「雷蔵さぁーん、チェックお願いしまぁす」
「はいよー」

 気の抜けたやり取りが空を飛び交う。ツナギ姿でデスクチェアに思いっきりもたれかかると、机との間に出来た空間に雷蔵さんの丸い頭が入り込み、手元の回路を指で追いながら確認していた。
 世界が十色であるならば、メカニック好きな女の子がいたって良いはずだ。そんな私苗字ナマエは、初期の小規模なボーダーから現在に至るまで、ありとあらゆるトリオンの開発に携わってきた。今日も頼まれていた試作トリガーの調整を黙々と取り組んで気付けば夜も深くなっていた。というのはチラリと見たデスクトップPCの画面端の時計を見て気づいた事であり、常に煌々と照らされている此処『エンジニア室』では体感的には認知できない事だった。
 本来なら高校生として青春を謳歌すべきだろう、と思われそうだけれど、私にとっての青春が目の前のこれら全てなのである。小さい頃からおもちゃを直すおかしな子どもだと親には随分と気味悪がられたが、それがこんな形で迎合されるなんて当時はきっと誰も思って居なかっただろう。まぁ、そんな誰、はもう一人も存在しないのだけれど、私にはもう関係のないことだ。閑話休題。

「助かった、今日はもう上がれ。昨日も仮眠室から学校行ったろ」
「雷蔵さん私のパパですか?」
「せめて兄といえ」

 ぽかりと当てられた拳はポーズだけのもので痛みは微塵もない。仮にも元戦闘員だったのだから、これは相当甘やかされている。私の体調を気遣う先輩に思わず綻んでしまう。すると今度はニヤニヤするなとぺちりと旋毛を叩かれた。

「お、良いところに。コイツ連れてってくれ」
「雷蔵さんせめてオレの用件きーてくんない?」

 へらりと笑ってみせた迅さんはサイドエフェクトで見えていたのだろう。私のカバンをひょいと肩に掛けて、「着替えてきな」と促した。その間に終わる程度の用件なのだろう。私はこくりと頷きパタパタとスリッパの音を立てて自身のロッカーの前に立つ。ツナギさえ脱いで仕舞えば、出てくるのは女子高生の制服姿だ。ハンガーにかけたジャケットさえ羽織れば着替えは済んでしまう。チラリと横目に迅さんを見ると、まだ少し話しているようだったので、空になりかけていた部屋のポットに水だけ足してスイッチを押した。きっと明日の朝には全てブラックコーヒーとして消費されてしまうのだろう。私は飲めないから分からないけれど。

「着替え終わった?」

 お呼びがかかったところで私はスリッパとローファーを履き替えて、迅さんの隣に収まった。忘れ物はないか、なんて今度は迅さんがママみたいな事を言い出して、思わず私はにやけてしまい、また雷蔵さんから拳が乗せられた。今度は少しチカラが込められていた、痛い。



「雷蔵さんの試作トリガーの調整してたらこんな時間になっちゃいました」
「オマエほんとーに昔からやり出すと過集中っていうか、止まらないよね」
「迅さんもしかしてあえて用件作ってきてくれました?ごめんなさい」
「かわいい妹分に何かあったら大変だからな」
「ふは、ありがと、迅さん」

 だいすき、と続けることはしなかった。きっと私はずっと妹分の延長に存在していて、彼は三門の為に暗躍を続け、そうして幾度となく朝を迎え、夜を待つのだろう。そう言い聞かせ続けてもう何年か分からないけれど、自身に分からせるには充分な年月だったと思う。好きだからこそ、必要な時に頼れる存在−エンジニア−でありたい。ただそれだけが願いだった。過ぎたものを欲してはいけないのだ。私にとっての迅さんとは、そういう存在だった。
 いつだったか口を滑らせてエンジニアの大人たちに心の内側を少しだけ吐露してしまった。けれど、そこは流石大人たち、誰かに言いふらすわけでもなく、かといって求めてない慰めなどするわけでもなく、ただただ私の心の有り様を「エンジニアとして立派だ」と、どんな言葉よりも嬉しい言葉を贈ってくれた。幼い私に居場所をくれた界境防衛機関。そこで尽きるまで命を燃やせればそれでいい。年相応だとかそんなもの、要らない。この狭い世界の中でも戦闘員は若い子が多いから充分青春は送れていると思うし、何より私はこの仕事に誇りを持っていた。
 だから、私の初恋なんてこれ以上誰も知らなくていい。大切に大切に仕舞い込んで、そのまま抱きしめて今日も眠りにつけばいい。そう、今夜も思っていたはずだった。

「ところでかわいい妹分のエンジニアさんに相談なんだけどさ」
「はい、なんでしょう」
「そろそろ兄貴分に隠し事するの、やめない?」
「は、え?」

 視界には既に玉狛支部が見えているというのに、白状するまで帰さないと、暗にそう言われているようだった。私はたったひとつ抱えた隠し事を持つ手が震えた。果たして迅さんは、何故そんなことを言い出したのか。そもそも隠し事の内容を理解して訊ねているのか。分かった上で訊ねているならなかなか良い趣味をしているけれど、それは私の心中をすべて察した上でのことなのだろうか。
 昨日一昨日から続く寝不足で上手く思考が制御出来ずに言葉が紡げないままでいると、煮え切らない私に痺れを切らした迅さんが一歩、歩み寄る。そっと持ち上げられた私の右手は壊れモノでも扱われているのだろうかと誤認してしまいそうだ。

「か、くしごと、なんてわたし、」
「そろそろ兄貴分から卒業したくってさ。だって遅かれ早かれ実る恋だし、それでいて未来への影響なんて今のところ全然分かんないから。あ、分からないってのは視えてないってこと。だからいつかお前を天秤に乗せなきゃいけないって不安がこれっぽっちもわかないんだよね」

 半ば捲し立てるように告げた迅さんは、無表情のようでいてその実、瞳の中にはゆらゆらと燃ゆるものが見えた。遅かれ早かれ実る恋。それはつまりそういうこと、で良いのだろうか。だってこの場には迅さんと私しか居ない。答えは決まっているはずなのに、上手く舌が回らない。ええいままよ!と私は言語化する事を放棄して、抱き締めるというボディランゲージで表現することにした。途端に緊張から解けたように破顔した迅さんは言う。

「視えてたけど、本当に行動で返事されるとは思わなかった」
「そっ、そんなに笑うならもういいですっ」
「そういうとこもかわいいよ、だから拗ねないでよ」

 身体を離すどころか更に深く抱き留められ、耳元にダイレクトに彼の囁きが伝う。粟立つようなこの感覚はなんで名前をつければ良いのだろう。
 兎にも角にも、私は彼のサイドエフェクトを信じてこれからもエンジニアとして勤しめばいい。そして精一杯私なりの愛を彼に伝えていけばいい。それだけは確かなことだった。だって迅さんのサイドエフェクトがそう言っているのだから。


きっとハッピーエンドを演じられる




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