「どうしたらナマエは俺のこと好きになってくれる?」
「………は、」
ああ自分は寝惚けているのか、と笑ったのも束の間、自販機から落ちた缶コーヒーの音が無情にもこれが現実だと訴えた。
迅悠一と言えば、その替えが利かない能力ゆえに此処ボーダーで知らぬ者はまず居ない。居たとしても精々Cランク帯の、それも入隊して間も無いごくごく僅かな人間だけだろう。
未来視なんて能力、私だったら荷が重くてすぐに投げ出してしまうだろう。生まれ持った物に投げ出すも何もないのだけれど。
さて。彼はその能力が役不足とでも言いたげな振る舞いで、決して不安などおくびにも見せたことがないのだが、今目の前に居る彼は本当に迅悠一その人なのだろうか。
未来が見えるなら、訊かなくたってどうにでもなるんじゃないのか。訊いてもどうにもならないならそうと分かるんじゃないのか。聞きたいことなら山程あったが、今は未来を「未知」と呼ぶことが難しい彼が、私なんかの事で酷く不安気に瞳を揺らしていることに酷く動揺していた。
明日誰が生きて誰が死ぬか。
そんな残酷な事すらも目の前に浮かんでしまう彼は、それでも迷いなくボーダーの道標であり続けた彼は、果たしてどんな思いで言葉を紡いだのだろうか。
「ねぇ、俺どうしたらいいかな」
そんなのこっちが聞きたいよ。そんな言葉は言うだけ無駄だと、彼の振る舞いで十分な程理解した。それだけ不確定な未来なのだろう、私と彼の未来は。何が正解なのか、私には計りかねる。此処で心のままに選び取ったものが、遠い未来でどんな支障をきたすのか私には皆目検討もつかなければ、彼のような大人のご都合主義に振り回されそうな能力もないのだ。
そもそも未来視なんてものが身近に存在しなければ、こんな小難しいことを考えずにいられたのだろう。私も彼も。だから、唯一無二、類を見ない彼ですら、匙を投げたのだろう。そして託したのだ、世界の未来すら脅やかすかもしれない、私には荷が重すぎる選択を。こんな選択を毎秒やっていて彼はよく気が狂わないなと思う。そもそも麻痺してしまって、未来を選択する事すら、取捨選択しているのかもしれない。私は拾うべきなのか、捨てるべきなのか。どれが正しい選択なのか、そもそも何を以て正しいと言えばいいのか、何も特別ではない、いちボーダー隊員でしかない私は分からなかった。
「一日だけ、時間が欲しい」
出来たのは、愚かにも選択する事を先延ばしにする事だけだった。
返答を待たずにその場を去った私は、まるで雑念でも振り払うかの様に個人戦ブースへと駆け込んだ。会う人会う人みんなに声をかけて、黙々と戦い続けた。圧倒的負け越しも気にせず、とにかく戦っていたかった。こんな日に限って私のシフトは伽藍堂なのだ。20戦しても尚付き合ってくれる太刀川さんが、今日だけは輝いて見えた。
「ナマエさんどうしたんスか?」
「出水くん」
「いつもなら誘われてもやらないじゃないですか、太刀川さんと」
「どーせ小難しいこと考えてんだろ」
そう言って私にレモンティーを差し出した太刀川さんは、なんとも機嫌が良さそうだった。受け取ってすぐに財布を出そうとした私を制止して隣にどかりと座った太刀川さんは、気分が良いから奢りだと言った。普段なら断る側の私が個人戦に誘い、あの太刀川さんが奢りを申し出た。明日は槍でも降るんじゃないかと出水くんは顔を顰める。君の場合弾を降らせる方が有言実行出来るんじゃないかと言えば、太刀川さんが耐えられないとでも言いたげに下品な笑いを洩らした。
「で、結局何があったんだよ」
「興味無いのに訊かないでください太刀川さん」
「俺は興味あるから訊かせてくださいよナマエさん」
「うるさいぞ出水くん」
ぺしり、と彼のおでこをはたけば、大袈裟な身振り手振りで痛がった。彼は今トリオン体だ。そんなことじゃ痛まない事を、私は知っている。
「今日結局何人とやったんです?」
「えっと、生駒くんと村上くん、遊真くんにカゲくんでしょ?あと荒船くん米屋くん太刀川さん、それからこの後出水くんかな」
「なんで俺入ってるんすか……」
「私のサイドエフェクトが言ってる」
「迅さんみたいなこと言わないでください」
絶妙なレベルで似てるのがこれまた絶妙に笑えないな、なんて失礼なことを言う太刀川さんにもぺしりと痛みを与える気概も感じられない平手打ちをかまして、私はその場を後にした。同じ言葉を使った所で、私が出水くんと個人戦をする未来は来ない。随分前から視界端で私を待つ赤い隊服が落ち着き無く彷徨っていたからだ。
「嵐山、ごめん何か用だよね?」
「あ、いや、何というか……すまん」
今日はらしくない人たちのオンパレードだ。その内の一人は勿論私なのだけれど、今のところ私以上にらしくないのは迅と彼だけだ。隠し事と対極に居るような彼なので、基本的に投げられる言葉は全てストレートだ。そんな嵐山がこんなにまごついてるなんて、本当に明日は槍が降るのかもしれない。或いは弾が。どれくらい待ったかは分からないけれど、ようやっと出てきた言葉は「この後少し良いか?」だった。私は頷きひとつで承諾して彼の背中を追いかけた。
「迅が憔悴してたから、きっとお前と何かあったと思ったんだ」
「……は、」
デジャヴ。今度は流石に寝惚けてるかなんて疑うことはしなかったけど、耳は流石に疑った。嵐山は自販機に小銭を入れながらさもそれが当然のように言ってくるものだから、私は情けない声が漏れてレモンティーに口を付け損ねた。今朝、迅と会話したのもこの自販機の前だったな。
何か、とは何だろう。
確かにあったにはあった。ただそれを言語として簡潔に出力するのは難しかった。言葉を選びに選んだ結果、私はそのままの出来事を伝えることにした。回りくどいことは私も嵐山も不得手なのだ。
「どうしたら好きになるか、訊かれた」
「それはまた中々だな」
「面白がってない?」
まさか、と零した嵐山は何処か困り顔だった。一方で何処か安心したような風なのが不思議でたまらなかった。私の言葉を訊いて、内容そのものには驚いた様子は無かったので、以前から迅の内心を彼は知っていたのだろう。どちらかと言えば、行動に起こしたことに驚いているように感じる。私が嵐山の立場だったら、きっと同じ感想を抱いていただろう。
「苗字はなんて返したんだ?」
「なんて返したと思う?」
「俺は迅じゃないから分からないぞ」
「その迅でも分からなかったみたいよ」
「みたいだな」
肩を竦めた嵐山はようやっとボタンを押して自販機の前に屈んだ。今朝聞いたものより軽い音だったから、小さいペットボトルが落ちたのだと分かった。そして流れるように私の手から未だ口の付いていない、けれども既に開封済みのレモンティーと彼の手にあった未開封のミルクティーを入れ替えた。すっかり冷えていた指先が、再び温もりに覆われた。何故、と訊く前に開封済みのレモンティーは彼の喉を通りすぎていった。私はまだ温かさを保つペットボトルを開けて、今度こそ口を付けた。それから、躊躇う事なくひと口分の甘さを嚥下した。
「迅は自分の事だけは本当に不器用だな」
私はその言葉にただ頷くことしか出来なかった。彼が欲しいものを欲しいと言わなくなったのは、一体いつからだったのだろう。或いは、そんな彼は一度も存在しなかったのだろうか。私は嵐山に向けていた視線を手元のミルクティーに落とした。嵐山は知っている。迅よりも私の方が遥かに不器用である事を。だからこそ、今回の出来事を指して彼は「迅は不器用だ」と定義したのだろう。
「一日だけ待って欲しいって言ったの」
「苗字が?本当に?」
「そんなに驚くことだったの?」
「苗字の返事なんて、それこそ決まってると思ったから、驚いた」
「なんて返したと思ったの?」
「お前は迅のことよく分かってるから、」
そこから先は言葉にはされなかったが、嵐山の顔を見れば誰もが分かる。正しく「火を見るより明らか」というやつだった。そう、分かっている。分かっているからこそ、なんて事を聞くんだと思ったし、一日待たせる事がどれだけ無駄なことか理解していた。
どれだけ迅が稀有な存在で替えが利かないとしても、やはり彼も人間であり、20にも満たない青年と少年の中間に立つ存在なのだった。
結局最後に選択するのは自分の求める理想の未来なのである。大人になんてなれやしないのだ。全てを割り切るなど出来ないから、彼は迅悠一として存在し、いつだって選んだ結果に人一倍傷付きながらも決して後悔だけはしないのだ。そんなこと、私はとうの昔に知っていた。