一年生達を教室へと送ったその足で学長室へと向かう。約束の時間にはまだ随分早かったが、相手の顔を思い浮かべるとどうも待たせてはいけないと考えが過り、早足になってしまう。学長室前に着いて、念の為制服に砂埃などの汚れが無いか確認し、深呼吸をしてから控えめにノックした。
予想通り、というか相変わらずというべきか。学長−−正道ではない声が入室を促してくれたので、私は至極丁寧に部屋の中へと入ってゆく。
「どこぞの傍若無人な旦那様に爪の垢を煎じて飲ませたいですね」
「本当に飲みそうだからやだ……」
来てくれてありがとう、と付け加えれば、ひとつ下の後輩であった七海くんは、一字一句違わず同じ台詞を吐く。今度は昼時の挨拶が添えられていた。当然の事をしただけで罵詈雑言を言われる屑代表悟くんと、それを言えてしまう七海くん。それがどうも可笑しくて、私は堪らずふは、と声が漏れてしまって七海くんの眉間に皺が寄る。ごめんごめん、でも、君のそういうところが私は好きなのだ。
今でこそ生徒達から寄ってきてくれるような人間になった私だけれど、元来は無表情無感情無関心の3無し呪霊破壊装置みたいな存在だったわけで、本質的には悟くんのような表情がコロコロ変わる人よりも、七海くんのような雰囲気の人に近い。とはいえ、七海くんは俯瞰的かつ理性的に物事を考える割に人情に熱い人だと、私は知っている。伊達に長い付き合いをしていないのだ。
私は慣れた手つきでコーヒーを用意する。七海くんはブラック、私はカフェオレにするのでミルク必須だ。
「忙しい中無理を言ってごめんね七海くん」
「貴方は何も悪くないでしょう。全部五条さんのせいにしておきますので、ナマエさんは何も気負うことはありません。」
「七海くんは本当に優しいねぇ」
「貴方『は』、尊敬に値する人ですから」
決して声量が大きい訳ではないはずなのに、区切られた言葉端には強調するような強さがあった。暗に私の同級生達のことを言っているのだろう。いつだか彼の放った『五条さんは信頼こそすれ尊敬はしてない』という言葉を思い出す。いつだったかな。……ああ、私の婚約を報告した時だったな。もうあれ何年前だっけ。逡巡していると後ろからナマエ、と端的に呼ばれて振り返る。
「正道!お疲れ様、コーヒーあるよ」
「いや大丈夫だ。それよりもナマエ、お前も立ってないで座れ」
ローテーブルを挟んで一方に私と七海くん、対面に正道が座り、今回の件の再確認が進められた。
今回の任務はただの任務ではない。今まである種腫れ物扱いだった私が、術師としての等級を得る為の"形式上の"任務だからだ。等級審査で必要な上位術師からの推薦。今回推薦者の一人として名が上がったのが七海くんだった。
というのも、私という存在は高専改め呪術界ではかなり特殊な扱いを受けている。そりゃそうだ。女だけが受け継げる術式なんて、これまで存在してこなかったのだから。
正確に言うならば、未だ男尊女卑の考えが蔓延るこの世界において、この術式はあってはならないものだった。故に、私の身元が引き取られるまで、かつて私の過ごしたまるで呪いの箱のような部屋にずっとひた隠しにされてきていたのだ。上層部と正道−−というよりは悟くんか。双方は私の扱いについて度々衝突を繰り返している。
「上層部も相変わらずクソですね」
「こらこら、美青年がクソとか言うもんじゃないよ。折角の見目が台無し」
「貴方はそんな部分で人を判断しないでしょう」
「よく知る中ならそう言えるけど、そうじゃない人は違うのよ。今の私がまさにそう」
ああ……と妙に憐れんだような声色で彼は空を仰いだ。上層部は私のことをデータ上でしか知らない。普段の振る舞いとか人柄とか、何を考えて生きているのか。知られても嬉しくないけど。
兎も角、彼らは私という人間を引き取ってから今日までずっと『最終兵器』として認識しているのだ。
あの五条悟でさえ手に余る呪霊が現れた時、その身を犠牲に消してくれと。齢10歳にしてそう命じられ、機械的に首肯した当時の私。今なら全力で拒否するが、なんせ当時の私は世界どころか人権という概念すら与えられなかった無知で無垢な子どもだったのだ。
話が逸れた。
結局のところ、上層部は私という力を欲してはいるが、同時に危険視をしているのだ。そう言う点ではかつての家と変わりない。それでも現在不自由なく過ごせているのは、ひとえに『五条悟』と言う、上層部が無視できない存在が、私の隣に存在するからである。
そして、今回の等級審査に臨むことが出来るのも、悟くんのお膳立てのお陰だ。彼自身は直接的に推薦出来ない。加えて言えば、私のような特殊な立ち位置の人間を、誰が推薦したならば上は納得するか。贔屓目を持たず、一線を引いた上で、推薦と等級審査を兼ねた任務に同行してくれる人。その条件にピタリと当てはまる人物など早々居ない。頼まれた当初は意味が分からない、という顔をしていた彼だったが、裏の意図を察したのか盛大な呆れ顔で以って、この依頼を受けてくれることになったのだ。
「本来ならものさしなんて無視して特級レベルの貴方を、何故一級術師として推薦するのかだけは未だに分かりませんけど、頼まれた以上は最後までやりますので」
そう言いつつ訳知り顔である七海くんは、私が先程出したコーヒーに口をつけた。以前彼がお福分けしてくれた豆を習った通りに挽いたはずなのに、彼が淹れてくれた時のような優しい香りは弱かった。コーヒー、奥が深い。私はミルクの優しさを感じながらそっとマグカップを傾けた。