新たな場所に時間遡行軍が出現したとの報告が上がった。 以前見回りをした平安の時代で出現したという。いつの時代に現れても不思議ではないから、三日月は特に何も思わなかった。ただ、平安の時代ということに少しだけ惹かれたのは事実だった。 平安の時代、京の都。 時代と場所故、念のために見回りをした時と同様の面子で部隊が組まれた。主人に送り出され、空間を移動してその地に降り立つ。 遡行軍が出現した地点を割り出し、刀剣男士もその地点へ送られることになるが、空間が開いた場所に三日月は見覚えがあった。まさかここは。 懐かしさにふける前に、石切丸が顔をしかめた。 「よくない気が漂っているね…。だが、近くに人の気配もあるようだ」 人の気配。それは三日月にもわかる。敵と戦う刀剣男士には、誤って歴史変動を起こさぬよう敵と人間の気配を察知する能力が備わっている。そうでなければ索敵などできない。 人がいるのはわかっている。だがなぜこの場所だ。この場所に人など一人しかいないと思った。誰も寄り付かぬ場所だった。勝手に三日月の中で感覚が騒ぎ出す。 知らない気配ではなかった。遥か昔に知ったもの。今でも覚えているもの。 「あの屋敷からだね」 石切丸の言葉に三日月は反射的に走り出していた。他の仲間が慌てて後ろを追ってくるのがわかる。 「三日月!待て、索敵を…!」 「俺はここを知っている、問題ないっ」 「場所を知っているかどうかの問題ではないだろう…!」 岩融の声には振り向かず、記憶に残る屋敷の門をくぐった。 しかし、どうしてこの場所なのだ。この屋敷はあの娘の…。 あの娘が大きく歴史に関わっているとは思えない。仮に一つ理由を挙げるのならば、2205年以前に生きているのに、彼女が審神者に酷似した力を持っているということくらいか。 いずれにしろ、敵が娘を殺そうとしているのか。だとしたら何としてでも阻止したかった。もちろん刀剣男士としての役割を果たすうえでそれは必至だったが、三日月の私情が混ざっていることに否定するつもりはなかった。 あの娘を先に見つけることができれば敵から守りやすくなる。庭を駆け抜けた三日月は一気に寝殿へと入り込んだ。 「娘よ、どこにいる…!」 呼ぶが返事はない。廊下を駆けて母屋へと入り、足が止まった。娘は母屋にいた。娘を見つけた。図らずもまた会うことができた。 布団へ横たわっていた娘が、ゆっくり目を開きこちらを見た。 「三日月…、どう、しましたか…?」 三日月を見ても娘は驚いていない。 つまり既に、三日月宗近という刀との出会いを果たしている時間軸であるということだ。同時に、当たり前のように呼ぶほどに三日月宗近と過ごしているということ。 今この時代に娘と生きている三日月宗近がどこかにいるはず。娘は目の前の三日月が、未来から来た者だということは当然だがわかっていない。 自分自身とは鉢合わせてはいけないということは三日月もわかっている。だがどうしても懐かしさと愛しさが勝る。三日月は娘に近づき膝をついた。そっと頬に手を添えて微笑む。 「三日月…?」 「娘よ、安心してくれ。すぐに、」 すぐに助けてやろう。 そう言いかけたが言葉が詰まった。喉に鉛が詰まったような気がした。 三日月は今の娘の姿を覚えていた。横たわり、苦しそうに息をする彼女の姿。 気づいた。今この時間における娘の状況と、その先を三日月は知っている。 まさか。 ゆっくりと三日月は娘から手を離した。…そうか。 「あ、の…三日月…?」 黙った三日月に娘は不思議そうにしたが、その表情さえも弱々しい。そうか、そういうことか。 娘は軽く息を吐くと、こちらに向かって弱々しくも微笑んだ。 「三日月、…いつかの願いを、叶えていただけますか…?」 「……」 黙ったまま、曖昧に三日月は笑い返す。痩せ細った手をゆるりと握った。 懐かしい香の匂いがする。三日月はこの香りが好きだった。いや、娘が使っていたからこの香りが好きだった。 体を倒し、娘の額と自分のを合わせた。目を閉じてゆっくりと開く。当然ながら娘と目が合った。三日月は静かに口を開く。 「…あいわかった。少しだけ、待っていてくれ」 「はい…」 微笑み合ってから、三日月は立ち上がり母屋を出た。この時代に存在する自分とは会わないことだけ注意しながら寝殿から庭へと降りた。 「みかづき、どこにいっていたのですか!」 仲間たちが追い付いていたらしい。今剣が不機嫌そうに眉根を寄せた。 「何を焦っていた。お前らしくもない」 岩融に咎められ、改めて冷静になる。 「…ああ、すまんな」 「謝るよりも、既に踏み込んでしまったようだよ」 石切丸の言葉に、途端に空気が張り詰めた。 強い霊気を感じると、周囲に遡行軍が現れ始める。陣形を確かめることもせずに敵の中へ突っ込んでしまったことに、三日月は自分を詰った。冷静さを欠いた。だがもうここまで入り込んでしまえば今さら陣形を確認してもいられない。部隊の面子各々が鞘から刀を抜いた。 「奴らを…寝殿の中へは入れないでくれ」 「奴らを入れたら歴史が変わるということか?」 「ああ、そうだ」 背中を向き合わせている仲間たちに告げれば、彼らがそれを了承したと同時に戦闘が始まる。一体また一体と、刀がぶつかり合っては三日月はそれを打ち倒す。やけに敵数が多い。夜戦ではないため、全員が問題なく戦闘を行えることがせめてもの救いだった。 …急げよ、三日月宗近。 それは自身にではなく、この屋敷内にいるはずの、この時代の自分へと向けた言葉で。 遡行軍が望む歴史改変は、重要人物の死亡や戦の勝敗だけとは限らない。 本来、函館で死ぬはずの土方歳三の戦死を阻止しようとしたりもしている。死ぬべき者を生かすことで歴史改変をしようともしているのだ。それはわかっていた。わかったつもりでいた。 三日月はまた一体敵を倒す。 すると不意に、かちりと何かがはまり込んだような感覚が起こった。頭の中に映像が浮かび上がった。 突如として見え始めたその視界は廊下を進んでいる。見たことのある廊下だ。そして角を曲がり到達した先は、先ほどまで三日月がいた母屋だった。横たわる娘がいる。娘との距離が近くなる。 横たわったままこちらへ何かを言う娘に、視界が上下に揺れた。この視点の主が頷いたことを意味していた。 そのまま視界が左下へ動く。見えたその腰には刀剣がある。右手が柄にかかり、鞘から刀身が抜かれた。刀を持つ右手も、鈍く銀色に光るその刀身も、よくよく見覚えのあるもので。 これは何だ、誰の視点だ。疑問に思う前に答えが出た。 同じ者が、同じ場所に同時に存在している。付喪神としての精神が同調でもしたか。 ―――これは、『俺の』視点だ。 先ほどの娘を見て、三日月は気づいた。遡行軍は、彼女を殺そうとしているのではないと。 敵側が変えたい歴史というのは『本来生きるべき彼女を殺そう』というのではない。『本来ここで死ぬべき彼女を生かそう』ということだと。 三日月は当然覚えている。あの娘の状態、疫病に侵されている姿。 『三日月、…いつかの願いを、叶えていただけますか…?』 娘の願い。それも覚えている。命尽きる時には、三日月宗近というその刀で斬って欲しいと。 今この時間は、あの時なのだ。 だから彼女を殺すのは遡行軍ではない。―――三日月宗近だ。 「っ、待て!」 寝殿へと入り込もうとする遡行軍の太刀の前へと回り込んだ。振り上げて向かってくるそれを三日月は刀身で受ける。 最中、どこかで思った。目の前のこいつを進ませれば、あの娘は生きることができるのだろうか。病に侵されてはいるが、何かしらで生き延びることができるのだろうか。少なくとも、刀で斬られて命を落とすなどということにはならないのは確かだ。 …遡行軍、お前を行かせれば、あの娘は生きるのか? 頭の中の映像が進む。 娘は布団から出るとゆっくり立ち上がった。娘は口を開いて何かを言うが、なんと言っているかは聞こえない。苦し気に笑う姿に視界が揺れる。目を逸らしたのか。下がった視界の端には刀を握ったままの右手。それがかすかに震えていた。 ああ、そうだった。俺はこの時、恐れていたのだった。この先に起こることに。 「っ!」 目の前の敵と刀身同士がぶつかり、金属音が響く。 馬鹿なことを。俺は何を考えた。例えこの場で死なずとも、あの娘は遅かれ早かれ命が尽きていく。わかっていたことだろう。何より…、俺は娘の願いを叶えてやると約束した。あの娘は俺にそうされることを願った。 娘の願いを叶えるのは俺だ。お前たちにそれを変えられることは、どうにも許しがたい。 しかしながら、その先を思うとどうしても、 「悲しいものだな…」 目の前の敵の姿がじわりと歪み、頬を何かが伝うのを感じた。 しかし反比例して口元は笑う。癖のように笑ってしまう。最初に教えられたことだったからか。もう少しすれば、この時代の三日月は初めて悲しいという感情を知るのだろう。 敵の攻撃を受けるよりも速く、三日月の一太刀が相手の刀を手から弾いた。前の敵を見据える。弾かれた敵の刀が宙を舞う。やけにそれがゆっくりに見えた。 頭の中に浮かぶ別の視界も前を向いた。再び娘が映る。娘は待っている。 『三日月』は刀を振り上げる。 手など震えていない。“あちら”は恐らく震えているのだろうが。躊躇うな。ただ一振りをすればいい。 「―――斬れ」 言い聞かせるように刀を降り下ろした。斬った感触が手に伝わる。 目の前の敵が倒れていく。 目の前の娘が倒れていく。 遡行軍の太刀が砂のように消えたところで、別の視界は頭の中から消えた。 「無事か!三日月」 「ああ、大丈夫だ」 敵はすべて倒し終えたようで、仲間たちも皆無事であることに安堵する。大きな怪我を負った者もいない。 声をかけてくれた岩融へと近づくもそのまま彼の横を通り過ぎる。 「戻るか。ここに長居は無用だ」 岩融は何も言わなかったが、他の仲間へ声をかけてからすぐに三日月の横に並ぶ。 「何があった」 前を向いたまま岩融は口を開くが、それは当然三日月に向けられた言葉だ。 さすがに様子がおかしいことには気づかれているか。豪快な性格ながら察しのいい男だ。 「お前が涙を流すなど、俺は初めて見たぞ」 「…ああ、そうだろうな。なに、大したことではない」 刀を鞘に納め、他の仲間には気づかれないよう袖で拭う。 「昔を思い出しただけだ」 昔と言えばいいのか、この場における今と言えばいいのか。 それが三日月にはわからなかった。 |