長期に渡る潜入任務が終わり、ようやっと久々のライブラのデスクチェアに腰掛けた。トラブルは待ってくれるはずもなく、乱雑に置かれた仕事の山に蜻蛉返りを決めてやろうかと思い耽る。結局尻拭いをするのは明日の私なのだけれど。
とりあえず気を落ち着けようと、ホットココアに口をつけてほう、と息を吐く。すると控えめに名前を呼ばれて椅子ごと振り向いた。
「スティーブンさんどうしました?」
「書類、半分俺が貰うよ。潜入長くなったから処理もひと苦労だろ?」
「神様仏様スティーブン様どうぞこちらお納めください」
「では私は微力ながらこちらとこちらをいただこうか」
「クラウスさん!ありがとうございます!」
クタクタの私からすれば、一枚減るだけで感涙モノだ。二人だって多忙な筈なのに、ライブラの主要メンバーの中で唯一潜入捜査が出来る女性戦闘員である私への、彼らなりの気遣いに感謝しつつ、お気に入りの万年筆を滑らせていく。
「そういえば今夜はザップと会わないのか?」
請け負ってくれた最後の一枚を片手に、クラウスさんは深い意味も無さげに訊いてくる。突然の問いかけに動揺して返答に悩んでいると、スティーブンさんが意地悪い笑みを一度だけこちらに向けて、再び書類へと視線を向けた。このサディストめ。悪態を吐きたかったが、書類の半分を請け負って貰ってる立場なので大人しく口を噤んだ。
「潜入捜査明けてすぐコッチに戻ったので、連絡も久しく取ってないですね」
「ナマエは寂しくないのかね」
「仕事の事は向こうも了承してますし、何よりこの時間です。ザップはとっくに、何処かのレディと夢の中ですよ」
「君は物分かりが良すぎて困ってしまうな」
ふ、と困ったように笑うクラウスさんは、終えた書類を纏めて、再び私の山から書類を持っていく。
ああそうか。今日の世間は大晦日。きっとクラウスさんは少しでも2人の時間を捻出できるようにと書類処理を手伝ってくれていたのだろう。しかし残念ながらそのような予定は、ない。なんせ一ヶ月を越える長期の任務だったのだから。突然の任命で別れを惜しむ間もなく、私は慣れない場所での下調べと言う名の潜入捜査が始まってしまった。だから暫く不在であることは私からではなくクラウスさん経由で他の面々は知った筈だ。なお後から聞いた話だが、聞いたザップはクラウスさんに斬りかかって見事敗戦記録を更新したらしい。
時計は0:00を少し過ぎたことを伝えていた。
あぁ、去年も相変わらず騒がしい一年だったなぁ……と思いながら最後の一枚を読み返して万年筆を置いた。
「ごめんなさい、お二人まで寂しい年越しに道連れにしちゃいました」
「いや、私はナマエやスティーブンがいるから問題ない」
「はは、クラウスさんお上手だなぁ」
「俺も面白いものが見れたから全然」
優しい声色のクラウスさんに対して、ドアの方を一瞥したスティーブンさんは何とも含みのある言い方をしたが、その悪戯のような悪意は私ではないものに向けられていた。戻ってきた視線は「微笑ましい」とでも言いたげで、疲れ切った私の思考回路ではちんぷんかんであった。
「そうだ。折角居合わせたんだ、俺の家で食事はどうだ?お前の好きなローストビーフもあるぞ」
長期任務への労いだよ、と綺麗にウインクを決めてみせたスティーブンさんに、いよいよ彼こそ神なのではないかと思った。スティーブン教、万歳。
「やったー!ローストビー…」
私の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
けたたましい音と共にドアを壊す勢いで開け放ち、挨拶も何もなしにズカズカと私の腕を掴んだ彼は、未だ無言でスティーブンさんを威嚇している。
「……性格悪いッスよスティーブンさん」
「ヤダなぁ、無垢な青年の背中を押してあげただけじゃないかザップ」
名前を呼ばれたザップは、ぶすくれた顔で未だスティーブンさんを見ている。ここでやっと理解したのが、先程のスティーブンさんの視線の先にはきっと既にザップがいて、聞き耳を立てていた彼は我慢ならず出てきたというのが事の顛末なのだろう。
腕からするりと腰に回された腕がすっかり馴染んだ場所に安心したのか、空気が少しだけ和らいだ。
「しっかしザップも馬鹿だな、俺が本当にナマエを"連れ帰れる"と思っていたのか?」
「私も同感だな。彼女はきっと断っただろう」
「お二人のその信頼は嬉しいなぁ」
一番信じて欲しかった彼は慌てふためいている訳だが。焦ってくれたのは嬉しいが、ザップの日頃の行いを基準に私を推し量るのは勘弁願いたい。とはいえドア越しの会話から彼のちっぽけな脳みそでは気づけと言うのも難しいだろう。独占欲だけはいっちょまえの彼にくすりと笑った。
「ローストビーフは魅力的だけど、スティーブンさんの家なんて恐ろしくて行けないよ」
「ナマエお前遠回しに俺も節操無しだと言ってるか?」
「いえいえ恐れ多いと言ってるんです」
「……どうだか」
頬杖をついて此方を見るスティーブンさんは良かったな、と目で訴えていた。私は応えるように満面の笑みを向ける。そんなやり取りの隣で、居た堪れないから早く行くぞと無言の圧と共に腕に込められていたが、この程度の力で動く程ヤワではない。私も伊達に構成員をやってないのだ。
ふと見慣れた色が視界に入ったと思えば、私のコートを持ったクラウスさんが佇んでいた。ボスにコートを持たせるなんてとんでもない、慌てて受け取り何度も頭を下げる。
「わわ、すいません!有難うございます」
「長期任務の疲れをおしてまで書類処理まで終えてくれたのだから気に病む事ではない。折角迎えがきたんだ、温かくしてゆっくり過ごすと良い」
「ザップ〜。今日の彼女は絶対安静だ、お手付きは無しだぞ」
「それセクハラで訴えたら勝てます?」
ふざけてそういえばスティーブンさんは声をあげて笑っていた。彼もなんだかんだお疲れなのだろう。改めてお二人に感謝を述べて、私とザップは部屋を後にした。幾つかの扉を潜って外に出ると、いつも通りヘルメットを此方に寄越したザップはエンジンをかけて温まるのを待っている様子だった。
「ねぇザップ」
「あン?」
「ご飯何食べよっか」
「あー……テキトーにデリバリー頼めば良いだろ」
「何食べたいって訊いてるのよ」
こたえになってない返答にくすくすと笑うと、ヘルメット越しにわしわしと頭を撫でられた。長い付き合いだ。私はこれが彼なりの愛情表現だと知っている。
「オメーの任務明けなんだから、オメーの好きなモン食えば良いだろ」
ぶっきらぼうな声色には、確かに愛情が乗っている。はじめからデリバリーを提案したのも、疲れ切った私に料理をさせない為。食べたいものを私に委ねるのも、彼なりの労いなのだ。言葉も行動も全てが私を喜ばせる。でも何よりも嬉しいのは、彼から知らない香水の匂いが一切しないことだった。走り出したランブレッタに甘えて、ぎゅうと抱きついたまま久しぶりの彼の香りを噛みしめた。
きっと今日の彼は、私を抱かずにひたすら甘やかしてくれるだろう。そして新年を迎えても変わらず優しく私と添い寝をしてくれるのだろう。
彼に抱かれた幾人もの女性の誰もが知らない、私だけが知る彼の姿に思いを馳せて、まだ日の出を知らない霧の中をランブレッタは駆けていった。