万屋に行く用があったから一緒に来てもらえないかと宗三に声をかけたら、自分を侍らせて自慢したいのかと言われた。 「…はぁ?」 その言い方が頭に来たので、思いっきり不快感を露わにした声を出してやった。 「別に、ただ一緒に来てもらえないかと思っただけ」 歴代の天下人を主にしてきた彼は、俗に天下人の象徴とされる。 自分をかごの鳥だと時折言うが、そんなこと私には関係なかった。 「別に私は天下を取りたいわけじゃないから、宗三を侍らせてるつもりはないよ。自意識過剰。てか、言っちゃえば宗三より侍らせて自慢したい子はいっぱいいるし。天下人の象徴なんていう付加価値は私にとってはどうでもいいの。天下人の持ち物だったからって自惚れんな宗三のバーカ!」 べらべらと言いたいことを一気に言い、呆気にとられた様子の宗三をそのままにして私は本丸を出たのだった。 彼は彼なりに悩んでいることはわかっているが、あの言い方は頭にきた。 天下人の象徴というご立派なアイデンティティーだけが彼の価値などと思っていない。そんな人間だと思われていたことに、腹が立った。買い物に行くだけであんなことを言うなんて、本当に屈折している。 帰ってきても夕食を迎えても、なかなか気分は上を向かなかった。 「主」 夕食を終えて自室に行こうとすると、後ろから肩をそっと掴まれた。今はあんまり顔を合わせたくない相手だ。 「なに…、宗三」 「少し、お付き合いいただけませんか?」 振り向いた先の宗三は、もう片方の手にお盆を持っていた。そこには徳利とお猪口が二つ。 こいつ、何を企んでる。あからさまに怪訝な顔をしたのが面白かったのか、宗三は小さく吹き出した。 「そんな顔をしなくても、主を酔わせてからの闇討ちなんてしませんよ」 「ちょっとはやろうと思ってるでしょう」 「おや、ご明察で」 なんだその具体的かつ計画的な例えは。 冗談か本気かよくわからない返しをしてきた宗三は「で、如何です?」とお盆を軽く持ち上げた。 昼間あれだけ言ったくせにここで断ったら、なんだか負ける気がする。 「…構わないけど」 「ありがとうございます。では、縁側にでも行きましょうか」 ようやく私の肩から手を離した宗三へ付いて歩き、二人で縁側へ座った。月が出ているので明かりには困らない。 どうぞ、と差し出されたお猪口を受け取ると丁寧にも宗三はお酌をしてくれる。少しだけ口へ含んだお酒は苦い。 「お味のほうは?」 「ちょっと苦いかな」 同じようにお猪口を傾ける宗三は月明かりが様になっていて、妖しい美しさがあった。 「言っておくけど、私は謝らないからね」 「昼間のあれですか。言いたい放題言ってくれましたね」 「事実だよ。それでいて宗三が悪い」 「これは手厳しい」 昼間のことを怒っている様子はないが、如何せん宗三が私の言い分に対してどのように思ったかがわからないのだ。喧嘩腰なわけでもなければ、お酒まで勧めてくる。 どうせ考えても無駄だ。お猪口を傾け空にした。 「お早いですね、もう一杯如何です?」 「じゃあもらう」 「…もし本当に、あなたを酔わせて討つことが目的だったら、どうします?」 再びお酌してもらいつつ聞いた言葉に、一瞬手が震えた。注がれたお酒がゆらりと小さく波打つ。 もしここで今、宗三が刀を抜いたら。 お酒を飲んでいようといまいと、刀を持った彼らに私が太刀打ちする術はない。主従の契約があるとはいえ元々彼らのほうが各上の存在であるのだから、結局は抗うことなどできないだろう。 そうしたら私は、その瞬間ここで死ぬ。 「…そのときは、私の人生と命運がそこまでだったってこと。それだけでしょう」 「おや、まるで天下人のようなことをおっしゃる」 「天下人もそんなこと言ってたの?」 「ええ、似たようなことは。自分が死んだときは、自分はそれまでの人間だったということだ、というようにね」 「へぇ…」 そのくらいの心構えでいなければ、天下を取るなどと言っていられないのかもしれない。 「天下人は大変だね」 「その天下人を転々とした僕を、随分と言ってくれましたね」 「…っ!?」 不意に宗三のほうへ首を動かそうとすると、いつの間にそれほど近くにいたのか、距離が詰められていた。首にはひやりとした嫌な感覚。 声すら出なくなった。声を出すときの喉の動きですら、今は自分の命を縮める要因にしかならない。宗三が少しでも手を動かせば、呆気なく私の首からは血が出るだろう。どうにもできない。 焦りが鎮まり、自分の命はここまでかと目を細めた。私の命は宗三の手の中だ。 「…その目、白けますね」 ふっ、と宗三が笑うと首から冷たい感覚がなくなり、小さく音を立ててそれは鞘へと納められた。肺へ大量の空気が入ってきた。私は息を止めていたらしい。 「これでも、人から欲しがられる物であるという自負はあったんですよ」 「…そ、う」 言いつつ手を当てて、先ほどまで刀身が当てられていた首に傷がないかを確認した。 「でもあなたは僕を欲しがらない。なぜかそれが気に入りませんでした。その上、あんなことを言われてしまってはね」 「怒ったんだ…?」 「いいえ、怒ったというよりは、」 ―――無性にあなたを求めたくなりました。 「僕を欲しないあなたが欲しくなりました。でもあなたからは然程好かれていないともわかっていましたし、それならばいっそのこと、殺して僕のものにしてしまおうかと思いましてね」 近距離のまま宗三の片手が、するりと頬に当てられた。 先程の緊張感と、よくわからない焦燥で心臓が早鐘を打つ。 「でも今…そうしなかったね」 「あなたは何の抵抗もしなかったでしょう?少なくとも、今ここで僕に殺されてもいい、と思ってくれるくらいにはあなたに好かれているのだとわかったので。今は、それで我慢します」 宗三はうっすらと笑みを浮かべる。言っていることはなかなかに物騒であるのに、頬に当てられた手はまるで慈しむように優しい。 「今は、ってことは…?」 「あなたが本当に僕を嫌い必要としなくなったとき、僕はあなたを殺しましょう。それまでは生きていてください。他の要因にあなたを奪われるなど、耐えられませんから」 「で、私が死んだら?」 「その体をいただきます。寺や政府などには絶対に渡しません」 「死んだ体を、どうするの?」 「そう、ですね…」 思い出したように宗三は自分のお猪口に口を付けた。 「火葬した後、粉にして、酒で呑みましょうか」 「袈裟を着てる者の言うことじゃないね」 「あなたを欲する僕にとっては、最適かと」 「…まぁでも、素敵な末路かな」 「…ほう?」 「でも残念。それはたぶんできないよ」 宗三を好かない、欲しない私。そんな私を欲した宗三。 私が本当に宗三を嫌い必要としなくなったとき、宗三は私を殺すと言った。宗三のことをまったく好かない私を、殺すことで意地でも自分のものにする。そういうことだ。 でもそれは無理だ。宗三はいつまでも私を殺せない。不慮の事態で私が死なない限り、焼いてから酒で呑むなどできようもない。 宗三の手に自分のを重ねて、小さく笑う。 「天下人の象徴にそこまで言わせるなら、私もなかなかの器ってことかな?」 「ええ、とんでもない方ですよあなたは。かごの鳥に、このかごにいたいと思わせたのですからね」 宗三は重ねていた手を抜き取り、減っていない私のお猪口にお酒を注ぐ。 溢れたお酒がお猪口からこぼれ、私の手を濡らした。 それを確認すると、宗三はお酒に濡れた私の手を取り唇を当てる。 「粉になり酒と混ざったあなたは、どのような味がするのでしょうね」 「さぁ…?わからないけど」 「来るべき時の楽しみ、ですか」 なら今は生身の味を確認しましょうか、と呟いた宗三の顔が近づいた。 「少なくとも宗三には殺されないよ」 小さすぎる呟きは吸い込まれていく。 だってあなたを嫌いにならないから。さっきあの一瞬、宗三になら殺されてもいいと思うくらいには。 繋がった手と唇からお酒の匂いが漂った。 ああ、今日は酔いが速い。 (お前が死んでも寺へはやらぬ 焼いて粉にして 酒で呑む) 死んで焼かれて粉になるまで、今はひとまず、お酒に濡れた生身を味わっていて。 |