緩やかなスピードでランブレッタは止まった。私が後ろから降りようとすると、ザップから静止が入り、何やら袋を漁っている様だった。普段鞄なんてものを持ち歩かない彼だから、気にはなっていたけれど、まさかそこから私のブーツが出てくるとは思ってもみなかった。目を丸くさせると跪いた彼が慣れた手つきで私のローラーシューズから履き替えさせる。優しい手つきに思わず頬に熱が集まる。こんな気の利いたこと……誰かの入れ知恵かと疑ってしまう。
「お前今俺のこと馬鹿にしたろ」
「し、してない……」
「嘘つけ、顔に出てンだよバーカ。」
そう言って少々乱雑に私の手を取って、ライブラに続く扉のひとつをくぐった。暫くして執務室が見えてくると、丁度スティーブンさんがコーヒー片手に部屋に戻ろうとしているところだった。
「あぁ、ご苦労様ザップ」
「あ、あの、スティーブンさん、私、」
なぜ呼ばれたのかも分からない。任務でなく、呼び出したのが兄でない事に不安を覚える。すると、人目も憚らず後ろから力いっぱいに抱き締められた。ザップは何か知っているのだろうか。知らずに、不安そうな私をただ安心させる為に力を込めているんだろうか。
マスターの所でひとつの決断をしたばかりで、まだ少し不安定だと自覚する。やはり私は心はまだまだ弱い。
「ザップ、お前は悪いが任務だ。先にレオが向かってる。詳細は彼から聞け。他の奴らも向かってる」
「………」
暫くの沈黙の後、ようやく解放された私は振り返りザップを見上げた。何か迷っている……?そう思わずにはいられない程、彼の瞳は揺らめいている。彼は知っているのだ。これから話すことも、それが決して簡単なことではないことも。なによりも、本当なら私を引き留めたい気持ちでいっぱいなのも。
「……ナマエ、お前のしたい様にしろ」
「えっ?」
それだけ言い残して彼はその場を去っていく。引き止めようと向けた私の右手は、虚しく空を切るだけだった。
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「まったくザップの奴、要らん心配させる様な事ばかり……まぁいい、中で話そう」
「おかえりなさいませ、ナマエ様」
「ギルベルトさん!」
「彼も居るからそんなに緊張するな、と言えば少しは楽かな?」
「うっ、それは内容次第かと……」
「はは、それもそうだな」
ギルベルトさんが紅茶を用意してくれている傍らで、さて、と脚を組むスティーブンさんの纏う空気は、予想ほど重苦しいものではない。それでも大事な話であることには変わりないようで、真っ直ぐこちらを見つめている。
「簡潔に言おう。君は今"どっち"だ?」
明確に言葉にされない二択。それは私が人間なのか、はたまた吸血鬼なのか、ということだろう。殺意が感じられない辺り、今後の任務での対応を決めかねているのだろう。
実際ツェッドくんとライブラに戻ってから、私は一度も任務を任されていない。偶然生まれ落ちてしまった吸血鬼のクォーター、修行をしたことで私の身体はどの様に変化したのか。それを彼は知りたいのだ。ならば答えるのは容易い。
「吸血鬼としての私は、死にました」
「死んだ?」
「私に流れる牙狩りの血が、殺しました」
だから、私が使える能力は兄弟子2人には到底及ばないけれど、雑魚戦には充分の血法と、体術……というよりは生きる為にいなす術、それが全てだ。
「言われたんです。ハーフならまだしも、このままだと均衡が保てなくて、いつか死ぬと。だから、吸血鬼として死ぬか、人として生きるか選べって。」
「ナマエ、お前まさか」
「私にとって混血であることは、母と父との唯一の繋がりだと思ってました。でも、私、守られてばかりは嫌だったから、だから、」
「ッ、ナマエもういい!それ以上言うな!!」
母を、殺したの。
涙を堪えるのに必死で声が震える。はたして全ての言葉は、正しくスティーブンさんに伝わっただろうか。
父は生存しているけれど、家族として関わる事は父にとって重罪になる。そして、母との繋がりはこの身に残るものだけだった。だから、はじめに問いかけられた時は絶望した。けれど、子はいつか親から巣立っていくのだ。無いものではなく、今私の元に残っているものを失くさない為にできる事をしよう。そう思ってから切り替えるのはそう遅くなかった。
けれど、改めて問われると、当時の絶望が一気に押し寄せる。ああ、父も、母を殺せと言われた時は同じ気持ちだったのだろうか。それならなんて酷い話だ。母は家族に二度、殺されたのだ。
ふと静寂を包んでいた部屋に、カチャリ、と陶器の音が響く。優しく微笑むギルベルトさんが私の背中をゆったりとしたペースで摩る。
「さぞかしお辛かったでしょう、ナマエ様」
「ぎる、べると、さっ……」
「お戻りになられてからの貴方は気丈に振る舞われておりましたね。けれどもう良いのです。1人で抱えきれぬのならば、"私達"と共にゆきましょう」
その為の我々ではございませんか。そう言い切る前に私はギルベルトさんに抱きついてしゃくり上げながら泣いた。見たくない全ての負の感情に蓋をしていたのに、彼は簡単に開けてしまうのだから、いけない人だ。
きっとこうなると分かっていて、あえて他のメンバーでも、ザップでもなく、ギルベルトさんに同席してもらったのだろう。
私は、宿り木が欲しかった。
この身の真実を知ってからは一層、羽を休めたかった。がむしゃらになればなるほど首が締まるような思いだったけれど、どうしたら良いか分からない私にはどうしようもなかった。
ギルベルトさんの答えは、私が周囲に対して当たり前に思っていたことだった。何故それに私は気づかなかったのだろう。私は、もっとみんなに頼っても良かったのだ。後衛だからとか、無力だからとか、そんな言い訳ばかりせずに。
宿り木はライブラに、確かに此処に在ったのだ。
果てなき地獄のゆく末