瞼を上げると、どうやら外はまだ薄暗い時間であるらしかった。 いつの間にかこの時間に目が覚めるのが習慣づいてしまったようだ。目が覚めるこの時間に見る薄暗さはもう慣れっこだったが、状況的には慣れっことは言えなかった。 いつもこの時間にはもういないはずの御手杵が、まだ隣にいたからだ。 御手杵と朝を迎えるのも、隣で御手杵が寝ているのも今に始まったことではない。だけども、私が目覚めるこの時間にまだ御手杵が隣にいるのも、布団で寝てはいてもお互いに裸ではないこともどうしようもなく違和感があった。 昨日の夜に、御手杵は部屋に来てもいつものように私を抱くことはしなかった。ただ抱きしめて、まるで壊れ物を扱うように触れて。 そのまま私は先に眠りに落ちてしまった。私が寝たら布団に入れておくと御手杵は言っていた。それは確かに果たされている。しかしながら、まさか御手杵もここで寝ていたとは。 深い眠りに落ちているらしい御手杵は起きない。いつもなら、もう起きていてもおかしくはないのに。 穏やかな寝顔は、青年の容姿であるのにまるで短刀の子らのように幼く見えた。まあ、今の私にはそんなことはどうでもいいのだけど。 私を抱き寄せるように回っていた御手杵のそっと腕を外し、布団から抜け出して障子を開けた。当てもなく廊下を歩く。今は、御手杵の顔を見ていたくなかった。 離れの部屋から廊下を歩き、縁側で腰を下ろした。ふう、と小さくため息を吐く。あくびではなく、ため息を。 ああ、もやもやするなあ。 昨日の夜に頭の片隅で入ってしまったおかしなスイッチは、私をひどくナーバスな気分にさせていた。何をくだらないことで悩んでいるのだ私は。 御手杵に触れられることも、触れ合いの程度がどうであれ、私たちがそれをする意味など決まっているのに。御手杵のために必要なことだからしているのに。そこに余計な感情を入れようとしている私は本当に馬鹿だと思う。 今までもこれからも、ただ霊力を供給するためだけに触れ合っていればいいのに。そうしてくれたほうが私は楽だったのに。 それなのに、昨夜の御手杵は私を抱くこともせず優しく触れただけで。それだけだったのに、その優しさが私には大きく響いてしまった。体を重ねたのもキスをしたのだってもう数え切れないほどだというのに、何を今さら。 だけども大きく響いてしまうくらい、穏やかで温かかったのだ。 そこにはなぜか、目の前のものを愛おしむような感情があると感じられたのだ。あの空間には私と御手杵しかいなかった。御手杵はその感情を何に対して向けたのだ。 それがわからないから困る。わかりたいようなわかりたくないような、非常に面倒くさい感情を今の私は持っている。 廊下に音が響いた。一定のリズムを刻む音は徐々に近づいてくる。 「主…!」 「あ…」 音の発信源は、急いだような慌てたような表情の御手杵だった。私をみつけた御手杵は安心したように息を吐く。 「どこ行ったのかと…」 「あ、うん…ごめんなさい」 目が覚めて私がいないことが、そんなに慌てることだったのだろうか。いつもは御手杵が先にいなくなっているから、慣れない事態に驚いたのだろうか。 目覚めてすぐにこうして御手杵と顔を合わせているなんて、なんてイレギュラーなのだろう。 「あ、その…おはよう御手杵」 「おはよう」 御手杵はこちらに近づいてくると、座っていいかと私に問うた。そんな断りを入れる必要などないのにと思ったが、訊かれたので頷いておく。隣に座った御手杵と、ただぼんやり薄暗い世界の庭を眺める。 「御手杵」 「ん?」 「昨日は、霊力は足りた?大丈夫だった?」 そう問いかけると御手杵は苦い顔をして俯いた。俯いてはいても隣にいるからその顔は見えているけど。 でもすぐに御手杵は顔を上げ、少し上、空とも言えないどこかを見つめる。 「足りるも何も、昨日はあんたから霊力をもらってないからな」 「…え?」 「その前のときもだ。その前もその前も」 あんたから霊力もらったの、最初のあの日だけだ。 訪れた静寂に、私は音を生み出すことができなかった。 「な、んで」 あまりに驚く事実に頭は素直に混乱していた。 霊力をもらったのは一度だけ?そんなわけあるか。この男は今まで、どれだけ私に触れてきたというのだ。はくはくと動く口はかろうじて問いかけることができた。 御手杵は私に視線を移す。申し訳なそうな、悲しそうな、何かを諦めてもいるようなそんな表情だった。 「……ごめん」 謝罪の言葉に、今の私は何と返せばいいのかもわからない。 「あの時はほんとに、自分の体の中がよくわかんなくなってて、あんたから霊力もらうことになった。でもその後はそうじゃない。…霊力もらうためじゃ、なかった」 今までに何度も繰り返してきた行為は、霊力のためではなかったと。驚くしかない事実を告げられる。 それならますます私は「なんで」「どうして」と問うしかできない。実際に声に出さずとも、その問いを御手杵は理解してくれたらしい。 「あんたが欲しいって、思ったから」 ずっとそれだけだったんだよ。単純に。 御手杵の言葉は短かったが、私の心臓に突き刺すような痛みを与えるには充分だった。 「人間はこういう気持ちになったときって、ああいうのするんだって何かで見たから…あんたに触れば、あんたが手に入るんだと思ってた。だからあんたのとこに行ってた」 でもあんたは全然俺のになってくれそうな感じじゃなかった。 あんたに触るだけじゃだめなのかって思ったけど、それ以外にどうしたらいいかわかんなくてさ。俺、槍だから…。 「あんたになんて言えばいいのか考えてたんだ、いつも」 御手杵は苦笑しながら口元をゆがめ、自身の胸の真ん中をTシャツの上から強く掴んだ。 「あんたが欲しいっていうのを、他になんて言えばいいのかわからないんだよ」 御手杵につられるように、どくどくと痛む心臓を私も服の上から掴む。 御手杵の言葉のすべてを理解してしまえば、弾きだされた答えはいとも簡単なことだった。本当に、今までの私たちがしてきたことも私が今まで考えていたこともすべて。とてもとても、単純なことだった。 私も御手杵も、間違ってしまっただけなのだ。内に秘めたことを表す術を。 方法を知らなくて、独力で考えた間違った方法を行って。そして感情と思考を間違って。 積もり積もって膨らみ過ぎた間違いは、鋭いものがひとつ刺さったようにしぼんでいく。 私は怖かった。恐れていた。今の御手杵との、名前のつかないおかしな関係を。だからといって彼のためを思えば拒否することなどできなくて。でもそれはきっと今まで、自分自身と御手杵を傷つけていた。 「…ごめんね、御手杵」 じくりと喉が熱くなり、それは体全体へと伝わる。 胸を掴んでいた手をほどき、今まで掴んでいた箇所を、人差し指でとんとんと叩く。 「ここにある気持ちをなんて言えばいいのか、教えてあげればよかったね」 気づいてあげられなかった。気づけというほうが無理な話で、言ってくれなくてはわからない。だけども御手杵は表現するための言葉を知らなかった。だから言えるわけがなかったのだ。結果として私がわかるわけもなく。 熱い喉の熱を何とかこらえて笑って見せる。 私も、私もそうだったんだよ。いつからだったか。でもずぅっと、その感情を持っていた。うぬぼれだったら馬鹿みたいだけど、たぶんその感情はね、 「好き、っていうの」 私の言葉を聞いた御手杵は何度かまばたきをした。 「好き、でいいのか?」 「うん、たぶん」 「うええ……じゃあ俺、本丸にいる奴らにあんたと同じ感情向けるのか…?」 御手杵の返事で今度は私がまばたきをした。 今の言い方だと、御手杵は既に好きという感情を知っていたような口ぶりだった。本丸にいる他のみんなのことを御手杵は好き。私に向ける感情とそれを一緒であることに、御手杵は嫌そうな顔をした。 ああ、そうか。……なるほど。 合点がいった私は何と言うべきかを考えていた。自分で口に出すのは、もし違っていたら今以上にうぬぼれの強い女に成り下がってしまう。でも、きっと違うのだ。御手杵が私に向けてくれているのは。言い方を変えなくては。 もし違っていたらと思う恐怖よりも、今はおかしいくらい嬉しさのほうが勝っている。 「なあ、主」 「うん?」 「その…、手、いいか?」 迷ったように差し出された手に、私は少しためらいつつも自分の手を重ねた。つなぎたい、という解釈であっていただろうか。 「御手杵、私もね、御手杵と同じ気持ちだよ」 「好き…ってことか?」 「うん、そう。でもね、少しだけ違う意味なの」 手をつないだまま御手杵との距離を詰め、すぐ隣に御手杵の体温を感じるゼロ距離になる。 重ねた手はぎゅっと、痛くない程度の強さで握られる。そのぬくもりに私は驚くほどの安心感と愛おしさがこみ上げていた。 とうの昔にキスをしているのに、体を重ねているのに。ただゆっくりと手をつないだだけでこんなに胸が鼓動するなんて。とても不思議な気持ちだ。そして少しだけ泣きそうだ。 「御手杵は知らない言葉だったと思うから、教えるね」 「ああ」 嬉しそうに和らいだ御手杵の顔を見て、とても満ち足りた気分になった。指先から体が溶けていきそうに思えるほど。でも御手杵と一緒にいたいと思うから溶けたくはない。 そっと、離さないように手のつなぎ方を変えてみた。うん、これでいい。 (絡めた指が愛になる) Likeではないほうの好きを、間違いだらけの自分らに。 |