あの日私は、かつてないほどの呪力を感じた。己の内側から、まるでコップから溢れてしまった水のような。開けっぱなしの蛇口のような。あり得ない速度で満ち引きを繰り返す海のような。自分の身体に起こってることなのに、まるで押さえつけることが出来ない。呪力が溢れて溢れて、仕方のない感覚。これは駄目だと脳が警鐘を鳴らしていたけれど、私は"これ"を制ぎょする方ほ うを し ら な ーー
ハッと目が覚めた瞬間、真っ先に自分の両の手が血濡れでないかを確認した。そしてようやっと荒くなっていた息を整えにかかる。久しく見ていなかった夢は、けれど酷く鮮明で、夢の筈なのに血溜まりの臭いを感じている。
「おはようナマエ、大丈夫だよ。何も起こってないよ」
「あ、……さと………く…………」
「夢に魘されて泣いちゃったの?可愛いんだからもう」
「……わたしの、じゅつ、しき」
私をあやすように目尻に触れていた彼の手がぴたりと止まった。その話は改めてしよう、と眉を顰めた彼に、私は首を縦には振らなかった。
あの日の夢を見たのは、警告だ。
今。言わなければ、きっと後悔する。手遅れになる。私は、おそらくこれから彼が話す筈だったことを、そして彼の背中越しにチラリと見える正道にも聞かせる筈だった"推測"を、何処か他人事のように感じつつも言葉にして紡いだ。
「宿儺の……ううん、悠仁くんの呪力にあてられて、私と言う器と呪力に揺らぎが生じて、"視えた"んでしょう?」
悟くんは真剣な表情で、何も言わない。
「揺らいだことで、今まで"縛り"だと思っていたものが、実は全く別物だったと判別がついた。疑惑だったものが確信に変わった」
「……ナマエは賢すぎて困るなぁ」
目隠しを下ろした悟くんは、まいったな、とでも言いたげに苦笑を漏らした。なんだかんだ優しさより最後には理で動く彼の事だ。事実を知って私が不安定になり、術式を制御出来なくなる事がない様、最低限の情報だけ伝えるつもりだったのだろう。
でも、六眼で視えた時点で彼も覚悟はしていた筈だ。他者が気付くと云う事は、非術師でない限り、当の本人も気付くと云うことに。
果たしてその目にはどの様に映っているのだろう。一子相伝である術式を顕現出来ず、ぞんざいな扱いを受けたであろう"彼女"の呪いは、息を潜め今日まで生きながらえていた呪いは、どんな姿なのだろう。
「今まで縛りだと思っていたものは、縛りじゃなかった。かつての継承者から私にかけられてる呪い、なんだね」
「正確には、縛りそのものはあるけれど、本来はもっと使った力に対して対等な筈だったんだよ。それが今のナマエは呪いによって過剰に喰われてるんだ」
部屋は月明かりで満たされていた。
涙の膜に覆われた景色の中で、彼の蒼が躊躇うように、揺れた。きっとこれ以上の「答え合わせ」に私が耐えられるのか、計りかねているのだろう。彼の背中越しに見える正道は、血縁こそないが常に寄り添う、温もりのある父だった。だからこそ、今の私を見るに耐えず、目を合わせてくれないのだろう。もう、それだけで答え合わせは充分だった。
「私を呪ってる主人格は、お母さんなんだね」
なんとなく気付いていたことを、改めて言葉にすると実感が湧く。言霊、なんて言うけどほんとだなぁ、なんて、何処か他人事のように感じている。一種の逃避反応だろうか。かつて死生観が狂ってた自分にも、そういった人間らしいちゃちな部分がまだ残っていたことに笑えてしまう。
ふと腕を引かれて悟くんの腕の中にすっぽりと収められた。ナマエ、と消えそうな声で呟いた彼の表情は、月明かりの影になってしまって、見えない。
本来なら、呪われている可能性に気付いた時点で自分から言うべきだった。なのに、母からの呪いであるが故に、その呪いと云う歪な形の愛を享受していたのだ、私という忌み子は。
「私きっと、どんな形でも良いから、お母さんに感情を向けて欲しかったんだと思う」
それがたとえ身を滅ぼすものだったとしても、母の中に確かに私という娘が存在していたという証拠。それに偽りの温もりを感じていたから、気付かないフリをしていたのだろう。いつか呪いに喰い殺されて、莫大な被害が及ぶと知っていながら。いや、知っていたことを否定したくて、無意識に術式で気付きすら『消していた』のかもしれない。なんとも愚かで滑稽な話である。
「ねぇ、悟くん」
「……うん、なあに?ナマエ」
月光が支配する部屋の中、彼の瞳は変わらず美しかった。けれど、迷う揺らめきはとうに消えていて、優しい微笑みだけがそこに在る。
「私のこの呪い、殺してくれる?」
もう、歪な愛は終わりにしよう。呪われた愛情なんかにしがみつかなくたって、私には悟くん達が与えてくれた、溢れんばかりの愛があるのだから。