あの日の夢を今も見ている
「やっぱりここにいた」
ため息混じりのそんな声にふっと目が覚める。机に突っ伏していた上体を起こせば、下敷きにしていたノートが腕にぺたりとくっついてきた。それを丁寧に剥がしたのちに、凝り固まった首をぐるりと回す。
「いつベッドから抜け出したんだ」
「3時くらい?早起きして仕事終わらせようと思って」
「それは早起きじゃなくて寝てないって言うんだよ。ベッドに入ったのも日付越えてただろ」
ことり、目の前に置かれたマグカップから漂ってくるコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。「もう朝ごはんできてるよ」そんな言葉に誘われるまま、お腹がぐうと空腹を訴えた。
「だっていいアイディアを思いついたんだもん。ほら、オートバイのロードレースってあんなスピードでも急カーブできるでしょ?そこから発想を得たんだけど、」
午前3時、眠りが浅かったのか新聞配達のバイクの音にぼんやり目が覚めたと同時に、一閃の光が差し込んだみたいに浮かんだアイディア。気持ちが熱いうちにと切り出した話は「なまえ」とどこか咎めるような声によって遮られた。
「今日は折角の休みなんだから仕事の話はなしにしよう。2人揃って休めることなんて早々ないんだから」
そんな言葉に少しむっとして「誰かさんがまたスーツを壊したからでしょ」そうぼやきながら、暖かいマグカップを手に席を立つ。先を歩く彼を追うようにリビングへ向かえば、そこは焼きたてのパンの香りに包まれていた。
「壊しただなんて!あれは耐久性の問だ……コホン、この話は今度」にしよう。それより、今日は予定通り映画でいいか?」
「うん。あと気になってたカフェもあるの。映画館の近くだしそこにも行きたい」
「じゃあ映画行ってカフェ行って……夜もどこかで食べようか。何食べたい?」
「天晴が選んでいいよ」
そんな会話をしながら早速朝食を囲む。何でも挑戦してしまう私と違って分量も時間もきっちり計って料理する彼の食事には外れがない。つまり、いつも美味しい。美味しい朝食でお腹が満たされていくのを感じながら、ずっと楽しみにしていた映画に想いを馳せた。
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「仕事の話はなしにしよう、じゃなかったの」
たまたま見掛けた迷子の女の子を総合案内所のカウンターまで送り届けたのち、じとりとした視線を彼に投げる。見る予定だった映画の時間はもう30分も過ぎていた。念には念を入れてかなり早く家を出たはずなのに、だ。
「なまえこそ新人ヒーローに質問責めしてただろ。あれで20分はロスした」
「だって見たことないアイテムだったんだもん!それを言うなら天晴だっておばあちゃんの道案内にかなり時間使ってたじゃない」
言い合って睨み合って、少しの無言。「ふふっ」それからどちらからともなく笑い出す。「なんで毎回こうなるかな」「本当にね」デートが予定通りに済んだことなど、実は今まで一度だってなかった。だから実のところ今回もそうなるのではないかと心のどこかで思っていた。それは多分、彼も同じで。
「どうしようか、これじゃあ映画はもう無理だな。あとはレイトショーしかなさそうだけど」
「ここまで来たらもうDVDが出たらでいいよ。家でゆっくり見よう」
「そうするか。じゃあ夕食までこの辺のお店でも見て回る?」
「人助けしながら?」
「いや、サポートアイテムのアイディアを探しながら」
くつくつと2人で笑いあったのちに、まずは映画の後に予定していたカフェへと向かうことにした。確かに映画は見たかったのだけれど、こうして彼と手を繋いで歩けるだけでも十分だった。
インゲニウム事務所でサポートスタッフとして働いている私は、日々コスチュームやアイテムの修理・改良に追われている。事務所には65人もの相棒がいるからその業務量は半端じゃない。そこの代表を務める天晴がさらに多忙であることは言うまでもなく。彼に至っては休み自体ほとんどないに等しいし、生活だってかなり不規則だ。そんな2人の休みが揃うだなんて、それこそ奇跡のような話だった。
「明日は雄英体育祭かぁ」
「行けなくて残念だったね。天哉くんの活躍見たかったでしょ」
カフェに入り、注文したパンケーキを待ちながら交わす会話。世間的にも盛り上がる時期であるその話題が出たのは言わば必然的なものだった。今年は天晴の弟である天哉くんも出場するから尚更。
「こればかりは仕方ない。そっちの警備に多くのヒーローが割かれるから街の方が手薄になるしな。俺の分まで見て来てくれ」
「私は遊びに行くんじゃなくて仕事で行くんだけど」
「でも見るのは1年生の会場なんだろ」
日本のビッグイベントのひとつである雄英体育祭。私はサポート科の偵察のためにそこへ赴くことになっていた。スカウト目的のため例年であれば2.3年生を見に行くのだが、今年に限っては1年生の会場の席を取っている。かつての恩師であるパワーローダー先生が「1年に面白い奴がいる」と教えてくれたからだ。
「発目さんだったかな、とんでもない天才肌だってさ」
「へぇ、うちに来てくれるとありがたいな」
「その子もだし、天哉くんもね」
「……うーん、俺の背中ばかり追い掛けるのもよくないと思うんだよなぁ」
「離れてったら寂しいくせに」
「今ブラコン扱いしただろ」
「本当のことじゃない」
不満気な視線には気付かない振りをして、アイスコーヒーから伸びたストローに口を付ける。
彼がどれだけ天哉くんを大事に思っているかはよく知っているつもりだ。天哉くんが天晴に強い尊敬の念を抱いていることも、それを天晴が誇りに思っていることも。天哉くんが将来どんな道を選ぶかはまだ分からないけれど、2人がプロヒーローとして並び立つ姿を私も夢見ている。まだ何年も先のことなのに、ペアで並んで絵になるようなコスチュームを考えているなんてことはもちろん秘密だ。
「楽しみだね」
「体育祭が?」
「それもだけど」
人の夢と書いて儚い、なんて一体誰が言ったのか。彼らの夢はこんなにも私の胸を踊らせてくれるのに。
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