1年引率の任務を終えてスマートフォンを確認した。通知は3件。1時間前に伊地知からのメールと、ほんの数分前に硝子からの不在着信とメールがそれぞれ一件ずつ。並んだ名前だけでこの連絡が『誰』に関する事なのかを理解して、一足飛びで高専へ戻った。
 つとめて冷静に振る舞ったつもりだけど、ナマエと比較的付き合いの長い恵は察したのか早足の僕の後ろには恵、そして悠仁と野薔薇。本当なら自室に戻れと言いたいのだけど、その時間すら惜しまれた。駆け込んだ保健室では、硝子がカルテと睨み合いをしていた。此方に気づいた彼女は、顔を上げて大所帯だな、と揶揄いの色を含む声で微笑していた。

「硝子、容態は?」
「ああ五条か。自分で見ろ」

 顎でしゃくられた先のベッドは、クリームカラーのカーテンで隠されている。そうっと開いた先には傷ひとつ無いものの、相当消耗したのか、弱々しい呪力を漂わせるナマエが虚ろな目で天を仰いでいる。零れた名前は確かに彼女の耳に届いたようで、目線だけをこちらに向けた。まさか恵たちも居るとは思わなかったのか、目をまんまるにしてるのがどうにも僕を安心させた。

「みんなで来たの?」
「僕は来た、3人はカルガモごっこ」
「何それ可愛い」
「ッ、ナマエさん」
「……恵くん?」

 僕の横を過ぎて、普段なら見せないような哀しげな声色でナマエの名を呼んだ。どんな表情で呼んだのか僕からは見えなかったけど、ナマエが柔らかい表情をしているからなんとなく幼い頃に見せていた顔でもしているのだろう。まぁ弱った姿は彼女しか見た事ないのだけれど。恵はナマエには甘えるけれど、僕にはそういった姿を見せない。
 しばらくして悠仁や野薔薇もベッドに駆け寄り各々話しかけていた。体調はどうか、怪我はしてないか、それから今日の自分達のしてきた任務。賑やかな3人に囲まれてふくふくと笑う彼女を遠目に見守る。僕の話は後でまたゆっくりと時間を取ればいい。後ほどまた来る旨を硝子に伝えて、学長室へと向かう。来る時とは違ってゆったりと軽やかな足取りは、着くまでに随分時間を要するだろう。それに「遅い」と文句を垂れるであろう後輩をどうやって茶化そうか、考えながら口角が上がる思いだった。





「貴方、ナマエさんの爪の垢を煎じて飲むべきですよ本当に。」
「えー何々?僕ナマエのモノだったら何でも飲むよ?」
「彼女の言った通りでゾッとしました」

 何が?とは思ったものの、七海は特段話す気は無いと視線だけで訴えてきた。閑話休題。

「なるほどねぇ……宿儺の件があってから本格的に嫌がらせしてきたね」
「そういう点では今回私に同伴させたことは勇断だと思いますよ」

 本来であれば推薦者が任務に同伴する事は出来ない。今回、書類上の推薦者は七海、そして任務に同伴した補助監督の伊地知が合否を出す手筈になっていた。しかし、最近どうも雲行きが怪しいということが気掛かりだった僕は夜蛾学長に口利きして貰い、伊地知を通して七海が同伴出来るよう調整をした。
 しかしどうして、よりにもよってこんな胸糞悪い任務を敢えて名指しで彼女の、しかも等級審査に関わる任務に充てたのだろうか。いや、彼女だからこそ、なのだろうか。どこまで上が把握していたかなぞ知る由も無いが、あのナマエが下調べを怠るとは思えない。ワンチャン仕組まれていたと考えてもいいのかもしれない。これだから腐ったミカン共は嫌なんだ。

「彼女も自分のことで泣けたんですね」

 七海が誰に言うでもなく洩らす。そう、彼女は人のことばかりなのだ。決してそうしたい訳でもない。単にそういう思考が当たり前の人生で生きてきたから、滅多な事では自身の感情を出せないのだ。出さないのではない。それでも出会った頃に比べたら随分自身の事を前面に出せるようになったと、少なくとも僕は思う。きっと硝子だってそう言う筈だ。
 それでも、自身の過去を悲しむなんて事、今までは一度も無かった。それもこれも、解呪した事が影響しているのだろうか。
 彼女の変化は嬉しくも思うが、今回の巡り合わせはタイミングが悪いにも程がある。しばらくはメンタルケアが必要だろう。決して彼女の心が弱いとは思わない。けれど、少なからず脆い部分はあるのだ。今回術式を使わずとも叩っ斬って仕舞えばナマエの実力なら祓うことは簡単だったのに、そうはしなかった。効率よりも私情を優先したのだ。過去の自分と被った呪霊を切る事は、過去の彼女自身を切り殺す事になる。そんな風に感じたのだろう。それでもきちんと後のことを考えて−−七海や伊地知を信じて−−自身で祓い切る辺りは彼女の持つ強さだ。既に手の空いた七海に任せることだって出来たのに、そうはしなかった。

「彼女はどうしてこうも柔軟に対応しないんでしょうか」
「1人で戦うのも、替えがきかないのも、当たり前の人生だったからだろうなぁ」
「本当にこの界隈はクソですね、忌々しい」

 強すぎる意志は、少しのヒビで簡単に割れてしまう。今の彼女を見て浮かぶ背中は、僕と七海、そして硝子とナマエ。きっとみんな同じだろう。

『私たちは最強なんだろう?悟』

 振り返った切れ長の目は掬い取ることが叶わなかった、とっくに取り返しのつかない僕の一部。
 だからナマエは、譲れない。彼女までも失うわけにはいかない。天才だ特別だと囃し立てるだけの奴らには分からないだろう。僕だってちゃんと人間だということを。美しい花畑を保つ為なら多少の間引きは致し方ない。けれど、ナマエという、花壇に移した一本だけは譲れない。少なくとも今は。



金木犀が泣いている


ALICE+