先日レオに心配されたことを素直に受け入れて、今日はギルベルトさんと一緒にシフォンケーキ作りに勤しんでいる。良い茶葉を生地に混ぜ込んで、とびっきり美味しい紅茶のシフォンケーキを作る予定だ。久しく作っていなかったけれど身体は覚えているようで、頭で考えるより先に次はこれ、終わったらこれも、なんてトントン拍子で生地が混ぜられていく。
私の隣にいたギルベルトさんがオープンの温度調整をしてくれていたので、シフォンケーキの型に生地を流し込んで仰々しくギルベルトさんにお渡しすると、優美な微笑で受け取った型を懇切丁寧にオーブンの中へと閉じ込めた。あとは焼き上がるのを待つだけになり、ギルベルトさんは流れるように家事に取り掛かった。
「ギルベルトさん、何か手伝えることある?」
「お嬢様のお手を煩わせるのは、」
「焼けるまでの時間でお手伝い、したい!」
「レオナルド様に休暇を勧められてたのでは?」
あうち。ギルベルトさんは容赦なく痛いところをついた。が、努めて冷静に「何かしていたい気分なの」と伝える。そんなことしたって、彼には何でもお見通しだと言うのに。さささ、と流れるようにソファへと誘われ、出された紅茶に手をつけた。
大層大きな身丈になったお兄ちゃんを未だ坊ちゃんと呼ぶギルベルトさんは、私にとって第二の父親みたいな、いや母親かもしれない。とにかく甘えたい時はギルベルトさんにくっついて回るのが昔からの癖だった。物心ついた時には身の周りのあらゆるものの面倒を見てくれたし、学校に通えない私にあらゆる知識を与えてくれたのはギルベルトさんだった。Jr.スクール必修内容が終わる頃には、周囲の大人たちから勝手に吸収するものだから、ギルベルトさんは特別座学らしい座学はしてくれなくなった。ライブラが多忙を極めていたのも一因なのだけれど、曰く「経験から得たものの方がよっぽど価値がありますよお嬢様」らしい。
(そういえばいつからお嬢様って呼ばれなくなったんだっけ……)
呼び方なんて大した意味はない。呼んでくれる事に意味があるから。それでもいつの間にか変わってたそれが、純粋な興味から気になって仕方なかった。ちらりと様子を伺うと、考えてたのがバレてるかのようにこちらに微笑みを向けているギルベルトさん。
「ナマエ様、いかがなされましたか?」
「あ、えっと……えへへ」
「額にハテナが描いてありますよ」
えっ?!と額を隠すとぺちんと情けない音を立てた。本当に描かれているわけではない事など私だって分かっている。ギルベルトさんも私が分かっていることを、分かっている。巫山戯たやり取りに耐えきれず顔を突き合わせて笑い合った。
「ふは……ねぇギルベルトさん」
「はい何でしょうか?」
「いつからお嬢様呼び変えてたの?」
流石のギルベルトさんも予想外の質問だったのか、笑いを止めて目を丸くした。貴重な表情に私は思わずわぁ……と感嘆の声が漏れてしまった。
「いつか、と訊かれるとこの老人には難しいですが、きっかけはよく覚えていますよ」
「きっかけ?」
「ええ。きっかけです」
ふわりと微笑むギルベルトさんをじっと見る。何かあっただろうか。そんなきっかけ。
「お嬢様が正式にライブラの構成員に加入された時に、ひとりの仲間として僭越ながらお名前を呼ばせていただいておりま、す」
言葉の全てを待たずにギルベルトさんに飛びついた。こうやって私を喜ばせるのが上手いのだ、彼は。堪らず抱きついたままぴょんぴょん跳ねると、頭上から楽しそうな微笑が聴こえた。続くようにオーブンからチンッ、と小気味良い音が鳴る。ぱっと顔を上げた先ではギルベルトさんがにこり、と変わらぬ微笑みを向けてくれていた。
「うっ………まぁ〜」
「キキ……」
「レオもソニックも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐あるなぁ」
あの後ライブラに戻って来たメンバーにシフォンケーキを振る舞う。紅茶の香りに包まれた部屋は、ゆったりとした優しい時間が流れている。普段はブラックコーヒーのスティーブンさんも、今日はシフォンケーキに合わせて淹れた紅茶を飲んでくれている。ギルベルトさん直伝の紅茶の淹れ方だ。味はお兄ちゃんのお墨付きである。味わってくれているのが嬉しくてギルベルトさんと何度も顔を合わせてはみんなの感想にまた耳を傾けた。
まあ、そんな舌を持ち合わせない人間もいるんだけど。
「ザップは二度と食べないで、二度と」
「ハァ?!ンでだよ陰毛とマジ猿おかわりしてるじゃねーかよ!俺もくれよ!!」
「味わう気概が感じられない」
ガツガツズルズルと音を立てて食べ切ったザップが喚いているのを無言の圧で制した。さらにスティーブンさんが「ハハっ、ナマエのケーキの価値を分からない人間がいないわけないだろう?」と援護射撃をしてくれた。某番組なら映す価値無しまっしぐらだろう。少なくとも紅茶は間違っても高級な味がする筈だ。
「私とギルベルトさんのケーキでこれじゃ、今度の食事会大丈夫ですかね?私終わると思う」
「それ俺が一番思ってるから言ってくれるなよ……」
「……スティーブンさん、おかわりはハーブティーにします?」
「頼んだ」
頭痛が痛い、とでも言い出しそうな美顔台無しのひしゃげた顔でソーサーごと此方に寄越した。それでもライブラにとっての今後の資金源になり得る相手との会談に、主要メンバーを連れていかない訳にはいかない。
普段は何かと胃を痛めがちなのはお兄ちゃんだが、今回ばかりは逆だった。お兄ちゃんはきっと乗り切ってくれる!と絶対的な信頼を向けていて、頭痛が痛いのはスティーブンさんだった。ここまで悩ませることが出来るとは、やるな、ザップ。
「まぁ、食生活のレベル的にはレオも心配だがな。同い年だがナマエは心配無いな」
「はは……まぁ舌はそれなりに肥えてますので」
「当日は念を押さないと、だな」
「あんまプレッシャーかけたら折角の食事も味がしなくなっちゃいますよ」
紅茶を嗜むレオの姿(周囲にお花飛んでない?)を捉えて魂が抜けそうなスティーブンさんに内心ご愁傷様です、とごちてキッチンへと向かう。仕方ないからザップにもおかわりを用意してあげよう。
(待て待て待て待て何だこれは)
(おかわりのシフォンケーキ)
(よくこんなうっすく切れたな?!ぺらっぺら!逆にすげーよ?!!)
(ナマエからの恩赦、有り難く味わってくださいねザップさん)
(なァにちゃっかり普通のおかわり貰ってんだよオメー!!)
(僕は味の違いが分かる男なので、ドヤ)
(いや2人とも味覚レベルはゴミだろ)
((スティーブンさんの圧がすごい……!!))
貴方の甘さを享受する日