初恋は実らない


「ちょっと佐一!またお弁当忘れてったでしょ!」
「え、うそ! うわゴメン!」

 朝練を終え、始業5分前に教室に駆け込んで来た佐一に、彼の母親から託された馬鹿デカい弁当箱を押し付ける。佐一は「ありがとう」と苦笑いを浮かべ申し訳なさそうにそれを受け取った。

 育ち盛りの彼のために作られたその弁当は、ぎゅうぎゅうにご飯が詰められているため中々に重たい。そして嵩張る。彼の斜め向かいの家に住む私がこうして彼の弁当を運ぶのはこれが初めてではない。朝練のため早く家を出る彼が忘れ物をする度に、その2時間後に家を出る私が「ちょっとなまえちゃん!」と慌てた様子の彼の母親に呼び止められるのだ。もちろん悪いのはおばさんではなく、なにかと抜けているこの男だ。

「やだぁ、朝からお熱いことで」
「シライシうるさい。もう宿題見せてやんない」
「それは困る!」

「なまえちゃぁん」と猫なで声で縋る白石を軽くあしらっていれば、佐一が「アッ!」と声を上げた。その声に釣られて白石と殆ど同時に振り返ると、彼はゲンナリした様子で自身の鞄を覗いている。そして大きなため息ののち、その中身が見えるようこちらに傾けてきた。見れば教科書やプリント類が濡れて小さく波を打ち、そして白い粉を被っている。どうやら制汗剤の液が溢れたらしく、顔を近付ければいい香りが鼻を掠めた。いい香り、と言うには少しばかり匂いがキツいけれど。

「蓋空いてた……」
「あちゃー、どんまい」
「いいじゃん香水と思えば」
「いや流石に臭くない?」
「「臭い」」

 白石が杉元の鞄から教科書をひとつ抜き取って、「すげーサラサラ」と笑いながらその表紙を撫でた。白いパウダーがふわりと飛んで空気に溶けるのを見て、思わず私も表紙に手を伸ばす。「はは、ホントだ」一緒になって笑う私たちとは対象的に、佐一はそれはもう深く項垂れていた。

「もー、全部溢れてる……なまえ、汗ふきシート持ってなかったっけ?」
「あるけどピーチの香りだよ」
「汗臭いより全然良い!ちょーだい!」

 ザ・女子といった感じの香りだが、本人が気にしないのならまぁいいか。そう思って最近買ったばかりの汗ふきシートを取り出し、佐一へと手渡す。「さんきゅ」とそこから無遠慮にシートを数枚引き抜く佐一を、私はじっと見つめた。友人曰く、こういうところが「あんたと杉元は距離感おかしい」のだそう。異性の友人としては近すぎるとかなんとか。そのせいかこの高校に入学してすぐは「もしかして付き合ってんの?」と何度も聞かれたものだ。今では周りもすっかり慣れてしまったのか、何も言われなくなったけれど。

 異性の友人としての距離感じゃないとすれば、これは"幼なじみの距離感"と言うのだろう。佐一だけでなく虎次ともこんな感じだし、梅ちゃんも似たようなものだから。私達よりもひとつレベルの高い高校に行ったあの2人も、同じように揶揄われたと聞いた。

 まぁでも梅ちゃんから聞く限り、最近虎次とは"イイ感じ"らしいので、そう遠くない内に周りの冷やかしが本当になってしまうのかもしれない。嘘から出た実、はちょっと意味が違うか。

 長年の恋敵が解消されそうなその事実に、私が安堵しているのは、内緒。そもそも梅ちゃんは私が恋敵だったとは知らないだろうし、きっと虎次も気付いていないはずだし、佐一に知られるわけにもいかないし。だって、恋敵がいなくなったからと言って成就するかと言うと、そんな都合のいい話でもないのだから。

 私が登校してすぐにまとった香りと同じものを携えて、この男は何の気なしに残酷な言葉を吐くのだ。

「あ、そうだ。今日アシㇼパさんとこ食べ行く約束したんだけど、行く?」
「おっ、行く行く!」
「あー……私パス。先約あるから」

 学校から少し離れたところにある家族経営のダイニングカフェ。アシㇼパちゃんはそこの娘さんで、よく店を手伝っている子だ。去年の今頃、佐一と白石と私の3人でたまたま通り掛かったその店に入ったのが彼女との出会いだった。隠れ家風の落ち着いた雰囲気と、ボリュームの割にお手頃価格と言う学生のお財布事情に優しいその店を私達はすぐに気に入って、それから足繁く通うことになった。

 そうしたら、いつの間にか佐一とアシㇼパちゃんの間に強い絆が出来ていた。恋愛とも違う、友愛とも少し違う。なんとも名前を付け難いそれは、しかし「愛」と呼ぶには十分で。本当は、私がそこに居たはずなのになぁ、なんて。あのいまだ幼さの残る少女に向ける感情としては些か醜すぎて、おかげで惨めな気持ちになるばかりで。マァ、そんな私の一人相撲にこの鈍感男が気付くはずもなく。

きっと気付いているのは何かと目敏い白石と、それから多分――――

「先約?誰と」
「あー、……尾形」

ぼそりと呟いた名前に、佐一が分かりやすく顔を顰める。その様子に思わず苦笑う。

「最近よく一緒にいるよな」
「んー? まぁ、そうかも」
「……付き合ってんの?」

決してそういう訳では無い。彼との間にそんな甘い雰囲気など微塵もない。かと言って、それがアンタに何の関係があるんだという話なわけで。一体何のつもりで、そんな顔で、そんな台詞を吐くのだろう。もしも私と尾形が付き合っているとして、何か問題でもあるのだろうか。一体どの立場でものを言っているのだろうか。……嗚呼、幼なじみか、うん。

まぁ、佐一の場合、ただ単に「尾形が気に食わないから」という、ただの「アレは辞めといた方がいいぜ」っていう、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。

それでも、変に期待してしまうから辞めて欲しい。もしかして嫉妬でもしてくれてるんじゃないかと、僅かでも独占欲を抱いてくれているんじゃないかと、そんな虚しい幻想を抱かせないで欲しい。

「まさか。尾形とはそんなんじゃないよ」

付き合ってたらなんなの。私はそんな台詞が言える程強い女じゃないのだから。

我ながらぎこちない笑みを浮かべれば、丁度助け舟のように始業のチャイムが鳴り始めた。私はこれ幸いと、何か言いたげに眉を寄せる佐一から視線を逸らし自席へと向かったのだった。



アシㇼパちゃんの店へ行く誘いを断り続けて、たぶん片手じゃ足りなくなって来た頃、ついに佐一が「なぁ」と不満げに声を上げた。

「なまえさ、アシㇼパさんのこと避けてない?」

佐一の隣にいた白石がぎょっとした顔をして、それから気まずそうに私を見た。まぁそうなるよなぁ、と思いつつ真っ直ぐ佐一を見ることもできず、「そんなつもりないけど」と視線を落とす。

「……アシㇼパさん、何か気に触る事をしたなら謝るって」
「まさか、全然。なにもないよ」
「じゃあなんで避けんだよ」
「だから避けてないってば」

オロオロと視線をさ迷わせる白石が少しだけ面白くて、もちろんそれと同時に申し訳なさも感じて。上手く繕えない自分が悪いのはちゃんと分かっている。いや、諦め悪いことが駄目なのか。多分、佐一が梅ちゃんを好きだった頃に辞めておけば良かったのだ。もしかして、なんて淡い期待を抱き続けたのがそもそもの間違いだった。

「アシㇼパさんの何が気に入らねぇの」
「……だからさぁ、」
「俺から見たって変だぜ。そんな付き合い悪い奴じゃなかっただろ」
「私だって用事くらいある」
「アシㇼパさん嫌われたのかもって、」
――――うるさいなぁ」

思いの外大きな声が出て自分で驚いた。いや、それ以上に驚いているのは佐一か。はたと目を丸めた彼を見て、しまったと思った。思ったけれど、遅かった。一度漏れ出た本音の収まりがつかなくなってしまったのだ。

「アシㇼパさんアシㇼパさんアシㇼパさん!……ばっかみたい」
「は、」
「嫌いになりたくないから会わないの」
「……どういうことだよ」
「いっそのこと嫌いになれればよかった。アシㇼパちゃんも、……佐一も」
「はあ?」

佐一の視線が険しくなったその時、白石が慌てた様子で「ちょっ!ストップ!」と間に入った。「落ち着けって、なあ?」その場の空気を誤魔化すようにへらへら笑って私の肩を叩く。その手がやけに優しいものだから、なんだかやりきれなくなって、じわじわと視界が滲み始める。と、その時、ぐっと誰かに腕を引かれた。

「女を泣かせるとは罪な男だなぁ、杉元」

佐一は一瞬呆気に取られた顔をした後「お前には関係ないだろ、尾形」と、すぐにむっと顔を顰めた。私はと言えば、突然の彼の登場に驚いて、今にも零れそうだった涙が途端に引っ込んだ。それをいい事に「泣いてないですけど」とじとりと尾形を見れば「なんだ、面白くねぇな」と白けた表情を向けらる。

「行くぞ」
「え、……どこに」
「おい、こっちは話の途中だぞ」
「お前の都合なんて知るかよ」

そう言うと尾形は私の手を引いて、「おい!」と呼び止める佐一を無視しそのまま教室の外へと出た。掴まれていた手はすぐに離されて、しかし彼はこちらを振り返ることもなく先を歩いていく。少し気怠そうなその背中を、なんとはなしに追いかける。

「あー……ありがとう、?」
「なんで疑問形なんだよ」
「助けてくれたのか茶化されたのかよく分かんなかったから」

そこでようやく彼はこちらを振り返り、自身の髪を撫で付けながら「その両方だ」と薄らと笑みを浮かべた。

「慰めてやろうか」
「慰める人の顔じゃない。何笑ってんの、むかつく」
「失礼な奴だな。元からこんな顔だ」
「勇作くんに写真送ってやろ」
「辞めろ」

そう言うや否や、ようやく近付いた距離を再び離されたものだから、思わず笑ってしまった。すぐにじとりと睨みつけられて、咄嗟に素知らぬ顔をする。まぁ、全然怖くなんてないけれど。

「慰めなくていいからさ、ジュース奢ってよ」
「なんで俺が」
「いつものやつ」
「……あれコンビニにしかねぇだろ」
「うん、今日寄って帰ろ」

 佐一のこととか、アシㇼパちゃんとこととか、考えないといけないことは色々あるけれど。今だけは全て放り投げてしまおう。あ、白石には後で謝らないとなぁ。そんなことを思いながら、ようやく尾形の隣に追いついたのだった。



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