いたって普通の関係だった。
本当に普通だったのだ。私は審神者で主で、御手杵は刀剣男士という付喪神で。だけども御手杵は、審神者だからと私を特別あがめているわけではなかった。それこそ言うなれば近所にいるお兄さんのような、はたまた学校なんかの同級生でよくあるような、軽口をたたき合えるようなそんな関係だった。かと言ってお互いを軽視していたわけではなく、ちゃんと互いに感謝と敬意をもっていた。御手杵と話をしたりするのはとても楽しかった。

だが、いつからかそんな風な関係ではなくなっていた。
そうなったきっかけは、今思い出してもよくわからない。その日のことはよく覚えているけれど。
ある日、ふと御手杵の様子がいつもと違うなと思った。何とははっきり言えないが、私が勝手に違和感を覚えたのだ。他の刀剣たちはそう思わなかったようだから、ただの勘違いだったのかもしれないが。
いつものような穏やかな雰囲気は、少し尖っているように感じられた。出陣で誉を取ったのは御手杵だったから、機嫌がよくなることは考えられても悪くなることは考えにくかった。



『御手杵、どうかしたの?どこか怪我をしたならすぐ手入れを、』
『平気だ。怪我はしてない』
『それならいいけど…』



笑ってこちらを見てくれたが、その笑みすらもいつもと違うように見えていた。今となっては、本当にいつもと違う笑みだったのかすらも断言できない。いつも通りだったのかもしれない。
その日は隊長を任せていたために、出陣の内容はどうだったかなどを聞いて書類を作る必要があった。機嫌が悪いのならば今すぐにとは言わなかったが、御手杵は大丈夫だと言ったので執務室に来てもらった。
執務室に入り、文机に置いているパソコンの電源を入れて御手杵の分の座布団を用意した。その間に、私に続いて部屋に入った御手杵が障子を閉めたのは音でわかった。



「帰ってきてすぐにごめんなさい。とりあえず座って、」



先に座布団に座り、御手杵にも着席を促そうと後ろを振り返って、驚いた。
御手杵がとても近かったから。いや、近いなんてものじゃない。近いと思う前に体が長い腕によって包まれていた。ただそれは少々痛みを覚えるほどに強い力で、圧迫感があったから背筋が震えた。
首筋に触れる茶色い髪はいつものようにふわふわとしていたが、耳に聞こえる息遣いは苦しそうに聞こえた。そこで私が最初に思ったのは、やはりどこか怪我をしていたのではないか。怪我はなくとも体調がすぐれないのではないかということだった。



「お、御手杵?」



せめて顔色が悪いのかどうかを確認しようと肩を押し、御手杵の顔を覗き込む。かち合った目は射貫くような鋭さを持っていて、そのことに背中を冷汗が流れるような気さえした。



「お、て、っ」



その目と、頬を触れられた瞬間にこれはだめだ、止めなくてはと思ったがもう遅い。名前を呼ぼうと口を開くわずかな間に、距離はぴたりとゼロになった。呼びかけた「御手杵」という言葉は、目の前にいる本人の口内へと飲み込まれてしまう。



「ぅ、っ…ちょ、」



いきなりのことにどうしたって驚きを隠せず、触れ合った唇を慌てて離すも、背けた顔を追いかけるようにまたすぐに口をふさがれる。今度は背けさせてなるものかと言うように、大きな手が後頭部に回されより密着する形となる。
おおよそ優しいとは言えないその行動に、文字通り息が詰まる。うまく酸素が取り入れられず反射的に口から空気を取り入れようとするも、それすらも自分の首を絞めることにつながった。わずかに開いた隙間からはぬるりと何かが侵入してくる。「何か」なんて、考えるまでもなくわかってしまう。
私の意思とは関係なく口内を動く「何か」の感覚に体が震えた。



「ふ、っ…う」



酸素が足りなくて頭も回らなくなる。
口内を動く御手杵の舌は、縮こまる私のそれを引っ張り出すように舌先を絡ませてくる。それから逃れようと無意識に体ごと後ろへのけ反ろうとするも、体も頭も最初から拘束されているから無理なことだ。逃げ場のない私に対し、御手杵はさらに前のめりになり、何かを吸い上げるように唇を密着させてくる。
呼吸ができなくて苦しい。体に回された片腕の力が強くて苦しい。いろいろな苦しさを同時に体感しているから、私はこのまま苦しさで死ぬのではないかと思ったほど。

ぐいぐいと唇を押し付けられる感覚にどうしたらいいのかわからないまま、私の体はゆっくりと倒された。背中に当たる畳の固い感触。膝あたりにある座布団の感触。



「……!? んっ、んーんっ……!」



袴の紐が引っ張られたのがわかった。その瞬間、弾かれたように私は体をばたつかせるが脚がばたばたと動くだけ。喉から上がる呻き声にも似た音は結局御手杵に飲み込まれる。肩を押し返そうにも、とてもじゃないが私の力では御手杵をどかせることなど無理だと悟るに至ってしまう。



「う、ふ…はぁ…っ、御手杵……っ!」



ようやく離された口が自由になり言葉を発することが叶うも、状況としては何も変わらない。私は御手杵をどかせないままだし、御手杵も私を放す気はないというのがわかる。



「おてぎね、やめっ……!」



必死に肩を押しつつ発した声は途中で止まる。
また口をふさがれたわけでもない。無意識に止めざるを得なかったのだ。

近距離でかち合った御手杵の目は、いつもの御手杵ではなかった。
本丸に帰ってきたはずなのに、未だ戦闘に向き合っているような。敵と対峙しているかのような。言うなれば、目の前にいる相手を必ず殺すという絶対的な意志を持っているような。内にある何かが燃えているような。
そんな、形容しがたい何かを感じた。背筋が冷えて、呼吸も一瞬止まる。言葉も止まってしまう。驚きやら何やらの感情がないまぜになっていた。



「主……」



その異様な何かを醸し出す目とは裏腹に、「主」と私を呼ぶ御手杵の声はひどく落ち着いているように聞こえた。だけどもやはり抑えきれない熱がこもっているような気がした。
合わせていた目は私の視界から消え、彼の顔が首や胸元に埋められたせいで私は御手杵の髪しか見えなくなった。

肌に直接唇が触れていく感覚と、着物の合わせが開かれて空気が肌を撫でる。
だけども私はもう何も言わなかった。逃げ出す気も起きなかった。手足を動かすことも放棄した。ついさきほどまで御手杵の目があった場所を未だに見つめていた。さっきの御手杵の目を思い出し、まだそれと目を合わせているかのような状態で、ただその先の虚空を見つめていた。
でもその状態は長くは続かず、御手杵が体に触れる度にその感覚にあわせて声を上げてしまうことに意識を向けなければならなかった。



(触れた指先にうずく熱)





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