きみの運命にはなれない


みょうじなまえ、17歳。個性:治癒、個性使用の副作用による言語障害、肝機能肺機能不全、聴力視力の低下、etc...。短期記憶に障害があり私の記憶は2日しかもたない。一緒にいる男は荼毘、彼と共に世間から隠れて生活をしている――――らしい。らしいというのは、これらは紙に書いてあることを読み上げただけで、その内容は初めて知ることばかりだからだ。

「読んだか」

耳元に落とされた言葉は酷くくぐもって聞こえた。ひとつ頷くと、持っていた紙をさっと奪われる。私のプロフィールを箇条書きで書き連ねたその紙は、悲惨さを凝縮したような内容の癖にどこまでも無機質だった。

「飯買ってくる。ここから出るなよ」

そう言って質素なこの部屋を出ていった男――――荼毘。昨日も一昨日も一緒にいたから彼のことは覚えている。

扉が締まった気配を感じて、すぐにポケットから携帯を取り出した。左上に表示された圏外の文字は、この携帯がもはや通信機器として機能していないことを示している。別に連絡をとる相手はいないから問題はない。用があるのはメモ帳の方だ。

膨大な量のそのメモは、日に日に抜け落ちていく記憶を忘れないようにと必死に書き留めた日記である。そんなことあったな、なんてことも分からないので誰かの伝記でも読んでいるような気分になる。

食べて、寝て、誰もいない部屋でただ荼毘の帰りを待つ。今日は荼毘の腕を治した、今日は目の下、顎、後頭部、……。今日は視力が落ちた、右耳が聞こえなくなった、貧血で倒れた。仮にこんな伝記が出版されたとしてもきっと誰も買わないだろう。いや、ホラー好きの人にはウケるかもしれない、そんな内容だった。どうしてこんなおぞましい生活から逃げ出さないんだ、と他人事のような感想を抱く。そんなもの記憶がもたないからに他ならない。嫌だと思う暇もなく忘れていくのだから。

記憶障害が出始めたのはここ1年の話らしく、それ以前のことは薄ら覚えている。長期記憶の方は辛うじて機能しているらしい。数年前まで私はどこかの施設で楽しく暮らしていた、ような気がする。確か荼毘がおねむりくんと呼ばれていた3年間、私は彼の世話と治療を指示されていた。

それから炎の中を荼毘に手を引かれて逃げたことも覚えている。虫が食ったような朧気な映像しか頭には浮かばないけれど。彼の手は青い炎に包まれていて、おかげで私の左手首には大きな火傷の跡がある。「俺の身体を治せ。そのためにお前だけ生かしてやったんだ」そんな言葉がやけに耳にこびり付いている。

昔の記憶を手繰り寄せながら、大量のメモにひたすら目を通していき、ただ彼の帰りを待つ。昨日も一昨日もそうしていたから、きっと毎日こんな生活なのだろう。分からないことだらけで殆ど空っぽの頭の中、そのあてどない虚無感を埋めるみたいに貪るように活字の海に没頭する。

16日(月)、住居を変えた。前の家のオーナーが何やら捕まったらしい。ブローカーの人の運転で新しい家に行った。部屋に入った途端酷い咳に見舞われたので荼毘が掃除をしてくれた。
17日(火)、深夜、荼毘に連れられて雄英高校の前で待機するよう指示された。拒否。
18日(水)、荼毘が頬にある皮膚の縫い目から血を垂らしながら帰ってきた。治すと言ったが断られた。ホッチキスのような医療器具でパチパチと皮膚を留めていくその姿は異様だった。
19日(木)、いつもお世話になっているブローカーのおかげでずっと探していた人に会えたと荼毘がご機嫌だった。氏子達磨、かつて荼毘と私の治療をしてくれていた優しいおじいちゃん先生だ。気が向いたらお前にも会わせてやるよと言っていた。
20日(金)、夜、荼毘に連れられて雄英高校の前で待機しているように指示された。拒否。

21(土)、22日(日)、そして本日23日(月)。時々現れるこの雄英高校の件はもうここ1ヶ月以上続いているようだった。きっかり2日おきだから、私が記憶をなくすタイミングで赴いているのだろう。なぜこんな簡潔すぎる記録しか残していないのかと、過去の自分を恨む。何か考えがあったのかもしれないが、そんなもの私は知る由もない。

埋まりきらない虚無感を誤魔化すために日々の記録にのめり込んでいると、荼毘がレジ袋を引っさげて帰ってきた。慌てて携帯をポケットに仕舞う。この携帯の用途を彼が知っているかは分からないが、なんとなく隠すべきだと思ったのだ。



その日の夜、予想通り荼毘は私を雄英高校と書かれた学校近くまで連れてきて「ここで待ってろ。すぐに誰か来る」と、それだけ言った。彼はこの1ヶ月と少しで何度その言葉を吐いたのだろう。多分、12回とか13回とか、それくらい。

「誰か来たらこれを渡せ。お前のプロフィールとカルテのコピーだ」
「……」
「俺はやることができた。これ以上お前の世話は続けられない。ま、元々余命1ヶ月だったところをこれだけ引き伸ばしてくれたことは感謝してるよ。お前はそんなにぼろぼろになっちまったがな」
「……」
「どうせいつか全部ぶっ壊すつもりだが……5年後か10年後か、それまでは普通に暮らしな。最後くらい解放してやる」

私が喋れないのをいい事に、彼は小川がさらさら流れていくみたいに澱みなく言葉を続けた。それはもうベラベラと。まるでカンペでも読み上げていくような全く抑揚のないトーンで。それもそうだろう、きっと彼は言い飽きるくらいには同じ台詞を繰り返してきたはずだから。

お前の両親は死んだが、祖母は生きていた。治癒系個性は希少だから、個性が遺伝しやすい子どもが敵に狙われないようお前の母親とは縁を切っていたみたいだ。ヒーローってのはすぐに家族を切り捨てるよなぁ。あぁ、そいつは修善寺治与、リカバリーガールと呼ばれてる。小せぇ婆さんだよ。あぁ、覚えなくていい、どうせその紙に書いてある。助けてもらっといて言うのもなんだが、お前も難儀な人生だよなぁ。そんな個性をもって生まれたばっかりに。個性欲しさに攫われたがいいが、代償がデカすぎて結局は用無し扱い。まぁ誇れよ、おかげで一人の命は救ったんだ。これから世界をぶっ壊す自殺志願者を。

こちらを見ようともせず宙に向かって言葉を続ける彼の手をとって、"焼き切れたせいで"使い物にならない喉の代わりにふるふるとかぶりを振った。

「お前なぁ……辞めろよ、毎度毎度。脳の損傷がデカすぎて感情もぶっ壊れてる癖に……なんだよその顔は、生存本能か?だとしたらここにいた方が懸命だぜ」
「……」
「はぁ……ホントに勘弁してくれ」

手で顔を覆い深いため息をつく彼を前に、私は必死に首を振り続けるしかなかった。この得も言われぬ拒絶感が感情や記憶に基づくものでないのなら、彼の言う通り生存本能なのかもしれない。だって私は彼以外知らないのだ。何も。唯一の拠り所を失って、生きていけるとは到底思えない。

「ここなら最新の治療を受けられる。お前の身体も少しはマシになるだろうよ。ほら、離せよ」
「……」
「分かってんだろ、どうせ全部忘れる……あぁ、そうか」

彼はそう言うと私のポケットから携帯を引っこ抜いた。途端、青い炎に包まれて、みるみるうちにその身を溶かしていく。必死に取り返そうとしたけれど、私のろくに動かない体では土台無理な話だった。

「……最初からこうすれば良かったんだ。忘れちまえ、俺のことなんて。……何をビビってたんだろうな、俺は」

どん、と肩を押されその勢いで塀に身体をぶつけた。ゲホゲホと喉が嫌な音をたて、ずるずるとその場にへたり込む。ぼろぼろと涙が溢れてきて、アスファルトに丸い染みを作っていった。なんだ、感情がぶっ壊れてるなんて嘘じゃないか。だって、こんなにも悲しい。「悪いな、俺は涙腺が焼き切れてるんだ」と荼毘の言葉が落ちてきた。私に聞こえるようにしゃがみ込み、耳元で紡がれる彼の声はやっぱりどこまでも平坦なものだった。

「どうせ全部忘れるなら――――

彼が立ち上がったせいで途端に声が遠くなって、唇は微かに動いているのに何も聞こえなくなった。酷くぼやけた視界の先で辛うじて見えていた彼の輪郭が風景と同化する。

君を覚えていられるまで、あと2日。



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