ごぽりと柔らかい水の音で目が覚める。決して敵意ではない優しい視線を感じて目を開くと、ここ暫くで随分見慣れた女性が映り込んだ。容姿も仕草も実年齢からすると幼気で、その姿からは死と隣り合わせの場所に日常的に立ち向かうことは到底想像出来ない。
おはよう、ご飯は食べられそう?と様子を窺う彼女に返事をするべく水中から上がる。その行動から返答せずとも肯定と受け取ったであろう彼女は、ギルベルトさんのオムレツ本当に美味しいの!とこの後戴くモーニングが如何に美味しいかを熱く語り出した。
「本当にギルベルトさんの手料理が好きなんですね」
「ツェッドくんの料理も美味しいけどね」
「そういうナマエさんだって」
「いやーまだまだだよーよし着いた。お兄ちゃんも呼んでくるから座ってて」
兄を呼びに行った彼女の後ろ姿から、顔を見ずとも喜びに満ちていることが容易に想像出来た。
儚くて美しいとは、彼女のようなひとを指すのだろう。それが僕がナマエさんの第一印象だった。無条件に笑顔を振りまく傍らで、自身という存在を強く呪っていた。呪われていたと言う方が正しいのだろうか。彼女は、生まれながらにして我を失えば万単位で人を殺す力を得ていたのだから。師匠の気紛れで生かされた彼女は、自身の身体に流れる運命と向き合うことを強いられた。
「強くなれ、さもなくば殺す」
彼女の身体は自分自身の血によって蝕まれていた。道具があっても使い方が分からなければ意味を成さないように、人間の身体である器は、その強力過ぎる血液の扱いを知らなかったのだ。使い方が分かれば、微弱な命も多少はマシになるだろう。師匠の言葉を聞いて泣き出した彼女の姿は、命を賭して戦場に立つ強かな女性ではなく、命に縋るひとりの少女そのものだった。ひとしきり泣いた彼女は、2、3度瞬いてから、強い意志を込めた言葉を吐き出した。遠吠えにも近い、怯えと決意が篭ったそれに、珍しく師匠が笑っていたのを思い出す。はて、あの時彼女はなんと言っていただろうか。
ツェッドくん?と名前を呼ばれてはっと我に帰る。いつの間にか席についていたナマエさんがギルベルトさんに声をかけると、美味しそうな香りと共に朝食のプレートが運ばれた。ナマエさんだけは、血液パックも添えられている。食器の金属音が鳴る中、ふと、1人じゅごごと鈍い音を立てていたナマエさんの動きが止まり、視線が僕の背後にある扉へと注がれた。つられて僕も振り返ると、次第にドタバタと喧しい足音と、直後に損壊待った無しの乱雑な所作で扉が開かれた。やってきたのは、僕の兄弟子と聞かされた人物と、昨夜の騒動中半泣きになっていた……名前は確か、レオナルドくん。
「うわ〜ナマエ良いなぁ美味しそう」
「レオナルド様も召し上がりますか」
「え?!いーんすか?!!」
「ずっりぃぞ陰毛!!俺にも寄越しゃばびばぼろ!!」
「食事中に陰毛とか言わないでよザップ」
血を抜き取られたであろう兄弟子(認めた訳ではない)はその場に倒れ込み、恨めしそうな顔でナマエさんを睨んでいる。そんな彼を他所に平然と血液パックを飲む彼女は、まだ手をつけていない湯気のたったオムレツをレオナルドくんの前に差し出した。邪魔者が居なくなった少年が顔を綻ばせながらオムレツにナイフを入れる。ぱかん、と美しく開いたオムレツの姿にいよいよ泣き出す姿にちょっと引いた。
「……泣くほどでしょうか、確かに美味しいですが」
「ツェッドくんほっときな。此処では残念ながらこれが日常だから」
「そう……ですか………」
「その内慣れちゃうよ〜じゃあ私は出かけてくるね。ほら行くよザップ」
「バッカお前襟掴むんじゃねーよ首しままままままぎょぼろべ!!!」
奇怪な声を発して息絶えた兄弟子を、何事もなかった様な涼しい顔で引き摺って出て行く姿は、なかなか見るに耐えないものだったが、これもまた、日常であるとレオナルドくんは云う。
「というか、ナマエさん朝食は良かったんでしょうか」
「さあ。きっと外で2人一緒に食べるんでしょ」
多分ですけどね。そう言いつつも確信を得ているようなレオナルドに、なるほど、と相槌を打った。その時、僕の頭は再びあの日にタイムリープした。先程思い出せなかった彼女が言い放った言葉を思い出して、ああこのことかと1人ごちる。
『ゲットーヘイツでイタリアン食べるって約束したから、生きて帰るわ。絶対に。』
運命を殺しにきました