不思議な人と出会った。
唐突にやって来た殿方。彼は三日月宗近と名乗った。

みかづきむねちか。
不思議な人だった。目に月を宿した、とても美しい人。あんなに美しい人を見たのは初めてだった。しかも、殿方であれほど美しいなんて。そして美しいだけではなくて、柔らかく笑い、とても温かい人だった。
一体誰だったのだろう。そうだ、蔵に行ってみろと言っていた。あれはどういう意味だろう。なぜとは訊くなと言われた。



ここには私以外誰もいない。親もきょうだいも臣下も皆流行り病に倒れてしまった。
この家は廃れてしまった。人からは物の怪が住むと噂されているらしい。そのような悪い気配など、まったく感じられないのに。夜もとても静かだ。この家の者が次々と倒れていったときには、とても嫌な妖などがいたりもしたけれど。

蔵…、屋敷同様もうすっかり廃れている。長いこと入っていない。でもあの人から言われた通り、行ってみなくてはいけないような気がした。
ゆっくりと寝殿を出て庭を通り、蔵へと足を踏み入れた。埃やかびの匂いが充満している。だが、小さな窓から細い光が入ってきていた。
使われることのないものばかりがしまわれていたけれど、そこに一本だけ刀があった。
その刀は埃が積もっていない。
胸がざわつく。導かれるように、それだけを手に取って蔵を出た。



寝殿に戻り刀を置くと、体の中心がざわざわとする。
刀に手を触れた。急に掌が熱くなってくる。その熱が刀に吸い取られているような。熱い、あつい、あつい…!その熱さに目を閉じるも、反対に手はさらに力強く刀を握った。

不意に、手に伝わる感覚が変わったことに気付いた。刀を持つ感覚ではない。目を開いて、驚いたものの声は出なかった。
殿方がいた。見覚えのある青い着物。背の高い人。刀を握っていたはずの私の手は、いつの間にかその人の手を握る形となっていた。それまではたしかに刀を握っていたはずなのに。今は確かに、人の手だ。刀はその人が腰へ携える形になっている。
一体、何が起こったのだ。

その人の目がゆっくりと開く。鮮やかな青と、その中にある三日月模様が見える。あのときの人だ。



「ここは…」



その目に私を写した目の前の人は、ぱちりと瞬きをした。

何かがおかしい。私を見ても何も言わない。あのときのように、まるで以前から私を知っているという風ではない。まるっきり初対面の相手に対するそれだ。
だが、目は決して逸らされない。



「お前は…、俺の主か?」
「あるじ…」



思考を巡らせる。
この人はきっと、この刀に宿る妖か何かなのだ。ならば、あのときにやって来たあの人もそうだったのだろうか。だが目の前の殿方は、あのときの人ではない。何がどうなっているのか、よくわからない。でもおそらく、彼は私に害を成そうという意思はない。

たしかなことは、この刀は我が屋敷の蔵にあった。この家の所有物であることは間違いない。私の親が生きていたならば、おそらく所有者は親だ。でも既にこの家の者は、私以外誰もいない。ならば、



「ええ、そうです。刀に宿りし者よ」



ならば私が主と名乗ってもいいのだろう。
未だ握ったままの手に、少しだけ力を込めた。

刀など、女が持つべきではないというのはわかっているけれど。ここで否定して何になるというのだ。肯定して損はしない。
目の前の人は私をじっと見つめる。そして、手が握り返された。



「そうか。主となる娘よ、よろしく頼む」
「ええ、どうぞよしなに」



微笑んで返すと、彼は不思議そうにこちらを見てくる。



「その顔はなんという?」
「顔?笑うということですか?」
「笑う…」



…何やら彼にはいろいろと教えることがありそうだ。



「嬉しい時や楽しい時、幸福な時などにしてしまう表情を、笑うというのですよ」
「ほう…、では、今の俺も笑うのが良いのか」
「そういった気持ちでいるのならば」
「ああ。なにやら、とても嬉しい気分だ」
「それはよいことですね」



彼は優しげに微笑んだ。
彼は人ではないのだ。改めてそれがわかった気がする。
あの時やって来た、かの人を思い出す。不思議な人。突然やってきて、突然いなくなった。一つの歌まで残していった。返歌を贈る暇がなかった。

しかしまたこうして私の前に現れた。人ではない、美しいあなた。またお会いできて、私もとても嬉しいですよ。
…ああ違った、また、ではない。今のあなたに会うのは、初めてだ。



「刀に宿りし者よ、あなたに、名はおありですか?」
「いや、号はない」
「そうですか。では、あなたに名を贈りましょう」



あなたの名は決まっている。あなたが私に教えてくれた。
あの時のあなたは、今ここにいるあなたではないのかもしれないけれど。不思議なことだ。

彼の名は随分と私の心に響いた。それもあって、この名を。



「三日月宗近、と」
「みかづきむねちか…」
「ええ、あなたに合うと思うのです」
「ふむ、良い名だな」



三日月宗近。どうか、人の世に残る号であれ。





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