現状を簡潔に述べるなら、最悪。その一言に尽きる。なんと、呪物が収められている筈の祠からも呪霊が現れたのだ。抑え込まれている様な呪力が視えていたから、私も七海くんも呪物は無事だとつい思い込んでいた。思い込みや決めつけ、そこから来る僅かな油断。それが戦いの場で命を落とす要因になり得ると知っていた筈なのに、迂闊だった。





 どうやら祠に納められていた呪物は何者かによって奪われたらしい。呪物の納められていた簡易扉の小さな箱の中には、代わりの呪霊が押し込められていて、扉が開けられると封印が解かれる、そういった仕組みだったのだろう。奪った人間、或いは共犯に呪詛師が絡んでいるとみて間違いないだろう。
 封印が解かれた呪霊は軽く見積もって二級相当か。飛び出した勢いで私の横をすり抜けて、そのまま七海くんが対面している。同時に呪力が爆発的に跳ねた"土地神だったもの"を私1人で対処しなくてはならない状況に陥っている。

 幸いなのは、今回の同伴が七海くんと伊地知くんだったこと。七海くんは呪霊を上手く誘導して私との距離を取ってくれている。この間合いは、私が最悪のケースを取った場合でも巻き込まれることはない、けれど姿は互いに視認出来る大変ありがたいものだった。

(どういうタイプの呪霊か、判断つかないまま近寄りたくないなぁ……)

 目の前のおどろおどろしい呪力を纏った呪霊は、ぱっと見だとスライムが地を這っているような、私としては予測が立てづらく面倒なタイプだ。様子見をしても良いが、下手に化けられても困る。
 さてどうしたものか。
 本来ならばできる限り弱らせてから術式で消してしまいたいが、下手に時間をかけることも憚られる。多少の無理もやむなしと判断して、私はポケットから呪符を取り出してそのまま投げつけた。

「さてどうなるかな」

 見事呪霊に貼り付いた呪符は、爆発音と共に貼り付いた箇所を抉り取った。しかし呪霊は、痛みに唸るような、地響きにも似た声をあげつつも抉り取られたことが無かったかの様に元の姿へと戻った。流石スライムだなぁなんて呑気な感想を抱きながら、私は祓う流れを脳内で組んで、いよいよ抜刀した。

「さて、貴方の核は何処にあるのかな?」

 呪力を流した愛刀が久々の出番に喜んでいる様に感じる。私も久々にお前を使うことになること思わなかったよ。喰わせた呪力を蓄えた刀身は、喜びのあまりカタカタとその身を震わせる。私は地面を強く踏み込み素早い一振りを呪霊目がけて放つ。刀身は決して当たらない距離だが、刀身の刃先から放たれた呪力は見事にクリーンヒットした。
 呪力の衣を剥がされ、纏わりついていたスライム部分が全て暴かれた。中には小さく、けれど確かな存在感を持つ、かつて神様だったであろう少女の姿。その姿だけ見れば、この廃村の信仰がどういったものだったか理解するには充分だった。

「嫁入り前の神様に、傷なんてつけられないね」

 もう害を及ぼさないと分かっている私は目の前の−−かつて"神様だった呪霊"とも、"かつて呪霊に成り下がってしまったもの"とも何方とも言い難い存在にそっと触れた。無事祓い終えたであろう七海くんは此方に気づいたのか、らしくない、焦った声色で私を呼んだ。労働時間外の彼のことだ、祓うことに然程時間も体力も要さなかった筈。ならば車まで私を運ぶ事は容易いだろう。
 こんなだから、悟くんや正道は私に特級ではなく敢えて一級で等級審査を受けさせたのだろう。残当である。それでも目の前の、何処となくかつての自分と被ってしまう神様の姿に、私は刀身を向ける事なんて出来なかった。いや、そうする自分の姿を許せなかったと言う方が近いかもしれない。そっと触れた掌越しに呪力を流し込む。少しでも痛み無く、安らかに眠れ。

「おやすみ神様、『消息盈虚しょうそくえいきょ』」

 消える寸前の"神様にされた少女"は、嬉しそうにありがとう、と言ったような気がした。感謝なんて、されていい人間じゃあ、ないのに。





「……ごめんなさい」
「貴方私が居なかったらどうするつもりだったんですか」
「伊地知くんにおぶってもらう」
「そういう図々しい所は似た者夫婦ですね。迷惑極まりない」

 盛大な溜め息を彼の背中越しに感じて、私はただただ謝る事しかできなかった。これはもしかしなくても推薦くれないかもしれないなぁ……そんな事を思っていたが、結局彼、七海くんは上手に私の気持ちを汲み取ってしまうのだからずるいと思う。

「土地神は呪術師の少女でしたか」
「うん。多分祠は中継点でしかなくて、廃村の何処かに彼女は幽閉されてたんだと思う。そこからずっと村を守る術式を使ってたけど、ある日死んでしまった事で村の人達は守り神の祟りを忌避して、この地を去っていった。始まりも終わりも胸糞悪い話だよ」
「……視えたんですか」
「うん、視えた。断片的にだけど」
「なら何も言いません。貴方が決めてやった事ですから」

 ほら、七海くんはやっぱり優しい。言葉にせずとも私の気持ちを分かってくれた。幽閉され、ただ術師として大人に良いように使われていたあの頃の自分と、神様とされていた少女が酷く被って見えたのだ。
 彼女を通して視えたものは、まるでかつての自分に巻き戻ったような感覚で、目の前の彼女を呪霊と思う事は私には出来なかった。し、切ることは出来なかった。一瞬で、可能な限り痛み無く楽にしてあげたかった。勝手な大人達に振り回されたと、きっと理解していない少女だった神様を。
 静かに泣いている私にきっと七海くんは気づいているだろう。それでも彼は何も言わない。ただ沈黙を守ってくれている。

 当時の自分は無知だからこそ何も思わなかった。けれど、高専で何度も巡る季節の中で得た自分は、この経験が如何に残酷で辛いものなのかを、追体験で以って知ってしまった。伊地知くんの元に着く頃には泣き止んでいたが、そこはかとなく察してくれた伊地知くんは、そっと後部座席へ促して、膝掛けを手渡してくれた。静かに走り出したセダンの中は、高専に着くまでついにラジオだけが鳴り響いていた。



嘗ての私へ贈るアンチテーゼ


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