なぜ俺は刀剣男士などになっている。
なぜあの娘と長くいることが叶わなかった。
なぜあの娘は生きられなかった。

なぜ、なぜ、なぜ。
頭の中を、答えの出ない疑問が回る。よくわからない感情でいっぱいになっている。わかるのは、少なくとも今自分が抱いているのは負の感情であるということだった。



「三日月…?」
「すまんな、先に行っていてくれ」



遡行軍との戦闘を終え、あとは主人や仲間の待つ本丸へ帰るだけだった。
立ち止まった自分に、隣を歩いていた岩融が声をかけるも短く返事をすることしかできない。先ほどこの男には、昔を思い出しただけだ、と零した。詳しくは何も知らないだろうが、岩融は黙って頷き背中を向ける。



「時間はいくらでも使っていいが、必ず来い。空間の入り口で待っているぞ」
「…ああ。礼を言う」



先を歩いていた他の仲間たちにはうまく言っておいてくれるのだろう。
三日月は今まで来た道を戻るように足を進めた。

目的地は言うまでもなく、見慣れた屋敷だ。先ほどまで遡行軍と戦闘した庭を通り、寝殿へと足を踏み入れる。とても静かだ。三日月が息をする音と、床がきしむ音しか聞こえない。
廊下を進んで母屋へと辿り着いた。そこは血の匂いがした。床には一人、倒れている女がいた。その腕に抱えられるような形で、刀剣が一本。わかっていたがその光景を見て、拳を握る。また、このような娘を見ることになるとは。
自分が娘を斬った。かつての自分、今ここでは刀剣の姿である自分。こんな光景を生み出したのは三日月だ。

遡行軍はこの場面を変えようとしていた。娘を生かそうとしていた。
今の三日月は何よりも娘に生きていてほしいと思っていた。戦闘の最中、それを望みかけた。馬鹿な考えだと振り切った。それは決して間違ってはいないことのはずだった。歴史を変えてはいけない。それがいかなるものであれ。
充分にわかっている。今の主人によって顕現された時から今に至るまで、遡行軍を倒し歴史の変動を防ぐ。その役割を理解し何度もこなしてきた。当然ながら今回もそうだ。戦闘には勝利し、歴史の変動は防がれた。自分は正しいことをした。

それなのに。



「…っ」



どうして、こんなにも悲しくてつらいのだ。

行動と本心が相反していたためか。
どうしたって、娘に生きて欲しいという望みは拭いきれなかった。今の三日月にはなおさらだ。
かつての自分を詰りたいほどだ。なぜお前は娘を斬ったのだ。なぜ生かしておかなかった。
なぜと訊かれればそれは他でもない娘が願ったことで、三日月もそれをわかっていたからで。

だから、娘を斬った自分は、間違ったことはしていない。その歴史を変えさせなかった今の自分も、間違ったことをしていない。間違いなどどこにもないのだ。だからこそ余計に苦しい。
ならばせめて言って欲しかった。娘の口から、三日月は間違っていないと、一言だけでいいから。それも叶うはずはないとわかってはいる。

なぜこの時の俺は、迷うことなく娘を斬ったのだろう。
娘が死ぬまで、この娘が愛おしいのだとわからなかったせいか。
そうだった。娘が死んで、自分が人の姿ではなくなる時、初めてそれに気づいたのだったな。

母屋の中へと入り、倒れる娘を抱き起こす。左肩から斬られた娘の体は力なくだらりと揺れるばかりだ。過去に三日月自身が斬った傷の始まり。ひときわ傷の深い部分である娘の左肩をそっと押さえた。
己の神気を送りでもすれば何か起こるだろうか。そんな期待を込めて、少しだけ娘の左肩に触れた手に力を込めた。それをしたからといって、傷が塞がるわけでもなかった。仮に傷が塞がったところで、娘が息を吹き返すわけでもない。

娘の顔に水が落ちた。それを袖で拭ってやる。
もっと早くにこの娘が愛おしいとわかっていたなら、あの時もっと躊躇っていたものを。
結局、娘に伝えることもできぬまま終わってしまった。いや、正確には、娘には伝えていた。この時の三日月ではない、今の三日月が。見回りとして初めてこの時代に送り出された時、まだ一人だった娘に会った。その時に一つ和歌を贈った。しかしそれが正しく伝わったかは、今となってはわからない。
少なくとも今の三日月は、娘に和歌を贈る程に恋しく思っている。



「お前はどうだ、娘よ…」



俺と過ごした日々をどう思っていた?幸福だったか?
お前はなぜ、最後の時には俺に斬って欲しいなどと願った。
俺の主であった意地か?楽に死ぬことができると考えたのか?

お前はなぜ、最後の時まで自分と共にあって欲しいと願った。
一人で生きるのが嫌だったからか?誰かと共にいたかったからか?
それとも、傍にいたのが俺であったからか?



「色恋事には、不慣れでな…」



気づくのも伝えるのも遅かった。
あの和歌の意味は、読み解いてくれたか?伝わっていたか?愛おしいと伝えたら、今のお前はどう思う?
娘の気持ちは、何もわからないままだ。だが、彼女が最後の時を任せようと思うくらいには、信頼してくれていたと思ってもいいだろうか。
肩に触れたままだった手を離す。娘の体をゆっくりと下ろし、細い手を腹の部分で組むようにする。その横に三日月宗近という刀剣を置いた。

これ以上いるわけにはいかない。未来から来た三日月が必要以上にここにいれば、それもまた意図しない歴史改変となる場合も否定しきれない。
それに、待たせている仲間もいる。今の三日月は一人ではない。岩融からは、必ず来いと、待っていると。
三日月が立ち上がるとまたきしりと床が鳴る。いつの間にか涙は止まっていて、三日月はゆるりと笑う。背を向けた。



「…ではな。娘よ」



奇妙な力を持った、愛しき娘――お前は少しでも、俺を恋しいと思ってくれていたか?





ALICE+