ぽかんと開口している私の目の前には、長い付き合いの中一度だって見たこともないくらい、馬鹿真面目な顔で閉口する五条悟ーーこの状況を作り出した張本人がいた。





 遡る事一時間。
 私は仕事終わりの夕食を求めて、こんな真夜中でも空いている行きつけの居酒屋の暖簾をくぐった。
 本当は昨日作った煮つけが残っていたし直帰でも問題なかったのだけど、数少ない同級の硝子に声をかけられて仕舞えば、居酒屋宜しく「喜んでッ!!」と二つ返事で応えるというものだ。これ以上空きっ腹も硝子も待たせられないと足早にテーブルに向かう。

 しかしここで私は幾つかの違和感に気づく。

 いつもの硝子は、わざわざ朝一に飲む予定を入れただろうか。万年人不足を嘆くこの世界。お互いにドタキャンが起きぬ様、誘うのはいつだって直前だったはずだ。
 そして何よりお誘いを受けた時の硝子の様子だ。いくら見目の麗しさと反した粗暴な物言いをする彼女でも、通話しながら、そして相手方に断りも入れず、そのまま私に話しかける様なことをしただろうか。ましてや急ぎでもない、たわいのない飲みの誘いだ。
 (は、え?何ソレ嘘じゃん………)
 そして極めつけは、私がつくはずのテーブルからぴょっこりはみ出した白髪。いつからかすっかり遠い存在となったもう1人の同級。神出鬼没、常に飄々とした面持ちでカラカラと笑う彼。あまりにも遠くなりすぎて、恋心なんて可愛げは、学生だったあの頃に置いてきてしまった。置いてきたから、極力会うのを避けてきた存在だった。

 そう、私は硝子に誘われたのではなく『売られた』のだ。

 そうと分かれば退散するが吉。この先彼に如何様に振り回されるのか戦況が読めない以上、硝子には悪いが急ぎ帰って煮つけを食べる。昨日作り過ぎた私、グッジョブ。

「いや帰すわけないでしょ」
「わあぁなんで五条がいるんだよおおぉ!!私は硝子と洒落込みに来たのにちょ、待って五条担ぐな触るな高い怖い!!!」
「ナマエ勘違いしてるけど、アタシひとッ言も飲みに行くかなんて言ってない。夜居酒屋来れるかって訊いた」
「実質そういうことじゃん!!」

 そういうことじゃねーよ、とでも言いたげに(恐らく五条から受け取ったであろう)未開封の2カートンの煙草をフィルム越しに摩っていた。恨めしく睨んでいたが、そんな姿も今し方くぐったばかりの暖簾で見えなくなってしまった。

「今日のナマエは俺とディナー、OK?」
「五条、拒否権って言葉知ってたっけ」
「知らないね」

 うん知ってた。





 そこからは自分でも意味が分からないくらい時の流れが早かった。普段ならこんな時間に絶対開いてない高級レディースファッションの店にブラックカードと共に放り込まれ、五条が値段も見ずに指差しで選んだ服に頭のてっぺんからつま先まで包まれた。接客スタッフと思われる人達にされるがままに、へたれた髪と仕事服は、綺麗な結い髪とスカイブルーのワンピースに変貌した。
 そしてその服装のまま、これまたこんな時間にやってなかろう……と意識が遠のきそうな高級ディナーのテーブルにつかされた。違う。私がつくのは格安なのに酒の種類が豊富な居酒屋のテーブルだったはずだ。おかしい。全ては五条のせいである。決してノーと言えなかった私のせいではない、断じて。

 貸し切っているのか単に時間の問題なのか、私たち2人以外の客の姿は無かった。少し外すね、と残して五条は席を立った。私は久しく着る機会の無かった綺麗すぎるワンピースを見つめる。もしかしたら今日で役目を終えてしまうかもしれないスカイブルーに申し訳無さを覚えた。悲しいかな、私の背格好は五条の教え子たちとそこまで差異がない。もしかしたら誰かが貰い手になってくれるだろうか。(勿論ワンピースの出自は伏せるものとする。)

 ふと鼻をよぎった香りに顔を上げた。いつの間にか戻っていた五条が、いつもの目隠しからサングラスにかわっていた。何より大きな変化は、その手元である。溢れるほどの花弁が広がっているではないか。

「………薔薇?」
「そ、薔薇。何本あると思う?」
「いや、待って、嘘」

 嘘じゃないよ。そう優しく述べた五条はやわらかい笑みで薔薇を見下ろした。薔薇といえば真っ赤な姿を想像するが、彼の持つ薔薇は優しいピンク色をしていた。それでも薔薇の厳格な美しさはそこに在り、そして到底数えきれない薔薇にも負けない美しさで以って、彼は告げた。「99本あるよ」、と。
 ずい、と押し付けられ思わず受け取ると、先程過った香りが再び私を包む。ここまでの五条の無遠慮さをうっかり許してしまいそうになるほど、その花束は美しかった。そして五条は続けた。

「それでさぁ、」

 そう云って後ろ手にあらわれたのは再び薔薇だった。但し、私の持つそれとは異なり、赤い一輪だけが愛らしく揺れていて、テーブルから身を乗り出した五条は淡いピンクの花畑に真っ赤なそれを挿し足した。

「僕と結婚してよ」

 これで100本になったよ。その言葉を発した彼は、先程とは打って変わってキュッと口を閉じて私を見つめている。サングラス越しでも彼の僅かな不安が伝わる様だった。
らしくない、と思った。
 だってあの五条悟だ。自信に満ち溢れ、呪術界に若くして発言力を持ち、そして特級という替えのきかない存在。その五条悟が、血筋も何もない、ぽっと出のへなちょこ術師の同級に向けて、結婚しようだなんて。なんの冗談だ、と笑ってやれたら良かったのに。それなのに。彼の全てが、嘘じゃないと告げていた。
 思わず開けっぱなしにしていた口を慌てて閉じて、もう一度手元の花畑を見て、溢れた笑みと共に丁寧に言葉を紡いだ。それが今の私に出来る精一杯の返答だった。

「残りの8本は、私が選んでも、いい?」

 私の言葉を反芻した五条は、めいっぱいの笑顔で私を花束ごと抱きしめた。彼のその手に、きっと明日からも私は振り回されるだろう。それでも彼が笑ってくれるなら、笑える場所になれるなら、喜んでその手を取ろう。そう思えた。

title by mjolnir.
備考:99本=永遠の愛、1本=ひと目惚れ/貴方しかいない、100本=100%の愛情、そして108本で結婚してくださいでした。
色の意味もありますが、諸説ありすぎるので割愛。


贖罪ように薔薇を摘む人




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