特殊な空間にあるはずの本丸が襲撃されたという事件は前例がなかった。それによって審神者が死んだというのも前例がなかった。
歴史修正主義者側の襲撃については調査が進められるらしい。

同時に、この本丸の解体が決まった。襲撃を受けたことにより人の姿を保っていられなくなった刀剣たちも多い。加えて審神者がいないことが一番の原因だったが、本丸の損壊もひどいものだった。とてもじゃないが新たな審神者を派遣して存続というのは難しいと政府の者から言われた。
反対する者などいなかった。刀剣男士たちが造反しようと思えば政府の者にそれはできるだろう。だが、主人がそんなことを望まないと思ったから、誰も反対はしなかった。
むしろ燭台切にとっては、解体してくれたほうがありがたかった。主人以外の審神者に従えるのかと言われれば素直に頷くことはできない。それはきっと燭台切以外の刀剣たちも同じだ。





「ここにいたのか、燭台切光忠」



ふらりと庭に佇んでいれば名を呼ばれた。耳慣れない男の声。
振り向いた先には黒服に身を包んだ男が一人いた。時の政府の者だというのはわかる。だが審神者ではない。



「用意ができた。来てくれ」



小さく頷いて足を動かす。
我ながらおかしいが、まるで魂が抜けたような、というのは今の自分を言うのだろうなと思った。視界の端に映る、黒焦げになり崩れそうなほどになってしまった本丸が胸に痛かった。だが自分がぼんやり眺めていた桜の木だけは、場違いなほど鮮やかに花びらが舞っていた。

自分も含め残る刀剣男士たちは、政府の者に付いて空間を移動した。移動した先のそこは和室の広間だった。視線を動かした先の前方には、直方体の大きな箱がある。
導かれるようにその箱へと近づく。箱に蓋はされていない。近づくごとに花の香りが強くなる。身をかがめて、その中を真っ直ぐに見据えた。



「主君…」



後ろにいた前田藤四郎の声が漏れ出た。
そうだよ、僕たちの主だ。僕たちの敬愛する主人だよ。燭台切は振り向かなかったが、前田の声は涙を耐えているのがよくわかる。
…僕たちの主人は、どうしてこんな箱に入っているんだろうね。
現実逃避もはなはだしいと思った。なぜ主人がこんなことになっているのか。答えは簡単。彼女は既に死者だからだ。彼女がそうなったことを目の当たりにしているくせに。つい先日に起こった、そのときの感覚すべてが全身に焼き付いて離れないくせに。自分は全てをわかっているくせに。
手袋をした手で、彼女の頬に触れた。ああ、綺麗にしてもらえたんだね。よかった。
真っ赤に染まったあの時と違い、今の彼女はとても白い。顔も腕も、装束も。恐らくは、斬られた大きな傷も申し訳程度に縫い合わされているのだろう。



「燭台切さん…」
「…ああ、ありがとう堀川くん」



燭台切の横で身をかがめた堀川が手向けの花を差し出してきた。それを受け取り、彼女の胸の真ん中に供える。動かない冷たい手をそっと握った。
綺麗だね。本当に、君はとても綺麗だ。誰よりも。何よりも。



「そろそろ時間だ」



政府の者にそう言われた。箱の周囲から離れろという意味だ。ゆっくり手を離して、箱からも離れる。
泣く声がいくつも響く。大声をあげる者、すすり泣く者、静かに涙を流す者。刀種や容姿も関係なかった。だが、燭台切はそうならなかった。自惚れと言われてもいいくらい、一番自分が悲しいはずなのに涙が出なかった。赤い海の中で動かなくなった彼女を抱き、声をあげて泣き叫んだからか。
きっともう自分は泣けないのだ。あのとき、もう泣きつくしてしまった。



「君たち刀剣男士はこの部屋にいてくれ」



この部屋にいてくれ、とは言っているが、恐らく念のためと刀剣男士たちが出れないよう特殊な技術が施されている部屋のはずだ。



「わかっていると思うが、君たちが今の姿でいるのもこれきりだ」



その言葉に他の仲間たちは唇を噛みしめたり、拳を握ったりと反応は様々だった。だが誰も否定の声は上げない。

審神者が死亡しても、呼び出した刀剣男士たちはすぐには消えない。
命と霊力の流れは同じではないようで、命が尽きてもその肉体にはある程度霊力が残り続ける。燭台切たちが今も人の姿でいるのはそのためだ。だが本来、命ある肉体があってこその霊力だ。それが尽きているから、残った霊力は徐々に減っていく。風船の空気がゆっくり抜けるように。だから遅かれ早かれ、自分たちは人の姿でいられなくなるのはわかっていた。

政府の者たちが箱に蓋をし、部屋から運び出していく。主人を連れていく。広間に正座をした刀剣男士たちはそれを見送るしかできない。襖が閉じられ、部屋は静かになった。誰も何も言わなかった。
少しして、体の底から何かが湧き上がるような感覚が起こり始めた。足先から軽くなっていくような。ああ、来たか。ゆらりと視界が陽炎のように揺れる。

主人が消える。
炎に包まれているはずの彼女。わずかに霊力を残した肉体が、完全に消える。だから自分たちも消える。理にかなったことだ。
燭台切は目を閉じて、静かに息を吐いた。こんなことになるなら。それは後悔する者の言いわけでしかない。それもわかっている。

僕しか知らない君の名前を、もう一度呼んでみたかったな。
もう二度と呼ぶことはできないんだろうけど。

主人に言っておきたかった。もっと早く言うべきだった。
意識が薄れる。ここまでか。また、鉄の塊に意識が沈む。
きっとこの感情も、二度と言うことはないのだろうと思った。



―――
――





桜咲く広場では、程よく吹いた風で花びらが舞う。
綺麗だけれど、大量に服についたままなのもどうかと思うので、はたいてそれを落とした。

先ほどからこうして花見をしつつスマホに写真を収めているけれど、そういえば、光忠と私が写ったのは撮っていなかったなと思い出した。花だけの写真や、私が光忠を写したものはたくさん撮ったけど。自撮りでいいから、せめて一枚くらい撮っておきたいなと思った。



「光忠ー」



少し離れたところにいる光忠を振り返るも、彼は私が呼んだことに気付いていなかった。風が強く吹いたせいで声が聞こえなかったのだろう。



「みつただー!」



大きめの声で呼んでみると彼はこちらを振り向いた。
なぜだか少し顔が強張ったように見えた。でもすぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
こっちこっちと手招きすると、長いコンパスが動いてこちらにやってきてくれる。



「ねぇ光忠、しゃしん、」



写真撮ろう、という言葉は途中で止まった。
光忠にぎゅうと抱きしめられて、何も言えなくなった。



「ちょっ、光忠…!」



軽く肩を押す。
嬉しいけど外でこういうのは遠慮したいところだ。今のところ広場には私たちしかいないけど、他人に見られたら恥ずかしい。



「うん、ごめん」



光忠もそれをわかっているからか、すぐに離してくれた。
写真撮ろうと改めて言おうとするも、またその言葉は喉の奥へ引っ込んだ。見上げた光忠が、あまりにも真剣な表情をしていたから。
軽く息を吐いた光忠が口を開く。



「愛してる」



私はまた何も言えなかった。その言葉はあまりにも突然で、素直に驚いてしまって。

好き、ではない。大好き、でもない。愛していると。そんな大事な言葉を面と向かって言われたのは初めてで。
恥ずかしいとかの感情は湧かなかった。とても驚いていて、嬉しくて。じんわりと胸の真ん中が温かくなる。
なんて言えばいいのかと思っていると、手を差し出された。突然のことが重なりすぎて状況を飲み込めない。差し出された手と光忠の顔を交互に見るしかできない。
でも、ねぇ光忠、どうして少しだけ泣きそうな顔をしているの?



「幸せにするから」



その言葉を聞いて、驚いていた心が急に落ち着いた。



「何言ってるの光忠」



そう返すと今度は光忠が驚いた顔をした。そんな返しが来るとは思わなかったのかもしれない。
本当に、何を言ってるの光忠。



「今でも充分幸せだよ」



光忠はぱちくりとまばたきをした。

私は今でもとても幸せなのだ。光忠と恋をしていることに。光忠を好きでいることに。光忠が私を好きでいてくれることに。こうして一緒にいられることに。
―――愛してるなんて言ってくれることに。



「それなのに、幸せにするからなんて言ってハードル上げていいの?」



これ以上の幸せを与えてくれることに期待していいの?
悪戯っぽく言ってみれば、光忠は途端にくしゃりと表情を崩した。



「じゃあ、期待に応えないとね」



どこかで聞いたことがある言葉のような気がした。
光忠は期待に応えてくれるらしい。スペックの高い人だから、きっと私の期待なんてすぐに上回ってしまうのだろうけど。

今も少し期待してるよ。これから何を言われるかを。
愛してる、なんて。幸せにするから、なんて。そう言ってくれるなら、これから言われることに対して期待してもいいはず。そう思うのはおこがましいだろうか。早とちりだろうか。



「…帰りに街のほうで買い物したいって、僕さっき言ったよね」
「うん、聞いた」



何を買うかは秘密だと言われたけど。でも今は、もしかしたらと思いつくものがある。
格好付かないかな…、と光忠は苦笑していたけど真っ直ぐに私を見た。



「僕と結婚してください」



ああ、ほらね。光忠はいつだって私の期待を簡単に叶えてしまうのだ。
改めて手が差し出されると、舞った花びらが彼の掌に落ちる。そのまま自分のを重ねた。光忠が私の手を強く握るから、私も同じように握り返した。
素敵だね。こんなに綺麗な所でプロポーズされるなんて、なんて素敵なことなんだろう。



「喜んで。長船光忠さん」



また風が吹いて桜が舞った。



(二度と君に言えないと思っていたんだ)



やっと言えた。



―――
お題はこちらから↓
【現パロシリーズ光忠と彼女の場合】 愛してると突然言われた。驚きのあまり何も言えずにいると差し出される手。状況を飲み込めずその手と顔を交互に見ていると、幸せにするから、という言葉。何を言ってるんだか。充分幸せだよ。 https://shindanmaker.com/587661



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