※流血表現などがあります。
苦手な方は自己防衛を。読後の苦情はご遠慮ください。










最近の出陣先は夜の京都だった。
場所以外に、夜という定められた時間にならなければ敵が現れなかったため、主人と一部の刀剣たちは夜遅くまで起きていることが多くなった。

同時に、京都の町を駆ける夜戦専用の部隊が編成された。
太刀である燭台切は夜目が利かない。その上、小回りも利かないため、夜戦や室内戦が多い京都の町は相性が悪かった。それ故に遠征に回されることも増えたが、昼間であれば主人は今まで通り出陣部隊に編成してくれた。
今回は約半日の遠征だった。昼間に本丸を出て、夜に帰ってくる。別に初めてのことでもなかった。隊員である仲間を率いて、本丸への門を通り抜ける。玄関へ向かえば、主人や皆が出迎えてくれる。いつもならば。

何が…、起こっているんだ。
門を通って見えた家屋からは、夜の暗闇にも負けぬ黒い煙がもうもうと立ち上っていた。
全員が騒然とするなか、いち早く燭台切は屋内へと入った。充満した煙は人の目には応えるが、気にしていられなかった。

廊下を走り、障子や襖を容赦なく蹴り開ける。誰もいないのは、どういうことだ。
所々に敵の残骸と思われるものがあった。いくつか刀剣も落ちている。本丸に待機していた者たちの本体だ。事態を悟る。―――襲撃を受けた。
彼らは折れてはいない、が、おそらく重傷を超える傷を負い、人の姿を保っていられなくなったのだ。



「燭台切さん…!」
「堀川くん、落ちている刀剣を全て回収してくれ!それに…、」



まだ、敵がいる。
後ろから追いついてきた隊員に向けて指示を出し、燭台切は刀身を抜いて廊下を走る。
頼む。お願いだ。どうか。

進む先、一つの部屋から大きな破壊音が響いた。
辿り着けば、ずるりと鈍い音を立てながら部屋から出てくる異形の者。何度も対峙したことがある。赤い霊気を発する時間遡行軍の大太刀。それがわかったところで今はどうでもよかった。

お前が、出てきた部屋は―――
こちらを認識し、呻き声をあげながら向かってくる敵を斬る。一太刀で敵は砂のように崩れた。恐ろしいほどあっけなかった。時間などかけていられなかった。

その勢いのまま部屋へ入って、絶句した。
そこかしこに破壊の跡があり、もう部屋と呼べるような状態ではなかった。畳は真っ赤に染まり、燭台切は赤を辿った。その赤は畳から壁へと移った。壁には叩き付けられたように赤が付着している。
壁の下に目線を移して、赤く染まったそれへ駆け寄った。



「―――…主っ!」



倒れた主人を抱き起こして、燭台切は初めて絶望というのを味わった。

ざっくりと肩から脇腹にかけてを斬られている。鼻を突く鉄の匂い。溢れ出る赤が止まらない。白装束が、ほぼ赤くなっていた。



「主、主…っ!」



必死に呼びかけると、ゆっくりその目が開いた。生きている。



「主…!?」
「み、…だ…」



生きている。彼女はまだ生きている。
だがその事実はもうじき成立し得なくなることを、無情にも燭台切はわかってしまった。喉が熱くなる。息が苦しい。目元に熱が集中してくる。

主人が口を開いた。



「しょ、くだい、き…みつ、ただに…た…う、…っ、わ…な、は、」



全ての神経を研ぎ澄ました。
ああ、彼女は、いつかの日に立てた誓いをここで果たそうというのだ。
いつか必ず教えると言ってくれていた。その日を心待ちにしていた。それは間違いない。
だがどうして。どうして、こんな形で知らなくてはならない。

知るのならもっと、もっと。
君の声がよく聞こえる場所で、君の顔がちゃんと見える場所で、君が笑顔で伝えてくれることを願っていたのに。

唇を噛み、彼女の言葉を反復する。



“燭台切光忠に伝う。我が名は、”



「―――…#刀剣#」



待ちわびた名を聞いた。

嬉しい。嬉しい?そんな感情、今はとっくに別の感情に上書きされている。
喉にせり上がる熱を耐えることができず、ついに視界が歪む。



「…み、ただ…」



彼女の手がゆっくりとこちらに伸びる。その手もべったりと赤で色づいていた。
頬に触れる直前に手が止まり、躊躇うように揺れた。



「な、か…っ、ないで…」



君の指示でも無理だよ。それは。
声も出ない。出せない。君の姿や声を焼き付けるので精一杯だ。
だめだよ。頼むから。お願いだ。後生だから。



「……っ、#刀剣#…」



名前を呼んだ。初めて知って、初めて呼んだ。
聞いた彼女はそっと微笑む。

宙を彷徨っていた赤い手が、落ちた。
重力に従って、投げ出されるようにだらりと伸びる。



「あるじ…?」



落ちた手を掴み手首に触れる。指に鼓動は感じられない。息する音も聞こえない。

覆ることのない絶対的な事実。
ぎりぎりでせき止められていた声が喉から飛び出した。
赤く染まり動かなくなった主人を前に、泣き叫んだ。

もう一度名前を呼びたかった。
だがもう聞く者はいないから。
呼んだことを喜ぶ者はいないから、もう二度と、彼女の名前は呼べないと思った。





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