⋯⋯?」
「鉛玉でもぶち込んでやれば皆死ぬってハナシ。僕がロシア兵にそうしたみたいに」

ロシア兵を殺すのも、他の人間を殺すのも、その意味合いは違えど行為自体に違いは無い。ただ引き金を引く、それだけだ。

彼女の目をじっと見据えて「言ってる意味、分かる?」と続ければ、彼女は強ばった顔で首を横に振った。「未亡人になったら僕がもらってやろうか」そこまで言えば流石に意図は伝わったらしい。

「宇佐美さん、私は⋯⋯」

ごくり、彼女の喉がうねるように上下する。

「銃ではなく、手を取ってくださる方が嬉しいです」
「⋯⋯そりゃ無理なお願いだね。僕は軍人だからさ」

どうせ手を差し述べたところで、それを掴む度胸もないくせに。やはり蚕はどこまでも蚕なのだ。自身の羽根で飛ぶ気などさらさらなく、ただ家畜としてその一生を終える。当の本人はどう思っているか知らないが、傍から見ればひどく惨めな人生だ。

「……ホント、可哀想な奴だね」

そうして彼女はいつものように、へらへらと笑ってみせた。今にもこぼれ落ちそうな涙を目の縁に溜めて。


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