※念の為背後注意/生理の話です。
−−−あ、だめだ。
そう端的に思った時にはもう遅く、私は禍々しい呪力に呑まれてしまった。
今日はとことん運が悪かったなぁ、なんて暢気な感想は間違っても口にはしない。そんな事言った日には、反転術式で治療してくれている硝子先輩から皆に伝わり、会う人会う人にお説教されるのがありありと分かるからだ。
早朝から任務で出突っ張りだった私は、最後となる4件目でやらかしてしまった。決して油断をした訳ではない。
言うなれば乙女はいつだって突然その日を迎えるのである。予定より随分早くやってきた月の日は、私に様々な体調不良をもたらした。比較的軽い方な私だったが、ここ数ヶ月の多忙により食の偏り、睡眠不足で見事に酷い痛みと貧血を引き起こしてしまった。結果、踏ん張りの利かない足腰は最後の最後にへたり込み、呪霊に飲み込まれたのである。幸か不幸か、呪霊は千切っては投げるスタイル(という言い方を以前したら五条先輩は爆笑していた)ではなく、体内に取り込んで少しずつ弱らせるスタイルだったため、なんとか内側から術式で祓うことに成功し、私は五体満足で帰還する事が出来た。
帰還してすぐに補助監督さんは保健室へと私をおぶって駆け込んだ。そして担任が不在だという事で夜蛾先生が様子を見に来てくれた。先生は事情が事情なだけに、眉を顰めて「無理をさせたな」とだけ残して去ってしまった。そんな顔、させたい訳じゃないんだけどな。強くなったからどうこうなることでもないと、分かっていても無様な自分に悔しさが募る。あ、駄目だちょっと泣きそう。
「この期間はメンタルぶれぶれになるからねぇ。泣きたきゃ泣きな、悪いことした訳じゃないだろ」
「……硝子せんぱぁい」
「ん〜?」
「男に生まれたかったです」
「困る奴が出るからやめときな」
それがどういう意味かなんて分からないほど子どもじゃない。頭上にはぽこん、と愛しい七海の仏頂面が浮かんだ。……彼なら私が男の子でも大切にしてくれる気がする。関係のラベリングは違うかもしれないけれど。
ふと廊下から競歩のような足音が聞こえて、私と硝子先輩は顔を合わせた。廊下は走らないなんて、そんな当たり前をキチンと守ろうとして、でも急いで此方に向かいたくて仕方ないと言わんばかりのその音に、誰が来るかなんて予想は賭けにもならない。
「失礼します、家入さん」
「七海か、遠方任務お疲れ。怪我は?」
「ありませんよ。誰かさんとは違うので」
「七海お前、さては恋人が倒れたって事しか聞いてないな?」
にたりと笑う硝子先輩に心底不快です、と惜し気もなく顔に出す七海に私は吹き出しそうになったのをなんとかおさめた。鎮まるのだ、私。ここで笑ったら当分臍を曲げられてしまうぞ。
先輩は酷い顔の彼にことの経緯を聞いていた。私自身に外傷は無いこと、少しだけ呪霊の呪力にあてられてしまったため保健室にいること。その最大の理由は言うべきか否か、硝子先輩は此方に視線で問う。私は恥ずかしくて首をぶんぶんと横に振ると、七海の眉間の皺が一気に増えた。
「私の口からは言えないが、こればっかりは努力でどうこうなることじゃない。寧ろしっかり祓って帰って来ただけ褒めても良いくらいだ」
「先輩方がそうやって彼女を甘やかすから油断を招くんですよ」
「だからな七海、生理現象はどうしようも……」
そう言いかけてやめた硝子先輩は、問いかけるようにナマエ?と瞬かせた。そして気づいてしまった。私いま、泣いてる。えっなんで?
「あーあ、やっぱりナマエメンタルダメダメじゃん」
さっき話していたことか。確かにこの期間はメンタルが不安定になりがちで、イライラしたり逆に沈んだり、起伏が激しいと聞いた事はあった。けど、まさか自分もそうなるとは思ってもみなかったので、初めてのことに少し感動を覚えた。
が、目の前の彼はそうもいかない。
どこか居心地悪そうに、必死に言葉を探しているのが見ていてよく分かる。今日はとことん運が良くないらしい。夜蛾先生といい七海といい、何も悪くないのに困らせてばかりだ。困り顔で未だ滲む視界でどうしようかと鼻を啜る。
「七海、こいつ生理。任務中急に。意味分かるな?」
「は、」
「せせせ先輩!!!」
言わないでって言ったのに!!いや言ってはないけどお伺いたてられて答えましたよね?!!知られたことへの恥ずかしさで貧血だったはずなのに頭に血が昇るような、一気に体温が上がった気がした。暑い。この場から逃げ出したい。
「貴方今、恥ずかしいとか思っているでしょう」
「ぅえっ?」
「先輩も言いました。それは生理現象です。我慢出来ないことだし、我慢する必要のないことです」
淡々と言葉を続ける七海にぱかりとあいた口を思わずしめた。右手のセルフサービスで。真面目に聞いてます?と顰めっ面で此方を覗き見る彼のなんとも近いこと。気づけば保健室には七海と私だけで、硝子先輩はいつの間にか退室していた。お礼、言いそびれちゃったなぁ。
「気づいた時点で補助監督に伝えなかったのですか」
「元々今日はみんな総出で、代わりが居ないから詰め込まれてたの分かってたし……言えなかった」
「貴方って人は……鎮痛剤は?」
「も、もって、ない……今までこんな酷かったことないから」
「………」
暫し考えた様子の七海は、ああ、と溢してから素早く携帯電話を取り出して履歴を開く。電話帳じゃない辺り、かける相手は灰原だろう。他人事のようにぼんやり眺めていたら、とんでもない爆弾発言で私はもう限界突破した。
「灰原、帰りに生理痛向けの痛み止め買って来てくれ、ナマエに」
寮に帰宅して「痛み止め買って来たよ!」と叫んだ灰原によって、今日の任務の私の失態が周知のこととなるのはもう数時間後の話。
ある意味で持っている彼女・ナマエは、現在初めての重い生理に唸り声をあげている。任務中に不調をきたしても任務を遂行してくる辺りは流石と言うべきだが、やはり事前に一言補助監督に伝えなかったのはいただけない。何事も前情報があるか無いかでその後の対処が段違いなのだ。
薬を買って来たことを態々寮の入り口から最大音量で報告してきた灰原のお陰で今日の彼女の任務での失態(と言うには憚りを感じられる)が周知のこととなり、先輩方にさんざっぱら弄られていた。最中チラリとこちらを見る五条さんに苛立ちを覚えたが、相手にする気はさらさら無い。
「灰原すまない、急に連絡して」
「全然!ついでにゼリーとかも買ってみたんだけど、ナマエは食べられそうかな?」
「ななみもはいばらもやさしい……」
「ナマエ完全に顔死んでるね!」
「いちいちこえおおきいよはいばらぁ……」
確か今日灰原と同伴していたのは女性の補助監督だったか。気を利かせてくれたのだろう。有り難く袋ごと受け取って相変わらずメンタル不調期でずびずび泣いているナマエのそばに寄る。袋は腕に通して、共同スペースのソファで撃沈しているナマエを抱き上げて、自室に向かって階段へと足をかけた。後方からの野次は気にしない。どっかの屑と違って節操無しに手を出す人間性は持ち合わせていないのだ。
「お、来たな七海」
「お心遣い有り難うございます、家入さん」
「多分その様子じゃ何するにも危なっかしいから、移動する時とか様子見てやって。あと身体冷やさないようにすること」
それじゃ、と颯爽と去っていく家入さんに会釈をして部屋を見渡す。自室には既にナマエの最低限の私物と敷き布団を運んでくれていた。貧血の度合いが大層酷いそうで、担任からはそばについててやれとのお達しだった。しかしながら、仮にも異性同士が同室で寝ろというのは如何なものか。信頼されているのは分かるが、それはそれで悲しいものがある。
かといって放っておけるかといえば、きっと自分のことだ、度々理由をつけては彼女の部屋を訪ねただろうから、これで良かったのだろう。そっとベッドに下ろしてかけ布団をかけてやる。私は先生が用意してくれたと思われる、普段使われない敷き布団で暫くは寝る予定だ。
「食事はどうしますか」
「ななみは……?」
「貴方が変な遠慮するから言いません」
きっと彼女は手間取らせないように私に気を遣って同じものを、なんて言うだろう。ぴしゃりと言ってやれば困り顔で本当にいいの?なんて聞いてくる。そんなの今更だろう。
「ななみの、たまご粥、食べたい」
「灰原のゼリーはデザートですか?」
少し照れた調子でこくりと頷く彼女に一瞬自制心が揺れたが、ここで欲に負けてしまう程度なら術師なんてやっていけない。共用の冷蔵庫には普段ナマエの菓子作りに使われる卵がある筈なのでそれを拝借すれば良いだろう。
そんな事を考えていると「食いしん坊とか思わないの?」なんて私からしたら明後日の方向の質問が返ってくる。未だ照れた様子の彼女は鼻先までかけ布団を掴み上げて、潤んだ瞳をこちらに向けている。……この天然誑しめ。
「貴方は細いんだからむしろもっと食べなさい。それにこんなゼリーひとつふたつ食べた程度で微細な違いでしょう。寧ろ食べれる時に食べておいた方が調子も戻るのでは?」
「たしかにそうだ、ななみてんさい」
「それに、」
特有の怠さで呂律が怪しいナマエを見下ろして私はそっと彼女の耳元まで屈んで、らしくない言葉を紡いだ。耳の赤みが増したのを確認して満足した私は、たまご粥を作るべく共用キッチンに向かった。