いい加減腹を括るべきだろう。腕組みを解いた私は、机上に用紙を置きっぱなしのままライブラの執務室へと足を向けた。
案の定執務室にはお兄ちゃん−−クラウスが1人静かにパソコンに向かっていた。他のみんなは出払っていたり休みだったりで不在にしている。私の入室に気づいたのか、お兄ちゃん画面から顔を上げた。タイミングを図ったようにお茶を出してくれたギルベルトさんに勧められて私がソファに座ると、お兄ちゃんもひと息つく事にしたのか向かいのソファに腰掛けた。暫しの沈黙の後、私はゆっくりと言葉を選びとる。
「お兄ちゃんは、どうしてサインしてくれたの?」
「……まだ、出してないそうだが」
「どんな気持ちでサインしてくれたのか知ってから決めたくて」
親同然に私を見守ってくれたお兄ちゃんの気持ちが知りたいと、無性に思った。仮にも相手はあのクズだ。ライブラのメンバーとして心からの信頼を寄せているのは知ってるけれど、日頃の行いの悪さは兄も知る所だ。そんな中でよくサインを貰えたな、と正直驚いた。周りからのフォローはあっただろうけど、それでも驚いたし不思議で仕方なかった。
「私は、君の事を誇りに思っている。妹としても、いちメンバーとしても。だから、ナマエ。君の選ぶ未来なら、信じて背中を押すべきだと思ったんだよ」
お兄ちゃんは陽だまりのような優しさを纏っていた。その隣でティーカップに紅茶を注ぎ足しているギルベルトさんも。2人とも、私がサインをする事もしない事も、どちらを選んだとしても味方だと、態度で示してくれているのだとようやっと理解した。
それなら私も、気持ちに応えなければ。
「あのね、お兄ちゃん、私……」
「外回りから戻りました〜」
「ああ、ご苦労だった、ザップ、レオ」
今日も今日とて日常風景となった有象無象達をシメ回った結果、燃え尽きたようにザップさんはソファに項垂れていた。その姿を尻目に僕は報告書をクラウスさんに提出した。ぐるりと執務室を見回したが、ここ最近執務室で見慣れた姿は無かった。
「あのークラウスさん、ナマエは?」
「今週末の食事会の件で出払っているが、夜には戻る予定の筈だ」
「そうっすか……」
そことなく察してくれたのか、クラウスさんの視線は出涸らし(ザップさん)に向いた。そして僕に戻ってきた視線は机の上を一瞥した。まるでそれは、何か合図をするかのように。促されるままに視線を下ろして、僕はぎょっとして思わずその場で跳ねてしまった。え?マジ?
「ちょ、ザップさん!出涸らしってる場合じゃないですよ!これこれ!!」
「出涸らしってるとかニューワード作んなクソが。何なンだよ……あ?」
「重要な任務だ、心してかかってくれたまえ、ザップ」
言葉選びとは裏腹に、クラウスさんの表情は酷く穏やかだった。その任務が何かを知っているであろうギルベルトさんとスティーブンさんも、普段なら犬猿の仲であるチェインさんまでもが、温かい目でザップさんの背中を眺めていた。
手渡された辞令は、一生涯かかるものだった。用意したのはザップさん自身なのに、信じられないとでも言いたげに、クラウスさんと任務の辞令書だと茶化された婚姻届の間で視線が何度も往来している。よろしく頼む。そうダメ押しにクラウスさんが伝えた瞬間、ザップさんは素っ頓狂な声をあげて婚姻届を天高く掲げていた。
その用紙には、柔らかい筆記でナマエの名前が記され、空欄はもうひとつも存在しなかった。
(お兄ちゃん、私、ちょっと苗字を変えてくるけど、いいよね?)
title by まほら.
百星巡りの果てに