挨拶も程々に、会食はつつがなく進んでいるようだった。カトラリーの扱いに困った時は向かい席のお目付け役(スティーブンさん)を見れば良いと伝えてあったし、食事のレベルの高さにも発狂寸前で耐えているようだ。生魚が苦手なツェッドくんの料理で喧嘩が勃発しかけた時にはスティーブンさんが制してくれたので、いよいよ私は本格的に、意識を斜め向かいの国王に向ける事にした。
お兄ちゃんのパートナーとして会食に立ち会う際は、必ず要人のプロフィールを叩き込んでおく。今回の要人は会食の主であるフリーシャ次期国王一人なので、前日にザッと詰め込めば充分だった。
「貴女はクラウス殿の妹君と伺いました。お名前をお聞きしても?」
「ナマエ・レンフロと申します。この度は素敵な食事にお招きいただき至高至福にございます」
「レンフロ……ラインヘルツではなく?」
「妹は先日籍を入れたばかりなのですよ」
「そうでしたか、それはめでたい!側室に呼べないのは残念ですが」
「そんな側室なんて私では身分違いです」
あっぶねーーー!!!これ下手したらスティーブンさんにあの手この手でガチで側室ぶち込まれてたやつだ!視線がめちゃくちゃ刺さる!!良かったーーー!!ザップはどう思ったかなんて盗み見するまでもない。目の前の食事でいっぱいいっぱいなのだ。
ザップには申し訳ない話なのだが、婚姻届のサインをする事に結局折れたのは、これが要因のひとつだったりする。今日に限ったことではなく、こういった会食の場でスティーブンさんが私を売ろうとすることが少なくないからだ。特に大手スポンサーになりそうな相手に対しては容赦がない。「心はザップだけのもの、籍は国のもの、良いじゃないか」というザップにも負けぬ屑発言を私は一生忘れないだろう。
「少しだけお直しで離席しますね」
「ああ分かった、とびきり綺麗にしておいで」
「兄様、朝のセットアップ直後が一番美人なのよ?割れたカップを直すようなものなんだからお直しなんて」
グラスにすっかり奪われた紅を直すために、化粧室へと案内をお願いした。いつ来てもここのサービスは徹底している。各国の重鎮達が利用するこの店では、異なる客同士が邂逅することのないよう、空間を入れ替えて客を案内していく。
だから、まさかこんな事が起こるなんて思わず、化粧室を出た私は呼んではいけないその名を呼んでしまった。
「フェムト、どうして貴方が……って、レオまで?!」
「食事しに来たに決まってるだろう」
「じゃなくて、此処は」
「聡い君なら分かるだろう」
目の前の二人に意識を奪われて周囲への警戒が怠っていた。そういえば此処まで案内してくれたウェイターが居ない。それどころか彼らにも一人は付いてるはずなのに、この場には私達三人しか居なかった。……外で何かが起こっている。それもこのレストランが客の案内より優先せざるを得ない何かが。
「私は彼に救われてね。今丁度"片付け"に行くところだ。ナマエ、君も来い。彼の目が無いと死ぬぞ」
「空間の入れ替わりが見えてるの?」
敢えてレオと私の関係性は悟らせないよう言葉を選んで問いかける。今のこの様子、恐らく堕落王フェムトはレオがライブラ所属であり、私と既知の仲とは気づいていない。今後のことを考えても、知られないに越したことはないだろう。
緊張のあまり上手く言葉が出なかったようだが、こちらの質問には勢いよく首を縦に振って答えてくれた。そんな彼の手には水の入ったグラスが2つ。一体何に使うのだろう。
「……ああ、念の為2つ用意したが、ナマエがいるなら1つで済むな。グラスの1つを彼女に渡し給え」
「えっ?」
「うん、それでいいよ。フェムトで処理しきれなかったら私が雑魚狩りする。それでいい?」
「やはり君は物分かりが良い。ますます欲しくなるね」
私とグラスの水の因果関係が理解できないレオはただただ不思議そうに、そして心配そうに私を見つめていた。そもそもフェムトが知っている事の方がおかしいのだ。
私の身につけた血法は、HLに戻ってから一度もお披露目していないし、詳細を知るのは兄・クラウスとギルベルトさん、そしてスティーブンさんだけなのだから。
「全く、無粋な奴らだね。場所を弁えるセンスも無いのか」
レオの義眼に案内されてようやっと辿り着いた先には、傷つき倒れているモルツォグァッツァの面々と、彼らを弄んだであろう人物。これは生かして返して貰えないだろうな。フェムトから漂う刺すような空気に些か同情した。私が相手したとしてもタダで済ます気は無いが。
「下らんから、死ね。」
水中に落とされた一つのカプセルは、瞬く間に膨張し、更なる惨状を目の前に生み出してゆく。ほら、私の出る幕なんて無かったじゃないの。内心呆れながら、私はレオと共に暴れ狂う化学兵器を横目にウェイター達を救出すべく奔走する。
顔の欠けた彼らを見てレオは随分慌てふためいていたが、彼らは早々死ぬタチではないと伝えたら、落ち着いたのか未使用のグラスから水を含んだ。あ、二杯目の意味ちゃんとあった。
「今日この場所に於いて、我々は会っていない。それが最高のサービスを提供する彼らへの、最善の誠意だろう」
沈黙は肯定。私は何も言わず目を合わせていると、相変わらず君は面白いなと見当違いなことを言われた。矢張り彼の思考は読めない。読めたところで理解は及ばないだろうけれど。
重体のまま仰々しく御礼を述べるモルツォグァッツァのウェイター達に、フェムトは終始レオの義眼のお陰だと言っていた。そこに打算はない。心からレオに感謝しているのだろう。堕落王と呼ばれようと、最低限の理性と他者を尊重する心を持ってはいるのだ。退屈に耐え切れず、それら全てを無視して死のパレードを始めてしまうだけで。
空間の向こう側に消えゆく彼の背中が見えなくなった頃、レオがあのさ、と重たげに口を開いた。
「俺、次任務で会う時、あの人殺せるかな」
「奇遇だね、私はいつも殺せないよ」
予想外の返答だったのか、ピンヒールでいつもより背が高い私を勢いよく見上げた。私はそれ以上言葉を続けることはしなかったが、代わりに走り続けてよれて曲がっていたレオの蝶ネクタイを整えてやった。
「さぁ、長いこと離席しちゃったね。戻ろっか」
戻った部屋で、先程の外の景色以上に混沌とした風景が広がっているとは、この時の私達はまだ知らない。モルツォグァッツァ、恐るべし。
無垢なだけの壊死した理性