仕事に一息入れようと、お茶を入れた。 緊急でなければ、今日はこれ以上の出陣はない。午後ののどかな時間。 お茶の入った湯呑を持って廊下を歩いていたら、縁側に座る江雪を見つけた。 何をするでもなく庭を眺めていたようだけど、私に気付いた江雪の視線がこちらに向く。私の手元へ視線を移すと、厳しく目を細めた。 「…あまり、行儀がいいとは思えないのですが」 「あ…、うん、そうだね」 第一声がそれというのも江雪らしい。 湯呑を持ったまま歩くというのは、自分でもわかっていたけれど、誰かに指摘されるとやらなければよかったと思えてしまう。行儀が悪いよ、とこっぴどく注意してくるであろう燭台切や歌仙に見つかるよりはましだけど。 注意されてしまった手前そのままうろうろするわけにもいかないので、人が2人座れるくらいの距離を置いて江雪と同じく縁側に腰掛けた。 「今日の出陣、お疲れ様でした」 「戦いに対する労いは、必要ありません…」 そう言うと思った。そんな江雪のことが、私は少し苦手だ。 江雪左文字は戦いが嫌いだということは、すでに充分わかっている。 出会い頭から「刀は使われぬほうが良い」と言うのだからそのときは少し驚いた。刀は時代遅れだと言っている陸奥守とはまた違ったベクトルで、刀である自身を否定するような言葉だった。 以前は、彼の意向を尊重し、さほど出陣回数は多くなかった。 だがしかし、遡行軍側の戦力が徐々に強まっているのを感じる今、彼を部隊に組み込むことは以前より多くなっていた。無傷で帰ってくることがほとんどだが、本丸に戻ってきた時の江雪は決まって浮かない表情なのだ。 戦いそのものを嫌っているから、出陣するだけで彼にとっては大きな苦痛なのだろう。 誉をとってもただ、嬉しくないと言うだけだ。 でもどうしたって、審神者という立場にある以上、私は刀剣男士たちを戦場に送り出さなければならない。 私だって鬼ではない。刀剣たち自身が嫌がることは極力させたくはない(ただし、汚れるのが嫌だという理由での内番免除は認めていないけど)。 でも戦いを嫌う江雪を皮肉るように、彼の実力は折り紙付きだ。だからここぞというときには、どうしても彼を組み込んでしまう。 だからきっと、彼に嫌われているのだろうなと思う。何度も戦場に送り出し、彼の最も嫌う血の戦いを強要させるのだから。 礼節をわきまえているから表立って示さないだけで、内心は腸が煮えくり返っているのではないだろうか。 首落ちて死ね、という安定の言葉が不意に思い出され、江雪の口調でそれが脳内再生される。背筋が震えた。 「寒いのならば、部屋に戻られては…?」 「え?ああ、いや、大丈夫だよ。寒いわけじゃないの」 「…そうですか」 首落ちて死ね、の江雪バージョン…想像したらおそろしく怖い。言い方が物静かなだけになおのこと。 「江雪、私を殺すときは背後から一気にお願いね」 「…あなたは何の話をしているのですか?」 「いつかはそうなるのかなぁ、と思って」 嫌われているを通り越して恨まれているかもしれない。それならいつか我慢の限界が来たとき、私は刃を向けられるかもしれない。なんて、わりと実際にありそうで、密かな覚悟。 刀剣男士の手にかかれば、私なんて一撃で絶命だろう。 突然の私の言葉に、江雪は訝しげな表情をしている。 「だって江雪、私のこと嫌いでしょう?」 問いかけというより、確認事項だった。肯定が来ても、やっぱりなと思うだけで傷ついたりはしない。信頼が必要なこの関係において、こんなことを言うのは本来大問題なのだけど。 「誰かが…そのようなことを吹聴したのですか?」 「そういうわけではないけど」 「では、なぜ?」 「嫌いな戦場に何度も行かされて、戦わされて、どうしようもなく怒っているんじゃないかと思ったから」 私には彼に嫌われる理由がある。そうなっても無理はないと自覚もしている。 「…私が、一度でもそのようなことを言いましたか?」 「日頃の態度がその表れかなぁ…とか思ってるけど」 とはいえ、彼は常日頃から静かで落ち着いていて、これが平常運転だ。何か特別な感情をぶつけられたというのは、良くも悪くも一度だってない。 江雪がわかりやすくため息を吐いた。隣に視線を向けると、これまたわかりやすいほどに呆れ返ったような表情をしている。珍しい。 「まず和睦が必要なのは、あなたでしたか…」 小さくそう言った江雪は真っ直ぐに私を見据えた。 「戦いは嫌いです…できることなら避けたいものです。…しかし、あなたがそれを謝罪する必要はありません」 「どうして…?」 「…それが、あなたに与えられた役目なのでしょう?…役目は果たさねばなりません。…私たちを使役することがあなたの役目なのであれば、…使役されることが私たちの役目です。同じ役目を持つ者たちがいるのに、私だけが逃げおおせるわけにもいきません…」 それでも、戦いは嫌いですが…と結んだ江雪の言葉は、尊い教えのように感じられた。袈裟を着ているだけあって、徳のある言葉だ。 彼は彼なりに、自分自身を受け入れていたということか。 「…ですから、あなたを嫌う理由がありません。…背後から斬れなどとは、従えません」 「ごめん。江雪のこと、見くびってた…」 今までの自分の推測や思い込みが、一気に馬鹿げたものに格下げされた。私しか悪くないじゃないか。 「勝手なこと言って、ごめんなさい」 「…二度と、自分を斬れなどと言わないでください。そんなことを言えば、本丸の空気が悲しみに満ちてしまいます…」 「そんなにかな?」 「…少なくとも、私には。…あなたを失うというのは、なかなかに堪えがたい感情が湧き上がります」 そう言って彼は正面の庭へと向き直った。同時に、私はすっかり存在を忘れていた湯呑を口に運んだ。お茶がぬるい。 「江雪」 「…はい」 「もう少し隣でお茶を飲んでもいい?今すぐ江雪の分も持ってくるから」 江雪の視線が再びこちらに向けられる。 畑当番や馬当番をやった時のように、どことなく微笑んでいた。 「…和睦が叶ったと思ってよいでしょうか」 「江雪の言葉、しかとここに」 胸の真ん中をとんとんと叩いて笑って見せれば、楽しみですね、と江雪は今度こそしっかりと微笑んでいた。 (今度は江雪のすぐ隣に座ろうと思う) |