私が劇的ビフォーアフターを果たしてから数日が経ち、最初の頃ほどみんなから変化について言われることは無くなった。人間は慣れというスキルを獲得しているから、最初にどれだけ驚いてもいつかはそれに慣れてしまうものだ。 変化を遂げた今の私が馴染んだということだから、そのほうが嬉しい。 いつものように土曜日は図書室に来て勉強していたけれど、今日はのんちゃんも一緒なのがいつもとは違うところ。 私がこうして図書室に来ることは知っていたからか、今週の土曜日一緒に勉強していい? と言われたのだ。もちろん断る理由は私にはない。 「ねぇなまえ、ここちょっとわからないんだけど……わかる?」 「ここは……えーと、あ、これだ。ここの助動詞が変化してるんだよ。そしたらできるはず」 「ああそっか。オッケー、ありがと!」 向かいに座るのんちゃんのペンが軽快に動く。その様子を見て自分のアドバイスが合っていたことに安心した。時計を見上げると、もうすぐお昼の時間になりそうだった。 「そういえば、今日はまたどうしたの?」 わざわざ土曜日に図書室に来てまで勉強するのんちゃんは珍しかった。 「ああ、今日ね剣道部が午後から練習試合あるの。言ってなかったっけ? あたし、剣道部の女子に中学からの友達とか後輩がいてさ、せっかくだから見たいと思って」 「あ、なるほど」 つまりこの勉強時間は、それまでのつなぎというわけだ。 「どうせ土曜日に学校来るなら、なまえと一緒に勉強したほうがお得かなって思ったの」 「のんちゃん賢い」 「でしょ?」 解いた問題の答え合わせをしながらのんちゃんと笑う。あ、そうだ、と彼女はひらめいたような顔をした。 「せっかくだから一緒に見ない?」 「え……? 私、剣道あんまりわからないよ?」 「あたしも完璧にはわかってないから大丈夫! 友達とか後輩を自慢したいの」 私を安心させるつもりで言ったのだろうけど、友達や後輩がやっているスポーツをちゃんとわかっていないって、それもどうなののんちゃん。まぁ、特に行きたくない理由があるわけでもない。 「わかった、いいよ」 「やった、ありがとう! 十三時かららしいから、もう行こう」 手早く勉強道具をまとめてバッグに入れ、私とのんちゃんは図書室を出た。 校舎と渡り廊下でつながる剣道場は、そこそこ立派で広い。剣道場は初めて入った。体育の授業でこちらには入らないし、実質剣道部の人しか入ることはない。でものんちゃんは何度か入ったことがあるらしく、彼女に付いて二階のギャラリー席へと座る。 開始にはまだ時間があるので、持ってきていた昼食をその間に食べた。 練習試合ということもあって、応援者と思われるうちとは違う制服を着た人も多い。剣道部に知り合いでもいるのか単純に観戦するのかはわからないけど、うちの学生もそれなり。 「練習試合は男子もやるよ」 「みたいだね。こっちの試合場が男子なのかな」 「そうね、女子はあっちでやるっぽい」 私たちが座っているほうの試合場には、互いの学校の男子部員たちが集まり始めている。向こう側に集まっている女子部員たちに目を移す。 「それで、のんちゃんの友達とか後輩はどの子?」 「一押しはあそこにいるショートカットの子。海斗ちゃんっていうの」 「あ、私一年の時同じクラスだったよ!」 あまり話したことはなかったけど、剣道部だというのは知っていた。 ギャラリーのすぐ下にいるうちの剣道部員の男子が準備やミーティングを始めていた。 「あ……」 その中に、御手杵くんを見つけた。背が高い彼は部員の中でも目を引く。 そうか。御手杵くんも剣道部だし、当たり前だけど練習試合にも出るのだ。普段見ている制服やジャージとは違い、道着を着ている彼を初めて見た。そして海斗ちゃん同様、一年の時に同じクラスだった同田貫くんもいる。話したことがなかったから接点はほとんどないけど、御手杵くんと話している様子からは仲が良いのだと見て取れた。 「あ、始まる!」 のんちゃんの言葉に頷くと、男子も女子も、全員がそろってお互いの学校に挨拶をしていた。どうやら最初は団体戦らしい。各校の男女、五人ずつの選手が選出されているようだ。 「ごめん、海斗ちゃん先鋒で出るみたいだからあっち行ってくる。男子の試合結果も知りたいからここで見ててもらえる?」 「わかった。いってらっしゃい」 女子の試合場のほうへ移動していくのんちゃんを見送り、下へと目を移す。男子の先鋒は同田貫くんのようだ。防具や面をつけた彼が試合場へ出ていく。 試合が始まると、座っていた御手杵くんが立ち上がる。次鋒だろうか。いや、すでに面をつけた選手が控えているので、その次かもしれない。たぶん中堅だろう。 ぼんやりと予想を立てていると、準備を始めていた御手杵くんが不意に上を向いた。恐らく何かを見ようと思っていたわけではない。ただなんとなく視線を上に向けたというだけ。 ふとしたその視線が、私のところで止まった。下にいる御手杵くんと、目が合った。 御手杵くんは驚いたような顔をした。当然だ。剣道とは無縁の私がいたら、驚きもするだろう。でもだからって何も支障はないはず。何でかわからないけど知ってる顔がいるなと、その程度で思っておいてくれればいい。そのままスルーしてくれてよかったのに。 「……あ」 ギャラリーの手すりに置いていた手が震えた。 途端に御手杵くんはいつものように破顔して、ゆるりとこちらに手を上げたのだ。その目線は逸らされることはなくしっかりと私に向けられている。一瞬どうしたらいいかわからなくなったが、単純なことだと気づく。 片手を上げて、私も小さく振り返した。頑張ってね、と。小さな応援の意味も込めつつ。仮にもクラスメイトなんだから、応援したってなにもおかしくない。 手を下ろした御手杵くんはもう一度笑って背を向けた。 同田貫くんが強いのか相手が弱かったのか、あっという間に先取したうちの学校が先鋒は勝利だ。続く次鋒戦が始まると、御手杵くんは面をかぶり静かに待機している。勢いのままに次鋒戦も勝利し、御手杵くんが試合場に出ていく。選手が試合場できちんとした作法で礼をし、審判の声が上がった。 なんだか目を逸らせなかった。 何度か続くぶつかり合い。上段の位置で構えた御手杵くんから、よそ見をするのがもったいないと思えた。そして一瞬、御手杵くんが急加速したと思ったら――突きが決まっていた。 「お待たせ、男子の試合状況はどう?」 すとんと隣に戻ってきたのんちゃんの声に我に返った。 「あ、お、おかえり。今中堅だよ。先鋒も次鋒もうちが勝った」 「おお、すごーい! じゃあこれ勝てばもううちの勝ちか。……あれって、試合してるの御手杵?」 「うん。今突きがすごかったの」 「へぇ〜! あ、海斗ちゃんも勝ったよすごくない?」 「さすがのんちゃんの友達!」 会話の途中で、周囲がわっと盛り上がった。 御手杵くんがもう一本突きを決めて勝ったらしい。五戦中の三戦勝利。これでうちの勝ちが確定した。礼をして試合場から出てきた御手杵くんが面を取ると、同田貫くんが声をかけていた。激励かもしれない。 「すごい……」 単純に思った。思わず口から出ていた。 「すごいって、御手杵?」 「あ、うん。それもだけど他の人も」 「まぁたしかに。あたしたちみたいな素人から見たら充分すごいよね」 あくまでも練習試合だからこの後は個人戦もやるのか、お互いの顧問の先生が話し合っていた。 他の人もとは言ったけど、正直なところ今の私の発言は、御手杵くんに対して集約されていたと気づいた。もちろん同田貫くんや他の人も、私から見ればすごいことに変わりはないのだけど。 今まで、教室にいる御手杵くんしか知らなかった。友達に囲まれていて、クラスを明るい雰囲気にしていて、でも授業では寝ていたりして、よく先生に当てられたりして。そんな御手杵くんしか知らなかった。でもさっきまで試合をしていた彼は、それとはまったく違う。全然知らない一面だった。 すごい、すごいね御手杵くん。すごく驚いて、すごく感動した。 (人気者の違う一面) なんてすごい人なんだろう。 |