「えーと、じゃあ、やろうか。プリント」
「ああ、わからなかったら頼む」



古典の教科書と特別プリントを机に広げ、御手杵くんはシャーペンを手に取った。
御手杵くんはいつもの自分の席に座り、私は彼の隣の席を借りた。教えるというミッションを与えられたわけだから、机一つ分離れた後ろの自分の席へ座るわけにはいかない。

とはいえ、全ての答えを私が教えていたのでは彼の勉強にならない。わからないところがあったら言って、と伝えて私は古典のノートと教科書を広げる。どうせなら明日の予習でもしておこう。
お互いに黙って作業してしばらく、隣からのシャーペンの音が止まった。つまずいたかな?



「……なぁ、いいか?」
「うん」
「ここ、教科書だとなんでこういう訳になるんだ?」
「えーと……、ああ。ほら、ここに助動詞があるからだよ。御手杵くんの訳だとここの助動詞が正しく訳されてないの」
「あ、そういうことか」



ひらめいたように、再びかりかりとペンが動いた。
たぶんだけど御手杵くん、やればちゃんといい成績とれる人なんじゃないだろうか。教科書で調べながらやっているとはいえ、教え役の私に声がかかったのは今が一度目だ。小テストのひどい点数は、単に勉強していなかったからというだけなのかもしれない。



「俺も古典得意になりたいもんだなぁ」
「私だって特別できるってわけじゃないよ?」
「委員長、眼鏡かけてるだろ?」
「かけてるけど……」
「俺も眼鏡かけたら頭よさそうに見えるかな?」
「うーん、どうだろう?」
「ちょっといいか」
「わっ」



御手杵くんの手が目の前に迫り、とっさに目を閉じた。眼鏡が外されたのだとわかる。目を開ければぼやける私の世界。



「うわー、何だこれ!? すげぇぼやける」
「まぁそりゃあ、目がいい人がかけるものじゃないからね。御手杵くん、裸眼でしょ?」
「ああ、両目2.0だ」
「……爆発すればいいのに」
「今さらっとひどいこと言ったな!?」



裸眼でそんなに見えるなんて羨ましい。



「で、どうだ? インテリに見えるか?」



裸眼でも、さすがに隣にいる御手杵くんははっきり見えている。私の眼鏡が派手なフレームデザインではないこともあって、輪郭やシルエット的にも悪くない感じだ。けっこう様になっている。



「うん、似合ってるよ」
「お、やった。でもやっぱりぼやけて目が疲れる……」
「私も見えなくて困ってる」



見えにくいなぁと軽く目をこすっていると、御手杵くんが黙った。どうしたんだろうと顔を上げると、何か考えるようにこちらを見ている。



「なんかさ、」
「え?」
「……や、うん。やっぱりいい」



ありがとな、と外された眼鏡は私の手元に戻ってくる。それをかけて、ようやく私の視界は鮮明さを取り戻した。



「あんたのインテリの秘訣はやっぱり眼鏡かぁ」
「眼鏡かけてる人が頭いいと思ってるのは偏見だよ……」
「でも委員長さ、なんか頭よさそうな見た目してるだろ。眼鏡だし。俺は羨ましいけどな」



羨ましいとは言われたけれど、嬉しく思えなかった。……いやだな、やっぱり私はそう見られてるのか。

眼鏡をかけているのは単に視力が低いからだし、それ以上の理由なんてない。中学時代もそんなことを言われていた。眼鏡をかけているし、変に目立つ容姿でもない私は自然と「頭よさそう」とか「がり勉」だとか言われることがあった。先生からも友だちからも。

決してそんなことはないのに。
今までもそこそこの成績を修めているのは、テスト前には必死こいて勉強しているからであって、少しでも勉強しなかったら私の成績はがた落ちだろう。勉強の内容をすぐに理解できるわけじゃない。一度やった内容の問題をずっと覚えていられるほど記憶力もよくない。何度も繰り返さなければ覚えられない。インテリとは程遠い。

正直言えば、勉強が面倒だと思うことだって当たり前のようにある。がり勉なんかではない。
ただ、私の容姿がそういった風に見られる原因だというのはわかっている。真面目そう、頭よさそう。悪く言えば、地味、目立たない。



「……御手杵くんのほうが、私は羨ましいよ」



好かれる人柄を持っている。明るい性格で、人気者で。
勉強ができるってことよりも、よっぽど優れていると思う。その人の魅力や長所と直結する要素のほうが、何倍もいい。すごくすごく、羨ましい。隣の芝生は青く見えるとは言ったものだけど、土が丸出し状態のような地味な私から見る御手杵くんは、青々と輝き過ぎている。



「うーん、羨ましがられるようなとこ、俺にあるか?」
「私にはね」
「なんでだ?」
「……私、地味だから」



決して大きな声で言ったわけではないのに、妙に大きく声が響いてしまったような気がする。俯いてしまった。自分のコンプレックスを口に出したことによる羞恥か、それを知られたことによる悲しさか。
なんで私は今、こんなことを言ってしまったんだろう。それもよりによって、クラスの人気者の前で。私とは対極に位置している、彼の前で。



「別にそんなことないだろ」



御手杵くんの声は少し不機嫌そうだった。ああ、怒らせてしまったかもしれない。私の言葉は愚痴でしかない。彼のような人気者からすれば、地味な私のコンプレックスなどどうでもいいことだし、そんなことを聞かされても困るだろう。申し訳ないことをしてしまった。



「あ……うん、変なこと言ってごめんなさい」
「……謝んなくて、いいけどさ」



人気者に対して、なにくだらないことを言っているんだろう。へらりと笑って、少し硬くなっていた空気を戻す。



「なぁ、」
「さ、プリントやろう。提出明日でしょ?」
「……ああ」



御手杵くんは改めてプリントに向かい、私も自分の予習に戻る。その後、何度かこちらに質問が来て私が教えてを繰り返し、ささやかな臨時勉強会は終わりを告げた。



(人気者と羨む者)

ごめんなさい、御手杵くんにとっては、どうでもいいことだね。

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