『ナマエは何故術式を使わないんだい?』

 任務の真っ只中、道無き山道を登りながら突然投げかけられた質問を、私は危うくキャッチし損ねる所だった。前置きもない彼の会話はなんだか珍しいな、と何かあったのか少しだけ不安が過ぎる。彼の心中を案じているのを誤魔化しつつ、私は何とか言葉を捻り出した。

『初めて会った時話したよ』
『それはあくまで縛りの話だ。私が聞いているのは、命のかかった場面での君自身の意思のことだよ』

 ぎくり、と肩を揺らした。夏油くんの言っているのはつい先週の、それなりに規模の大きかった任務でのことだろう。確かに術式を使えば一瞬で片付く場面は何度もあった。そして、使わなければ最悪私が死んでいたかもしれない相手もいた。夏油くんは責めているわけではない。ただ、そこに純粋な疑問を抱いたのだろう。私は、中々に難題極まるこの問いに、うっかり任務中であることを忘れそうになる。

『なんていうか……嫌いなの、この術式』
『好き嫌いで命を危険に晒すのはいただけないね』
『違くて、その……術式は使うのが怖いの。私が、術式に呪われていくのが』

 もごもごと口をなんとか動かすと、前を歩いていた夏油くんがこちらを向いて目を丸くしていた。彼にしては珍しく、想定外の返答だったらしい。そりゃ術式に呪われるなんて言われればそうもなるか、と言葉選びを間違えてしまったことに苦笑が漏れる。

『君の術式は意思を持つのかい?』
『そこがなんか違くて……んー……なんだろね、術式を使う度に、責められる?嫌われる?なんかこう……負の感情を向けられてる感じ』

 負の感情に対しては人一倍敏感に察知するが、流してしまう事が多かった。それは高専に来るまでの私の処世術だったから。なら今回もそうやって流してしまえばいい。簡単な話だ。なのに、そうする事が出来ない自分が確かに存在した。
 暫しの沈黙を破ったのは夏油くんだった。彼は私の生い立ちを知ってる。だから、私の沈黙の理由も大方察しがついたのだろう。

『ナマエは強いし呪力だけで戦える。だから命懸けになる様なことは私や悟に任せていいんだ。世の中知らなくていい事の方が多いからね』

 それは、彼が高専を去った年の、私と最後に任務に同行した彼が残した温かな"呪い"だった。





 緊急の任務は、帳を下ろしていた時間より往来の時間の方がよっぽど長く感じた。僕の場合大体そうなんだけど。ふと思い出して伊地知、と声をかければ大袈裟に肩が跳ねてミラー越しに目が合う。

「伊地知ってナマエの術式は知ってる?」
「え?!……き、記憶の限りだとそもそも術式を使ってる場面すら見た事がないかと」
「あーーそれもそうかぁ……」

 窮地も窮地、1人2人でなく100単位の人間の天秤でも無い限り、彼女は術式を使う事はない。ナマエの術式を簡潔に表すなら、ハイリスクハイリターン。とんだじゃじゃ馬。それを理解していることは当然のこと、加えて過去の過ちを恐れているから、彼女は無闇矢鱈に術式を使わない。

 彼女の父方の血縁は、術式こそ無いものの、呪力だけはお釣りが来るほどの量だったらしい。そして母方は一子相伝、しかも呪術界には稀有な、女だけに受け継がれる術式が存在した。
 しかしナマエの母は術式が一切顕現せず、呪力も殆ど無かったことで実質そこで途絶えてしまった。かくいう祖母も顕現こそしていたが、使えるのはせいぜい補助監督レベルのチープなものだった。それでも過去数十年の中では比較的扱える側の人間だったらしい。
 女縛りの一子相伝、名も無き術式は、ここ何十年、下手したら何百年もマトモな顕現者は居なかった。故に、語り継がれていた術式の内容もすり減り、色褪せて。

 その末路が、これだ。
 本来は持っていて然るべき力なのに、無知で、自分の権力にしか興味の無い、腐った大人達からーー畏れられ、蔑まれ、幼い怪物が出来上がってしまった。なんとも反吐がでる話である。

「彼女の"縛り"は知ってる?」
「それなら……使った術式に比例して身体が幼児化「それにしては燃費悪いと思わない?」……え?」

 伊地知はおそらく過去に居合わせた任務の場面ひとつひとつを思い浮かべているのだろう。そして最後に浮かぶのはきっと、任務前に話した憂太も過ったであろう、昨年の彼女の姿。
 赤だった信号は、ぱっと青にかわる。
 少し反応が遅れた伊地知だったが、運転については慌てる様子もなく緩やかに車を進める。あ、と漏らした伊地知は、フロントミラー越しにチラリと僕の表情を視認してから、言葉を続けた。

「確かに、補助監督間で共有しているナマエさんの術式は、"呪力による身体能力の著しい向上"です。でも改めて記録を思い返してみると、コストが高過ぎます。何より、術式を使った戦闘かと言われれば、そうでは無いような……」
「そ、伊地知せいか〜い」

 呪力を使えばそれ単体でも身体能力は上がる。悠仁なんかが良い例だろう。仮に伊地知達の言う"身体能力の著しい向上"が彼女の術式だったとすると、どう差し引きを考えても力の伸びが『低過ぎる』のだ。

「じゃ、じゃあ彼女は一体、」
「……聞きたい?」
「それは……サポートを担う立場としては」

 知っている事は多いに越した事はない。
 ひとつでも失う命を減らせるのであれば。

 そう言った伊地知の目は真剣そのもので、矢張りこいつは補助監督向きの男だと再認識する。
 高専敷地内の駐車場に慣れた手つきで駐車して、シートベルトを外した伊地知は身体ごとこちらに向き直して僕の言葉を待っている。決してただの与太話では無いと悟ったのだろう。くどい様だが、伊地知はやはり優秀だ。言葉にはしてやらないが。「他の奴らには当面言うなよ」と前置きをしてから"いざという時の為に"、今の僕が視えている範囲で、かつ必要最低限に絞って話す。そして、聞き終えた伊地知は言う。「女性の嫉妬は恐ろしい」と。ハハ、僕もそれ超思ってたよ、本当に。





 彼女、夜蛾ナマエの術式は、指定したものを消し去る。モノも、場所も、対価によっては時間や世界、己でさえ消し去れてしまう。彼女が「消えろ」と願ってしまえば。単純明快、諸刃の剣。それがナマエの術式。
 日頃見せる学生達への無償の愛を眺めていると、なんて似合わない術式だろうかと思ってしまう。そんな事を考えながら、ようやく戻れた高専、学長の居る部屋へと向けて歩を進めた。



さあ嘘吐きを飼い慣らそう


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