一気に寒くなった。
昼間はともかく、朝や夕方はとても冷える。

制服のスカートという呪縛により、生足が出ている私たち女子高生にはつらい季節だ。みんなカーディガンを着て、マフラーを巻いて、何人かの女子は既にひざ掛けまで持ち込んでいる。
いいなぁ男子はズボンで。女子もできるならスカートの下にジャージを履きたいところだけど、それは校則で禁止されているので見つかると先生に注意されてしまう。女子高生に優しくない学校だと、去年ものんちゃんと文句を垂れた。

この寒さで体調を崩す人も出始めて、今日はクラスメイトが二人休んだ。
私の前の席の子も風邪をひいたらしい。そのため、今日は御手杵くんの背中がいつもよりもよく見えていた。時折、かくんと揺れる茶髪に小さく笑いつつ板書を続ける。御手杵くん、まだ一限だよ。



「この公式は次の試験に出すからな、しっかり覚えておくことだ。当然だが、教科書の応用問題も解けるようにしておけ」



チョークを置いた長谷部先生が振り返り、黒板を手の甲でこん、と叩いた。
応用問題も、と言われ「えー!?」と一気にみんなが抗議の意を示すも、長谷部先生は一向に応えない。でもみんなの反応を見て小さくため息をついた。



「質問があれば職員室でも受け付ける。俺も、お前たちに赤点を取って欲しいわけじゃないからな」
「せんせー、応用問題出さなくていいと思うんですけどって質問は受け付けてもらえますかー?」
「それは却下だ」



ノリのいいお調子者が発した質問は一刀両断され、長谷部先生は腕時計を確認して教科書を閉じる。



「今日はここまでだ。昨日配った課題プリントの提出は明日だからな、怠慢は許さんぞ」



だからしっかりやれ、と少し口元を上げる長谷部先生にはみんながはいと答えるしかできない。
長谷部先生が教室を出ていくと同時にチャイムが鳴る。時間の使い方が長谷部先生は完璧だなと思う。



「おーい御手杵、生きてるか?」
「…あ、おう…生きてる」
「お前のノートぐちゃぐちゃだなぁ、これはひどい」



御手杵くんは完全に寝てはいないけど起きているわけでもなかったようで、前席の男子から頭をぺしぺしと叩かれている。
大きく伸びをする背中に、広い背中だなぁとぼんやり思った。上に伸ばされている腕を見ると、制服の下に着ているベージュのカーディガンが見えた。



次の古典の時間、御手杵くんは寝ていなかった。珍しいなぁ。

その次の生物の時間は、葉月先生に当てられていた。ちゃんと答えられていて、よかった。

その次の日本史の時間は、背筋が伸びて真面目に話を聞いているようだった。歴史は好きなのかな。

昼休みには購買でパンを買ったみたいだった。寒いのにパック牛乳を飲んでいた。相変わらず友達に囲まれて、教室が賑やかだ。



そろそろ昼休みが終わるから次の授業の準備をして、ふと教室を見渡すと御手杵くんはいなかった。どこにいるんだろう。トイレにでも行ったのかな。
そこまで思って、気づいた。今日はやけに御手杵くんが視界に入るな。前席の子がいないから、前を見ればすぐに御手杵くんの背中が見えるせい?でも今の私、御手杵くんのことを探していた。…、…あれ?

…いや。いやいやいや。ちょっと待って、タイム。
別に初めてではない。初めてじゃないけど、ちょっと待って。
大丈夫、わかってる。いや、大丈夫じゃないか。だからちょっと待ってってば。

急速に進む思考に追いつかない。
私が追いつく前に思考は答えを出そうとしている。速い、待って。わかってる、わかるけれど、待ってよ。せめて落ち着いて理解させてよ。そんな願いもむなしく過ぎ去る。待って、待って、待って。
どうしようもなく落ち着かなくて、慌てる必要なんてどこにもないのに一人慌ただしく教室を出た。宛てもなく廊下を進む。俯きがちに歩くと、無意識に足が速まっていた。

違う、まだわからないよ。じゃあ確かめる?…何を?
ひとまず今はどこかに行かないと。どこに行く?会いに行く?…誰に?まさか。そんなことしたら余計に…。
ぐるぐると脳内で何かが回る。突き当たりの角を曲がろうとした瞬間、突然に黒い影がそこから現れた。



「…っ!」



視界に影が入るのと、焦ってそれを避ける反射速度は比例しなくて、声をあげる前にあえなくその影にぶつかってしまった。



「うわっ!?」



驚いたような相手の声。
倒れるほど強くぶつかってはいないけれど、勢いで一歩後退してしまった私の腕が掴まれた。



「あ…、ごめんなさ、」
「あれ、委員長」
「…え」



別にあだ名というわけではないけれど、クラスメイトから時折呼ばれるその肩書き。

私の腕を掴んだ手は大きくて、ぶつかったのは男子生徒らしい。顔を上げてみれば背の高い茶髪が見えた。



「お、てぎねくん…」
「悪い、大丈夫か…?」
「あ、うん…平気…。ごめん、前見てなかったから…」
「大丈夫ならいいんだけどさ。俺も平気だから」



まさかこのタイミングで御手杵くんにぶつかってしまうとは、ツキがない。
大丈夫と確認した御手杵くんは私の腕から手を放す。御手杵くんの表情はいつも通りで、何の変わりもないのに。
それだけなのに、掴まれた腕が熱くなるような気がした。



「どこ行くんだ?もう昼休み終わるけど」
「え、あ、そう…だね、うん」



どこに行くかという質問には答えず、昼休みの終了という点だけ同意した。御手杵くんは特に何も思わなかったらしく、おとなしく方向転換した私の隣を歩き出した。



「次って何の科目だったっけ」
「現国だよ」
「あ、そうか。眠くなりそうだな…」



気をつけないとね、なんて相槌を打ちながら教室に逆戻りすることになり、そのまま席に着いた。今日一日ずっとそうだったように、前を向けば御手杵くんの背中が見える。それを見て思わず机に突っ伏した。

…ああ、これはまずい。
恋愛経験なんて皆無だけど、それはお付き合いしたことがあるかどうかということに限られる。それ以外…、一方的な片想いというやつだったら今までも経験したことがある。
一人で脳内討論をしていただけならまだしも、さっき御手杵くんに会ってしまって嬉しいような、できればあのタイミングでは会いたくなかったような。だって、こういう感覚、知っている。

そうしているうちに先生が来てしまって、日直の号令で席を立ち挨拶をする。それだけなのにこんなにだるく思ったのは初めてだ。今は前を見たくない。しかしながらそんなことは言っていられず、授業が始まってしまえば板書のために前を向かなくてはいけない。
顔を上げれば、突っ伏しておらずしゃっきりと伸びた背筋が嫌でも見えてしまう。ああもう、どうして今日に限って御手杵くんは寝ていないの。さっき眠くなりそうだって言っていたのに。



一度でも形にはまり込んだそれはなかなか外れない。認めざるを得ない。
先ほどまでの脳内討論に答えを出して、自分を落ち着けるように小さく息を吐きだした。

わかってるよ。どういうことかなんて、もうわかってる。



(人気者の背中が見える)

――好き。


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