「へし切長谷部といいます」



主人にそう名乗ったはいい。できれば長谷部と呼んでほしい、ということも伝えた。しかし主人のような年齢にしてみれば“へし切”という名のほうが印象強かったのか、彼をそちらで呼ぶことが癖付いてしまった。



「へしきりー!どこー?」



気に入らない名前で呼ばれようとも、主人がお呼びなら行かねばならない。



「はい。長谷部はここですよ、主」
「あ、いた!」



主人の前では自分のことを“長谷部”と呼ぶことで、そちらの名を覚えてもらおうとする。



「ねぇ、へしきりはなんのおだんごがすき?」
「お団子ですか?長谷部はあんこが好きですね」
「あんこね、わかった!いま、おだんごつくっててね…あ、へしきり。つぶあんとこしあんどっちがいい?」
「長谷部はこしあんが好きですが、主はどちらが好きですか?」
「わたしはつぶあんかなぁ」
「では長谷部も主の好きなつぶあんを食べましょう」
「ほんと?へしきりやさしいね!」



しかし、なかなかどうして主人には長谷部と呼ぶことが浸透しない。
自分を長谷部と呼ぶことで、それとなく覚えてもらうのもうまくいっていない。主人の前では、自分で自分を長谷部と呼んでいることに関して、燭台切は微笑ましく見ていること、鶴丸などはにやにやしていることが長谷部にとっては気に食わなかった。



できればへし切ではなく、長谷部と呼んでください。
顕現した当初のそんな願いも空しく、幼子である今の主人は相変わらず長谷部のことをへし切と呼ぶ。



「ねぇ…へしきりってよばれるの、きらい?」
「は…?」



唐突な問いに長谷部は作業をしていた手を止めた。



「突然、どうしました?」
「つるまるが、へしきりは、へしきりってよばれるのがきらいなんだぞっていってたから…」



ごめんなさい…、と正座して頭を下げる主を前にすると、さながら長谷部が主人を説教しているような図となった。
長谷部は慌てて主人の謝罪を止めさせる。



「あ、主、謝るなどやめてください…!」
「だって、わたしずっとへしきりってよんでたから…」



ああ、鶴丸の奴、余計なことをしてくれた。
へし切と呼ばれることは確かに好んではいないが、それ以上に、主人が謝ることや彼女のしょげた顔を見ることのほうが長谷部にとって余程好ましくないことだ。



「おこってる…?」
「長谷部は怒っていませんよ。今まで、主が呼んだ時に怒ったことがありましたか?」
「ううん…」
「でしたら長谷部は怒っていません。主は悪いことをしたわけではないのですから、謝らなくていいんですよ?」



納得したようなしていないような、そんな表情を主人は浮かべたが長谷部を見上げる。



「…へしきり」
「はい」
「はせべ」
「はい」
「…どっちがうれしい?」



どちらで呼ぶことがいいのかを探る意図があったらしいが、長谷部自身はどちらの呼び方に対しても公平に返事をしたので、もはやどちらがいいかを直接尋ねてくる主人はまだまだ幼い。



「長谷部はどちらで呼ばれても、すぐに返事をしますよ。主のお好きなほうでどうぞ」
「…ん」



まだどちらで呼ぶかを迷うらしい主人は、曖昧に頷いた。



*****



―――へしきりー

―――へしきり、おやつだって

―――こしあんのおしるこだよ、はせべのすきなこしあん!



最近、三回に一回は長谷部と呼ばれるようになった。
あれ以降どうやら主人は長谷部と呼ぶことにシフトしようとしているらしいが、やはり今までの癖が抜けないようで、無意識にへし切と呼ぶこともまだ多い。

前の主の狼藉が由来である名前が嫌いだった。
それもあって本丸の皆は長谷部と呼ぶ。「へし切」と呼ぶのは主だけだった。
当初はへし切と呼ばれることがどうしようもなく嫌で、返事はしたが内心では荒れ狂うこともあったというのに。
長谷部と覚えて欲しいが故に、主人の前では自分で自分を長谷部と呼んでいたというのに。



「へしき、あ、…はせべー」
「はい主、長谷部はここですよ」
「はせべ、もうすぐおひるごはんだよ」
「わかりました。参りましょうか」
「はせべは、おひるたべたらいないの?」
「そうですね、長谷部はこのあと遠征へ行きます」
「きをつけてねはせべ」
「大丈夫ですよ。長谷部は怪我などしません」
「はせべつよいもんね!」
「はい。長谷部は強いですから」



あれほど嫌っていた名がいつのまにか、主人からのみ呼ばれるという特別なものに格上げされていた。
主人の声がへし切と呼ぶ度にどこか耳には心地よくて、次第にそれでもよくなっていた。主が己を呼び頼りにしてくれるのならば、へし切と呼ばれようとも嫌な気持ちにはならなくなっていた。
だからなんとなく、主人が長谷部という呼び方に移っていくのが少し寂しいような、残念なような。

だが“長谷部”の呼び方に慣れようと、主人が何度も自分を呼んでくれることはとても心地よかった。



(最近の主、ちゃんと長谷部くんのこと長谷部って呼んでくれてるね)
(そうだな。慣れようと主は努力してくださっている)
(なら、そろそろ自分で「長谷部」って呼ぶのやめてもいいんじゃないかな?)
(……)
(あ、もう無意識になってたんだね)





ALICE+