暫くしてチェインはお茶をする間も無く、スティーブンさんに一言二言交わして人狼局に戻っていった。またザップもお役御免とでも言いたげにレオ達を連れて部屋を去り、再びライブラの執務室にゆったりとした時間が訪れた。
筈だった。
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時間が無いと言い、いつもより荒いスティーブンさんの運転の中、お兄ちゃんが持ち帰った情報ーーもとい写真を覗き見る。人狼吊るし、というワードにチェインの安否が気になった。
「人狼局って極秘任務ばかりでライブラもあんまり関与してこなかったよね?通して貰えるかな……」
「案ずるなナマエ、何と言われようと推して参る」
「そこは穏便にしてお兄ちゃん!!」
相当焦っているのかとんでもないことを言い出す姿に思わずひぇ、と声が漏れた。ミラー越しにそんな私を見ていたスティーブンさんは愉快そうな笑みを見せたのも束の間、状況を話し出す。
「クラウス、君の話から一番懸念されるのは、チェインの限界希釈だな?」
「うむ……最悪の場合、この世界からチェインという存在が消えてしまう」
「希釈?」
スティーブンさん曰く、普段のチェインは決して完全に姿を消しているわけでなく、限界まで己という存在を"希釈"しているのだという。まるで、海にスポイトで絵の具の一滴垂らした程度、波が来てしまえば一瞬でさらわれてしまう。今まで当たり前にやってみせていた彼女の所業は、それ程危険と隣り合わせのものだと知らされる。
ふと脳内でチェインの笑顔がチラついた。言語化のしようが無い不安が私の胸をざわめかせて止まなかった。
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これはまさしく有言実行。
お兄ちゃんと(やや引き気味な)スティーブンさんが人々の止める手を見向きもせず、人狼局最奥の扉を開けた。その勢い、鬼の如し。少し後ろを歩いていた私は、状況を把握した場の深刻な空気に気づくのがワンテンポ遅れた。
人狼局に勤めるものは皆「符牒」と呼ばれる、己と世界を繋ぐものを記して保管される。それはチェインにとっての一縷の望み、命綱であった。
そんな命が左右されるそれに書かれた内容を読んで、私は目を見開き、兄は何故か感嘆の声を上げ、そして渦中のスティーブンさんは「はぁ?」と意味が分からないと言いたげに頭をもたげていた。そりゃそうだ。彼は彼女の家の惨状を知らないのだから。私はこの後起こると概ね予想出来る事態に、スティーブンさんとチェイン双方に同情した。
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「……これは喜ぶべきなのか?」
「任務を全うした、という意味では喜んで良いと思いますよ」
結果だけ述べると、世界から消えかけたチェインは、無事に帰還した。様々な犠牲と共に。チェインは憧れの人に(汚)部屋を見られ、スティーブンさんはとばっちりで人狼局のエメ姐さんに平手打ちを食らった。姐さんからしたら可愛い妹分を泣かされた(?)のだからやむを得ないだろう。腑に落ちない彼の心境にも気づかず、デスクではお兄ちゃんが意気揚々とチェインの帰還祝いを計画している。同じ部屋にいる筈なのに、各々の温度差に私は思わず乾いた笑いが漏れてしまった。
「全く女ってのは…どんなに可愛い娘でも、突如理不尽の壁を超えてみせるよなあ……」
「……オレら男にゃ勝ち目無いっすねぇ…」
「お前が言うと重いなぁ……」
「オレ今寄り添ったつもりなんスけど……」
「だから重いんだって」
「えぇ……」
テラスで何だか淀んだやり取りをする彼らを見て、ふと私は未だサインするかを決めかねている"あの用紙"の存在を思い出した。……心の揺らぎが落ち着くまでは、私ももう暫く紙の存在は忘れておこうと、そう思った。
内包されたディストピア